フレデリック・バスール
フレデリック・バスール(Frédéric Vasseur、1968年5月28日 - )は、フランス出身の自動車実業家であり、レースチームの経営者として知られる。
フレデリック・バスール Frédéric Vasseur | |
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バスール(2024年) | |
生誕 |
1968年5月28日(56歳) フランス イル=ド=フランス地域圏エソンヌ県ドラヴェイユ |
国籍 | フランス |
職業 | スクーデリア・フェラーリチーム代表 (2023年 - ) |
著名な実績 |
・ザウバーモータースポーツ CEO (2017年 - 2022年) ・アルファロメオ・レーシング チーム代表 (2019年 - 2022年) ・ARTグランプリ 共同創設者 ・スパーク・レーシング・テクノロジー 創設者 |
フォーミュラ1(F1)チームのチーム代表職を歴任しており、ルノー、ザウバー/アルファロメオを経て、2023年からスクーデリア・フェラーリのゼネラルマネージャー兼チーム代表を務めている。フォーミュラ2(F2)などに参戦しているARTグランプリや、フォーミュラEの車体製造者であるスパーク・レーシング・テクノロジー社の創設者としても知られている。
経歴
編集フランスの工学学校(グランゼコール)のひとつであるESTACAで航空工学と自動車工学を学び、1996年に卒業した[W 1][W 2]。
ASM F3 - ARTグランプリ
編集ESTACAを卒業した1996年に、バスールはレーシングチームの「ASM Formule 3」(ASM F3)を創設した[W 1][W 3]。
バスールが設立したASMチームは、当初はルノーからの支援を受けて1997年からフランスF3選手権に参戦し、1998年には同チーム所属のデビッド・サイレンスが同選手権でチャンピオンを獲得した[W 3]。フランスF3は2003年からはフォーミュラ3・ユーロシリーズに改組されたが、以降もASMチームは参戦と活躍を続け、2004年から2009年にかけて、所属ドライバーたちがチャンピオンタイトルを獲得し続け、ASMチームは新興ながら有力なチームとして選手権を席巻した[W 1]。
2005年からF1の直下のシリーズとして、従来の国際F3000に代わって、「GP2シリーズ」が開催されることになり、2004年にニコラス・トッドが株式を取得して共同オーナーとなったことに伴い、チームは「ARTグランプリ」に改組された[W 3][W 4](F3チームは、その後も2007年シーズンまでは「ASM」の名称を使用)。
2005年、ARTグランプリはこの年に始まったGP2シリーズに参戦し、F1直下のカテゴリーにおいては新チームながら、同チームに所属するニコ・ロズベルグがGP2の初代チャンピオンに輝き、チーム部門でもARTグランプリがタイトルを獲得した。
その後も、ARTグランプリは有力チームとしてGP2、GP3への参戦を続け、現在はそれぞれ、F2(FIA F2)、F3(FIA F3)へと移行している。
2014年、バスールは、後述する新規事業(フォーミュラE)で多忙となったことで、ARTグランプリの経営からは退き、CEOの地位をセバスチャン・フィリップに譲った[W 3]。それまでの期間、バスールのチームが輩出したドライバーで後に活躍したドライバーの数は非常に多く[W 5]、2010年代にF1でチャンピオンとなったセバスチャン・ベッテル、ルイス・ハミルトン、ニコ・ロズベルグの3名も、いずれも、ジュニアフォーミュラの過程のどこかでバスールのチームから参戦している[W 1]。
フォーミュラE
編集2010年、バスールは電気自動車によるレースシリーズへの供給を目論み、ARTグランプリに電気自動車のフォーミュラカーの試作車(フォーミュレック・EF01)を製作させた。
この試みに国際自動車連盟(FIA)も関心を持ち、2012年8月、FIAは電気自動車によるレースシリーズである「フォーミュラE」をFIA名義のシリーズとして創設することを承認した[W 6][W 7]。バスールは同年10月に電気駆動のレーシングカーを製造するスパーク・レーシング・テクノロジーを新たに設立し、レースの主催団体として設立されたフォーミュラE・ホールディングスとの間で契約を結んだ[W 1]。
同シリーズの車体はワンメイクであり、この契約により、バスールのスパーク・レーシング・テクノロジー社はフォーミュラEの最初のシーズン(2014年-15年シーズン)のために、42台の参戦車両(スパーク・ルノー・SRT 01E)全ての製造を担った[W 1][W 8][注釈 1]。
フォーミュラ1
編集バスールが所有するARTグランプリは2015年にGP2とGP3でタイトルを独占し、DTMでも成功を収めた[W 4]。そうした背景と、ルノーからの打診を受け、バスールは、フォーミュラ1(F1)の仕事を始めることにした[W 4]。
バスールは、この時点でARTグランプリの経営はすでに他者に委ねており、スパーク・レーシング・テクノロジー社もフォーミュラEが開催にこぎ着けたことで軌道に乗っていたことから、以降、自身はF1に専念することになる[W 4]。
ルノー
編集2016年2月、バスールはF1のルノーチームにレーシングディレクターとして加入し、シーズン途中の7月に同チームのチーム代表に就任した[W 9][注釈 2]。
しかし、シーズン中にマネージングディレクターのシリル・アビテブールとの間で意見の相違があったことから[注釈 3]、この仕事は短期のものとなり、翌年1月に同職を辞任した[W 9]。
ザウバー - アルファロメオ
編集バスールは他のカテゴリーでも多くの仕事を抱えており、ルノーを去った後もF1に留まろうという考えは特に持っておらず[W 11]、ARTグランプリの運営に戻っていた[W 12]。しかし、ルノーを離脱してほどなく、ザウバーからの接触を受け、チーム代表への就任を打診され、これを引き受けた[W 11]。
2017年7月、バスールはザウバーのチーム代表兼CEOに就任した[W 9]。就任時点で同チームはランキング最下位であり、当時のチームオーナーであるロングボウ・ファイナンスのパスカル・ピッチから、チームの立て直しを託されたバスールは、まず、ザウバーにパワーユニット(PU)を供給していたフェラーリとの関係を再構築し、強化することを最初の目標とした[W 11]。
そのため、前任者のモニシャ・カルテンボーンがホンダと覚書を交わしていた翌年のホンダPU搭載計画を中止し、フェラーリの最新型PUの搭載契約を締結した[W 13](詳細は別項を参照)。並行して、当時、フェラーリのCEOであるセルジオ・マルキオンネがCEOを兼務していたフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)傘下のアルファロメオをスポンサーとし、マルキオンネが目標としていた「アルファロメオ」ブランドの再興に協力する体制とし[W 13]、チームの基礎を固め直した。
バスールの前任者のカルテンボーンがザウバーの指揮を執っていた当時、チームのランキングは最下位である10位に頻繁に位置していたが[注釈 4]、バスールの就任以降、年間ランキングで最下位を記録することはなくなった。2018年のザウバーはランキング8位に浮上し[W 2]、チームが「アルファロメオ・レーシング」となって以降も8位を維持し、2021年は9位となるが、2022年にはザウバー時代の2012年以来となるランキング6位を獲得した[1][W 14]。
スクーデリア・フェラーリ
編集2022年12月にザウバー・モータースポーツAGからの離脱を発表し、翌2023年からスクーデリア・フェラーリのチーム代表(チーム内の肩書はゼネラルマネージャー)に就任した[W 15]。イタリア以外の国籍の人物がフェラーリのチーム代表を務めるのは、2007年までチーム代表を務めた同じフランス人であるジャン・トッド以来となる[W 16]。この人事は、ステランティスのCEOであるカルロス・タバレスの推薦によるものだと言われている[W 17][注釈 5]。
人物
編集- 自身のチームである「ASM」や「ARTグランプリ」の命名者でもあるが、「ASM」や「ART」は何かの略語というわけではなく、意味は持たないという[注釈 6]。
- バスールはARTグランプリで数多くのドライバーの育成に携わっており[1]、下位カテゴリーでバスールのチームに所属していたドライバーとF1で(偶然)再び組んでいるケースがある。
- 2009年-10年シーズンのGP2アジアシリーズで1戦のみARTグランプリから参戦[W 11]。F1では2017年から2018年にかけてザウバーに在籍。
- GP3時代の2016年にARTグランプリに所属しているほか、ルクレールのゴーカート時代から6年間に及ぶ仕事関係があったとバスールは述べている[2]。F1では2018年にザウバーに在籍[注釈 7]、2023年にバスールがフェラーリのチーム代表となったことで、再び同じチームとなる。
- F3/GP3時代の2009年から2011年にかけてARTグランプリに所属。F1では2022年にアルファロメオに加入。
交渉手腕
編集2017年7月にザウバーのCEO兼チーム代表になった際、バスールが最初に行った仕事は、前任者のモニシャ・カルテンボーンがホンダと交わしていた「翌年からホンダ製パワーユニット(PU)を搭載する」という覚書の破棄だった[4]。バスールはCEOに就任した7月17日当日にこの交渉をホンダの山本雅史と行った[4][5]。この時点で、ホンダ(山本)もザウバーにPU供給する意思はなくなっており[注釈 9]、バスールとホンダ(山本)の間にはGP2においてARTグランプリに松下信治を乗せていた縁で既に関係があったため、この交渉はスムーズに進められた[4][5]。バスールは山本との交渉にあたって、ザウバーがホンダのPUを搭載しないのは「マクラーレンのギアボックスを使えないため」という理由をあらかじめ用意するなどして、当事者の誰も悪者にならないためのシナリオまで準備していたという[4][5][注釈 10]。ホンダとの覚書を円満に破棄したことで、バスールはチーム代表就任から間もない内にザウバーとフェラーリとの契約(継続)を発表することができた[4](ホンダとの合意解消を7月27日に発表し、フェラーリとの新契約を7月28日に発表[W 20])。
交渉相手だった山本は、この速さについて衝撃を受けたということや[9]、契約解消後も友好的な関係を築いたバスールに感謝しているといったことを述べている[8]。
家族
編集1999年7月31日に結婚。子供が4人いる[1]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 実際の車体製造はダラーラに委託しているほか、電動パワーユニットの製造なども他社が手掛けている[W 8]。
- ^ 前任のチーム代表はジェラール・ロペス。同チームは前年まではロータスF1チームとして参戦しており、前オーナーだったルノーが前年末に買い戻したばかりだった。
- ^ この年、パワーユニット関連の権限は以前から所属していたアビテブールが持っていた[W 10]。
- ^ カルテンボーンは2012年10月にチーム代表に就任し、2013年から2017年までの5シーズンで、ザウバーは年間のコンストラクターズランキングで最下位(10位)を3回記録している。
- ^ 当時、フェラーリとエクソール(フェラーリとステランティス双方の大株主)の会長を兼務していたジョン・エルカーンは、タバレスを頼りにしていたことから、その助言に従ったとされる[W 17]。
- ^ レース関係でこうした名称はたいてい何かの略語なので、かなり珍しいケースにあたる。
- ^ 当時のザウバーにおいて、シートのひとつの決定権は実質的にはスクーデリア・フェラーリが握っており、2017年の時点では、フェラーリはアントニオ・ジョヴィナッツィの起用をザウバーに求める可能性が高いと思われていたが、ルクレールの起用を希望する旨をバスールは伝えていた[3]。
- ^ ハミルトンのフェラーリへの移籍はエルカーンの説得によるものだと考えられている[W 18]。この移籍が発表されたのは2024年1月で、エルカーンからハミルトンへの最初の電話はその前年2023年春だったと言われている[W 19]。ハミルトンは同年夏(8月)にメルセデスとの契約延長を発表したが、年末に翻意してフェラーリと契約を結ぶことにした[W 19]。
- ^ ホンダとしては、ザウバーへの供給には、マクラーレンとの2チーム供給という大前提があった[4]。その最大の理由は、2チーム目に日本人ドライバー(この時点では松下信治)を乗せたいという思惑があったためである[6]。ザウバーとの覚書を交わしたのは同年4月末だったが、4月半ばの第3戦バーレーンGPを契機にホンダとマクラーレンの関係は急速に悪化しており[7]、バスールがザウバーのチーム代表に就任した7月時点で、ホンダはマクラーレンへの供給を終了する方向(トロロッソを介してレッドブル陣営と接近する方向)で動いていたため、勝つ力のあるチームと組みたいと考えていたホンダとしても、この時点でテールエンダーのザウバーへの単独供給は避けたいという意向を持っていた[8]。
- ^ そのため、当時のインタビューでは、バスールはマクラーレンのギアボックスを使うわけにはいかないということをやむを得ない事情であるかのようにたびたび話している。(便宜的な作り話であるため)マクラーレンからはザウバーにも供給可能だと否定するコメントが当時から出ている[3]。
出典
編集- 出版物
- ^ a b c d F1速報 Vol.2 2024年バーレーンGP号、「エフワン首脳人物伝 第1回 フレデリック・バスール」(マシアス・ブルナー) p.69
- ^ アイスマン(クルタ/五十嵐2021)、「142 チーム代表にとって出来の良い息子」
- ^ a b F1速報 2017年ハンガリーGP号、「ザウバーの翻意で、マクラーレンが“追い込まれた”」(ルイス・バスコンセロス) p.5
- ^ a b c d e f 歓喜(尾張2022)、第4話「ザウバーとの覚書」 pp.29–33
- ^ a b c 勝利の流れをつかむ思考法(山本2022)、p.54
- ^ 勝利の流れをつかむ思考法(山本2022)、p.50
- ^ 歓喜(尾張2022)、第2話「損失補填」 pp.18–24
- ^ a b 勝利の流れをつかむ思考法(山本2022)、p.52
- ^ 勝利の流れをつかむ思考法(山本2022)、p.56
- ウェブサイト
- ^ a b c d e f “Frédéric Vasseur” (英語). Sauber Group. 2022年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月23日閲覧。
- ^ a b “Exclusive interview with Frédéric Vasseur” (英語). GlobeAir (2018年). 2022年11月26日閲覧。
- ^ a b c d “ART Grand Prix - History” (英語). ART Grand Prix. 2022年11月26日閲覧。
- ^ a b c d Charles Bradley (2016年2月4日). “Vasseur: Now is right time for F1 step with Renault” (英語). Motorsport.com. 2022年11月26日閲覧。
- ^ Ben Anderson (author), Mitchell Adam (co-author) (2016年3月4日). “Renault F1 job means no time for ART GP, says founder Vasseur” (英語). Autosport. 2022年11月26日閲覧。
- ^ “New FIA Formula E Championship powered by electric energy” (英語). Formula E official website (2012年8月1日). 2022年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月23日閲覧。
- ^ 朴尚洙 (2012年8月28日). “電気自動車のF1「Formula E」が2014年に開幕、第1戦はリオデジャネイロ”. ITmedia. 2022年11月26日閲覧。
- ^ a b “FE unveils new Spark-Renault SRT_01E at Frankfurt Motorshow” (英語). 国際自動車連盟(FIA) (2013年9月10日). 2022年11月26日閲覧。
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- ^ Ian Parkes (2016年1月15日). “Renault set to appoint ART's Vasseur to Formula 1 team role” (英語). Autosport. 2022年11月26日閲覧。
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- ^ Adam Cooper (2022年11月24日). “アルファロメオ・ザウバー、2012年以来のランキング6位獲得。プラス14億円の配当金が「大きな違いを生む」”. Motorsport.com. 2022年11月26日閲覧。
- ^ “アルファロメオF1のバスール代表、2023年1月よりフェラーリのチーム代表兼ゼネラルマネージャーに就任”. Auto Sport web. 三栄 (2022年12月13日). 2022年12月14日閲覧。
- ^ Tom Clarkson(聞き手) (2023年8月31日). “FULL TRANSCRIPT: Read every word from Ferrari boss Fred Vasseur's Beyond The Grid interview” (英語). Formula One official website. Formula One World Championship Limited. 2024年8月4日閲覧。
- ^ a b “F1史上まれにみるチーム体制リシャッフル。フェラーリ、ザウバー、マクラーレンの新首脳がチームにもたらす効果を探る”. Auto Sport web. 三栄 (2022年12月15日). 2023年1月14日閲覧。
- ^ James Dielhenn (2024年3月13日). “Ferrari president John Elkann breaks silence on Lewis Hamilton’s big decision” (英語). GlobeAir. 2024年5月3日閲覧。
- ^ a b Lawrence Barretto (2024年2月1日). “How Lewis Hamilton’s sensational move from Mercedes to Ferrari played out” (英語). Formula1.com. 2024年5月3日閲覧。
- ^ “ザウバーF1、ホンダとの提携取りやめ、フェラーリとパワーユニット契約。2018年は最新仕様搭載へ”. Auto Sport web. 三栄書房 (2017年7月28日). 2022年11月26日閲覧。
参考資料
編集- 書籍
- Heikki Kulta (2020). Iceman - Kimin Matkassa. Readme.fi. ISBN 978-9523730748
- ヘイキ・クルタ(著者)、五十嵐淳(訳)『ICEMAN アイスマン キミ・ライコネンの足跡』三栄、2021年10月17日。ASIN B09JNKCD81。ISBN 978-4-7796-4472-6。 NCID BC1044517X。
- 尾張正博『歓喜 ホンダF1 苦節7年、ファイナルラップで掴みとった栄冠』インプレス、2022年4月1日。ASIN 429501365X。ISBN 978-4-295-01365-5。 NCID BC13482933。
- 山本雅史『勝利の流れをつかむ思考法 F1の世界でいかに崖っぷちから頂点を極めたか』KADOKAWA、2022年10月6日。ASIN 4046059990。ISBN 978-4046059994。 NCID BC17161636。
- 雑誌 / ムック
- 『F1速報』(NCID BB22714872)
- 『2017年 ハンガリーGP号』三栄書房、2017年8月31日。ASIN B01MRUTFRZ。ASB:FSH20170803。
- 『2024 Vol.2 第1戦バーレーンGP号』三栄、2024年3月29日。ASIN B0C6XHNVMV。ASB:FSH20240308。
外部リンク
編集- Frédéric Vasseur - Scuderia Ferrari