マイク・マンゴールド
マイク・マンゴールド(Mike Mangold、〈Michael Eugene Mangold〉、1955年10月10日 - 2015年12月6日)は、アメリカ合衆国の曲技飛行パイロット、アメリカン航空のボーイング787の事業用操縦士。2004年から2009年までレッドブル・エアレース・ワールドシリーズに参戦し、優勝回数は9度、2005年シーズンと2007年シーズンには総合優勝を果たした。ニックネーム及びコールサインは「モンゴ (Mongo) 」。
マイク・マンゴールド Mike Mangold | |
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2007年、最終戦パースで総合優勝を決めたマンゴールド | |
フルネーム |
マイケル・ユージーン・マンゴールド (Michael Eugene Mangold) |
生誕 |
1955年10月10日 オハイオ州シンシナティ |
死没 |
2015年12月6日(60歳没) カリフォルニア州アップルバレー |
国籍 | アメリカ合衆国 |
配偶者 | ジュリー・マンゴールド (Julie Mangold) |
レース経歴 | |
初出場 | 2004年 |
最高順位 | 1位(2005年・2007年) |
機体 | ジブコ エッジ540, Viper L-29, L-39 |
公式サイト | |
mikemangold.us |
経歴
編集オハイオ州シンシナティに3人兄弟の長男として生まれる。3歳の時にカリフォルニア州へ、高校時代にペンシルベニア州へ引っ越した[1]。
1974年、空軍士官学校在学中にスカイダイビングをしたのが航空キャリアの第一歩であった[2]。1977年に空軍パイロットの訓練を受け、戦闘機パイロットとなり、卒業後は空軍兵器学校へ進んだ。1983年、同校を首席で卒業し、「最優秀生徒」の栄誉を受けた。大西洋から合衆国本土の基地に所属し、核兵器、通常兵器、ハイテク兵器などを搭載しての飛行やF-4(ファントムII)での迎撃などのミッションをこなした。F-4には約10年間搭乗した[3]。1989年に現役を退き、USエアウェイズ(後にアメリカン航空に統合)のパイロットになり、ボーイング767を含むいくつものジェット機を操縦した[3][4]。
パイロットになった後もスカイダイビングは続け、1981年から1985年までアメリカ合衆国パラシュート協会のメンバーを務め、スカイダイバーとして国内で何度も優勝した。1996年にロシア・アナパで296人のパラシューターの1人としてフォーメーションスカイダイビングの世界記録樹立に参加した[2][5]。
1990年、競技型の曲技飛行を始め、スーパー・デカスロンに乗り、エアショーのキャリアが幕を開けた。国内の曲技飛行選手権で何度も優勝し、2002年にはアンリミテッド部門で歴代最高得点を記録しただけでなく、国際曲技飛行クラブからL・ポール・スーシー賞を受賞した[3]。2004年から2009年までレッドブル・エアレース・ワールドシリーズに参戦し、2005年シーズンと2007年シーズンには総合優勝を果たした[4]。
2010年、レッドブル・エアレースを引退し、チャレンジャークラスのコーチに就任し、予選前に行われるメディア向けのテストフライトも行っていた[6][7]。
エアレースを中継するFOXスポーツのコメンテーターを務めた[8][2]。ほかに、レーシング・ジェット・インターナショナルの役員を4年間務め、2013年までリノ・エアレースの責任者を務めた[9]。クラシック・ジェット・エアクラフト協会の役員も務めた[2]。
2015年12月6日、午後2時20分ごろにカリフォルニア州のアップルバレー空港を離陸して間もなく、乗っていたL-39 アルバトロスが墜落して爆発、マンゴールドと乗っていた他1名が死亡した[1][5]。妻ジュリーと、同じく曲技飛行パイロットの2人の子供(ニックとメリッサ)を残しての死だった[2]。
レッドブル・エアレース戦績
編集金色 | 銀色 | 銅色 | ポイント圏内完走 | ポイント圏外完走 |
1位 | 2位 | 3位 | 4-8位[注 1] | 9-14位[注 1] |
マイク・マンゴールド レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ戦績 | |||||||||||||||
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開催年 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ポイント | 勝利数 | 最終 順位 |
2004 | 不参加 |
不参加 |
1位 6 |
6 | 1 | 5位 | |||||||||
2005 | 3位 4 |
1位 6 |
1位 6 |
5位 2 |
1位 6 |
1位 6 |
1位 6 |
36 | 5 | 1位 | |||||
2006 | 2位 5 |
2位 5 |
3位 4 |
中止 |
4位 3 |
3位 4 |
4位 3 |
4位 3 |
4位 3 |
30 | 0 | 3位 | |||
2007 | 2位 5 |
3位 4 |
3位 4 |
1位 6 |
中止 |
2位 5 |
1位 6 |
1位 6 |
2位 5 |
5位 2 |
中止 |
3位 4 |
47 | 3 | 1位 |
2008 | 3位 7 |
2位 8 |
4位 6 |
中止 |
5位 5 |
6位 4 |
4位 6 |
3位 7 |
中止 |
9位 1 |
44 | 0 | 4位 | ||
2009 | 7位 5 |
7位 5 |
4位 8 |
6位 6 |
5位 7 |
11位 1 |
32 | 0 | 7位 |
出典
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b “Famous Red Bull Pilot Killed in Apple Valley Plane Crash”. Vector Valley News. (2015年12月6日) 2015年12月8日閲覧。
- ^ a b c d e Shea Johnson (2015年12月6日). “Two die in plane crash”. Daily Press 2015年12月8日閲覧。
- ^ a b c “Mike Mangold”. Racing Jets Incorporated. 2015年12月8日閲覧。
- ^ a b “Tributes are paid to former world champion Mangold”. Red Bull (2015年12月7日). 2015年12月8日閲覧。
- ^ a b “Mangold killed in crash”. Aircraft Owners and Pilots Associationh (2015年12月7日). 2015年12月8日閲覧。
- ^ マイク・マンゴールドと飛ぶ開幕戦コース | Red Bull Air Race
- ^ エアレース:プロペラ機、爆音を響かせて 千葉で国内初 - 毎日新聞
- ^ “Former Red Bull Champion dies in Jet Crash”. Australian Flying. (2015年12月7日) 2015年12月8日閲覧。
- ^ “RJI elects new board”. Racing Jets International (2013年9月14日). 2015年12月8日閲覧。
外部リンク
編集タイトル | ||
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先代 カービー・チャンブリス (2004) |
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ チャンピオン 2005 |
次代 カービー・チャンブリス (2006) |
先代 カービー・チャンブリス (2006) |
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ チャンピオン 2007 |
次代 ハンネス・アルヒ (2008) |