依田銈次郎
日本の政治家、官僚 (1860-1933)
依田 銈次郎(よだ けいじろう、1860年8月26日(万延元年7月10日)[1] - 1933年(昭和8年)9月28日)は、日本の弁護士・内務官僚。政友会系官選県知事。
経歴
編集篠山藩士・依田秀実の長男として同藩江戸藩邸[2]で生まれる。1876年に上京して芳野金陵塾や二松学舎に通った[3]。一時帰郷後再び上京し、講法学舎に入ったが、舎監大岡育造と対立して退学し、斎藤孝治らとともに明治法律学校に入学[3]。1882年、同校を卒業し代言人(弁護士)となり、自由民権運動に参画。
1894年、富山区裁判所判事となり、宮津区裁判所判事に異動。1898年、宮崎県警部長に転じた。以後、福島県警部長、奈良県警部長、高知県警部長、山口県警部長、山口県事務官・第四部長、新潟県事務官・警察部長、石川県事務官・内務部長、東京府事務官などを歴任。
1912年3月、群馬県知事に就任し、同年12月に退任。1913年4月、長野県知事となり、1914年4月まで在任。1917年12月、山形県知事となる。米価の高騰、暴落への対応に当った。1921年7月、広島県知事に就任し、1922年10月まで在任し退官した。
栄典・授章・授賞
編集- 位階
- 勲章等
脚注
編集参考文献
編集- 上田正昭他 『日本人名大辞典』 講談社、2001年。
- 歴代知事編纂会編 『新編日本の歴代知事』 歴代知事編纂会、1991年。
- 『群馬県人名大事典』 上毛新聞社、1982年。
- 明治大学史資料センター 『明治大学小史―人物編』 学文社、2011年 ISBN 978-4-7620-2217-3