パリの恋人
『パリの恋人』(ぱりのこいびと Funny Face)は、1957年のアメリカ合衆国のロマンティック・コメディのミュージカル映画。主演はオードリー・ヘプバーンとフレッド・アステア。ヘプバーンは本作が初めてのミュージカル映画。監督は『恋愛準決勝戦』でアステアと組んだスタンリー・ドーネン。ドーネンは、後に『シャレード』と『いつも2人で』でもヘプバーンと組んだ。
パリの恋人 | |
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Funny Face | |
監督 | スタンリー・ドーネン |
脚本 | レナード・ガーシュ |
製作 | ロジャー・イーデンス |
出演者 |
オードリー・ヘプバーン フレッド・アステア ケイ・トンプスン ミシェル・オークレール ロバート・フレミング |
音楽 |
ジョージ・ガーシュウィン ロジャー・イーデンス |
撮影 | レイ・ジューン |
編集 | フランク・ブラクト |
配給 | パラマウント映画 |
公開 |
1957年2月13日 1957年9月28日 |
上映時間 | 103分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $3,000,000(見積値)[1] |
ストーリーとナンバー
編集(Main titles(Overture) : Funny Face/'S Wonderful)ファッション雑誌『クオリティー』の編集長マギーは次号の掲載予定の内容に満足していない。編集者たちを呼び寄せて不満を述べている最中に「ピンクで行こう!(Think Pink!)」と思いつく。
世間がピンクでいっぱいになると、さらにその次の号では「ファッションに興味のない女性のための服」という特集を考えた。マギーはカメラマンのディックや編集者やモデルを連れてロケするために早速グリニッジ・ビレッジに繰り出した。ある古本屋に目を付け、その店で働くジョーを追い出し、勝手に掻き回し始める。撮影が終わった後、散らかされた店内にジョーは呆然。後片付けにはディックが残されていた。本を片付けながら、ジョーは自分が心酔している共感主義のことを語る。するとディックはジョーにキスをする。突然のことにどぎまぎしたジョーはディックを追い出すが、1人になった後、この高揚した気持ちは何なのかと撮影隊が忘れた帽子とともに踊る(How Long Has This Been Going On?)。
しばらくのちに、マギーは次の一手として、ミス・クオリティーを選んで、パリのトップデザイナーとの独占契約で他誌を出し抜くと息巻いていた。ディックが推薦するのはあの古本屋のジョー。あんなおかしな顔はダメよ!とマギーは一蹴するものの、ディックは今までにいないタイプで活き活きしてフレッシュだとジョーを推す。とりあえず古本を買うと言ってジョーに持ってこさせ、編集者による品定めが始まる。髪を切りましょうと言ってハサミを取り出したマギーに驚いて、ジョーは暗室に逃げ込むが、そこでジョーはディックに会い、ディックはジョーをミス・クオリティーに推薦したことを話す。ジョーはこんな変な顔ではモデルになんてなれないわと言うが、ディックはパリに行けば君の共感主義のフロストル教授にも会えると説得する(Funny Face)。ジョーはマギーの元へ戻り、ミス・クオリティーの仕事を引き受ける。
早速3人はパリへ飛び立ち、おのぼりさんでもいいじゃないかとパリを観光して回る(Bonjour, Paris!)。ところが次の日のスケジュールをジョーに話していなかったため、ジョーは共感主義者の溜まり場のカフェに行ってしまい、ショーの打ち合わせができなかった。ようやくジョーを見つけたディックは共感主義者たちをからかったため、ジョーは怒ってストレス発散に踊る(Basal Metabolism)。ディックはジョーを滞在先のアパートに送っていって、仲直りにと歌とダンスを披露した(Let's Kiss And Make Up)。
翌日、ショーの準備が始まり、デザイナーは「君たちが連れてきたのはイモムシだった。それが極楽鳥になった!」とジョーを紹介する。マギーも驚くほどの完璧な変身ぶりであった。
そして翌日からはパリのあちこちでモデル撮影が開始された。最初は慣れないモデル撮影でどうしていいかわからないジョーであったが、やがて自らポーズを付けられるようになっていく。その撮影の間に、ジョーとディックは惹かれ合い、ロケの教会でお互いの気持ちを確認し合う(He Loves And She Loves)。
ミス・クオリティー発表会が近づいてくるが、ジョーはどうしていいかわからないとマギーに相談する。マギーはジョーに発表会での受け答えを指導する(On How To Be Lovely)。
発表会当日、ジョーはアパートを出る際にカフェにフロストル教授が来ていることを知る。どうしても会いたくなったジョーは伝言を残してカフェに行く。やがてディックが来て、ジョーを急いで発表会に連れ戻す。その時の態度が教授に失礼だと、発表会の舞台裏ではジョーとディックは大ゲンカ。セットは壊れ、世界中からマスコミが集まっていた発表会は水浸しの台無しになる。
翌日はファッションショーなのだが、肝心のジョーは来ない。フロストル教授のところだろうと、ディックとマギーはそれらしい格好に着替えて潜入する。ジョーがフロストル教授と2階へ行くのを見つけたディックとマギーは歌と踊りを披露しながら徐々に2階へ上がって行く(Clap Yo' Hands)。2階へ辿り着いた2人はジョーを説得するが、ジョーは戻らないと言う。諦めて2人は出ていき、ディックはホテルに戻った後、アメリカに戻ると言う。ところが2人きりになるとフロストル教授はジョーに迫ってくる。目が覚めたジョーは大慌てで逃げ出し、ファッションショーに戻ってくる。何とかディックを捕まえて欲しいとマギーに頼み、ジョーはファッションショーに出演する。ファッションショーは大成功だったが、ディックは捕まらなかった。ショーが終わるとジョーは泣きながら駆け出し、2人の思い出の撮影地の教会へ行く。そこへ空港でフロストル教授と出会って事の顛末を知ったディックがやって来て、2人は抱き合うのだった('S Wonderful)。
キャスト
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役名 | 俳優 | 日本語吹替 | ||
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東京12ch版 | ソフト版 | 機内上映版 | ||
ジョー・ストックトン | オードリー・ヘプバーン | 坂口美奈子 | 池田昌子 | 勝生真沙子 |
ディック・エイブリー | フレッド・アステア | 家弓家正 | 小川真司 | 富山敬 |
マギー・プレスコット | ケイ・トンプソン | 来宮良子 | 谷育子 | |
エミール・フロストル教授 | ミシェル・オークレール | 小林昭二 | 石塚運昇 | 小島敏彦 |
ポール・デュバル | ロバート・フレミング | 嶋俊介 | 稲葉実 | 池田勝 |
マリオン | ドヴィマ | 平井道子 | 内川藍維 | 稀代桜子 |
バブス | ヴァージニア・ギブソン | 斎藤恵理 | 金野恵子 | |
レティ | ルータ・リー | 松尾佳子 | 佐藤しのぶ | 滝沢久美子 |
ドヴィッチ | アレックス・ゲリー | 辻親八 | 村松康雄 | |
アルマンド | イフィジェニー・カスティグリオニ | 高橋和枝 | 福田如子 | さとうあい |
詩人 | ? | 矢田稔 | ||
神父 | ? | 千葉順二 | 宝亀克寿 | 石森達幸 |
ラファルジュ | エリザベス・スライファー | 園田昌子 | 片岡富枝 | |
ガイド | ? | 青野武 | 星野充昭 | 小室正幸 |
マルセル | ポール・ビシリア | 納谷六朗[注 1] | 吉田孝 | |
メリッサ | ナンシー・キルガス | 坂井すみ江 | 服部真季 | 種田文子 |
スティーブ | ポール・スミス | 納谷六朗 | ||
“Think Pink”のダンサー | スージー・パーカー | |||
サニー・ハートネット |
スタッフ
編集- 監督:スタンリー・ドーネン
- 製作:ロジャー・イーデンス
- 脚本:レナード・ガーシュ
- 撮影:レイ・ジューン
- ビジュアル・コンサルタント:リチャード・アヴェドン
- 編集:フランク・ブラクト
- 衣装:イーディス・ヘッド、ユベール・ド・ジバンシィ
- 音楽監督:アドルフ・ドイチュ
- 音楽:ジョージ・ガーシュウィン、ロジャー・イーデンス
- 歌詞:アイラ・ガーシュウィン、レナード・ガーシュ
- 振付:ユージン・ローリング、フレッド・アステア、スタンリー・ドーネン
日本語版
編集- | 東京12ch版 | ソフト版 | 機内上映版 |
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演出 | 旭谷暘 | 伊達康将 | |
翻訳 | 磯崎松江 | 桜井裕子 | 岩佐幸子 |
制作 | 東北新社 | 日本航空 東北新社 |
製作
編集ベースになったのは脚本家のレナード・ガーシュが1951年、ブロードウェイのために書いた『結婚の日』という台本である[4][5][6]。ガーシュが親しい友人になった写真家リチャード・アヴェドンの半生をもとに書いたもので[4]、最初は別の音楽が付いていた[6][7]。それがMGMミュージカル制作の第一人者ロジャー・イーデンスの目にとまり、『踊る大紐育』で一緒に仕事をしたスタンリー・ドーネンが監督をすることになった[6][7]。
ガーシュがドーネンにシナリオを読んでいると、暗室の場面で「これじゃモデルなんかになれない。変な顔(Funny Face)」という部分でガーシュとドーネンの目が合い、ドーネンが「ここであの歌を使える!」と叫び、ガーシュも「ガーシュウィン!」と叫んだ[7]。二人は1927年にフレッド・アステアが出演した舞台『ファニー・フェイス』のためのジョージ・ガーシュウィンとアイラ・ガーシュウィンのスコアから歌を探したところ、「我々が設定した新しい場面に合うように初めからできていたのではないかと思えるほど」だったという[7]。
題名を『Funny Face(『パリの恋人』の原題)』と変え、新曲をロジャー・イーデンスとレナード・ガーシュで追加し、オードリー・ヘプバーンとフレッド・アステアに出演依頼がなされた[8][6]。ヘプバーンは重厚な『戦争と平和』の次の作品のため軽い作品を望んでおり[8][7][9]、フレッド・アステアと踊れるということで大喜びで出演を引き受けた[6][8][4][9]。フレッド・アステアはヘプバーンが共演を望んでいると言うことで、一生に一度しかない共演のチャンスを逃したくないと思い、ほかの仕事を全てストップするように指示した[6][10]。
しかし当初パラマウントは契約していたヘプバーンの貸し出しを拒否[6][4][7]。アステアはこの企画が実現しないだろうとまで言われていたが、ヘプバーンが望むなら必ずなんとかなると信じていた[6][10]。結局、将来ヘプバーンがMGMのために1本出演するという契約で企画全体がパラマウントに売られ、パラマウントで製作されることとなった[5][9][4][11]。歌の収録前、ヘプバーンは4週間に渡り発声訓練を続けた[8]。MGMでジュディ・ガーランドなどの歌手兼女優の発声コーチをした経験のあるケイ・トンプソンも応援で駆り出され、ヘプバーンをコーチしている[8]。
キャラクター設定
編集フレッド・アステアが演じるカメラマンのディックは当時ファッション写真家として全盛期にあったリチャード・アヴェドンの半生がモデルになっている[4][6][12]。この映画では実際にアヴェドンがビジュアル・コンサルタントとして関わっている[4][8][7][13]。
ケイ・トンプソン演じるファッション雑誌編集長マギーは、『ヴォーグ』の編集長ダイアナ・ヴリーランド[4][8][14]、あるいは『ハーパース・バザー』の編集長カーメル・スノウをモデルにしており[6]、作家でありキャバレーのスターでもあるケイ・トンプソン自身を念頭に置いて創られている[4][8]。
賞歴
編集- ノミネート
- アカデミー脚本賞:レナード・ガーシュ
- アカデミー撮影賞 :レイ・ジューン
- アカデミー美術賞:ハル・ペリーラ、ジョージ・W・デーヴィス、サム・カマー、レイ・モイヤー
- アカデミー衣装デザイン賞:イディス・ヘッド、ユベール・ド・ジバンシィ
- ノミネート
- パルム・ドール:スタンリー・ドーネン
- ノミネート
- 全米監督協会賞 長編映画監督賞:スタンリー・ドーネン
- 受賞
- トップ10フィルム賞
- 特別賞(フォトグラフィックの革新に対して)
- ノミネート
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
ローレル賞(en:Laurel Awards)
編集- ノミネート
- ミュージカル男優賞:フレッド・アステア(4位)
- ノミネート
- アメリカンミュージカル賞:レナード・ガーシュ
- ノミネート(2007年)
- ベストクラシックDVD賞:50周年記念バージョンに対して
後世への影響
編集本作でデザイナーへの道を志すきっかけとなったケースは、ほかのどの映画よりも多いと言われている[15]。影響を受けたデザイナーにはジェフリー・バンクス[15]、アイザック・ミズラヒ[8][15] などがいる。また、後にヘプバーン最後の映画『オールウェイズ』を撮ることになるスティーヴン・スピルバーグはティーン・エージャーの頃、両親に無理矢理連れて行かれて『パリの恋人』をドライブインで見た[15]。そしてヘプバーンを見た途端スピルバーグはすっかり魅了されたという[15]。
『神経衰弱ぎりぎりの女たち』のタイトルバックに関して、手掛けたファン・ガッティは「『パリの恋人』をベースにしている」と語っている[16]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 役名を「スティーブ」とされている。本来のスティーブは、ジョーがいる古本屋へ押しかける時のカメラ機材を運ぶディックの助手で、マルセルはジョーがモデルになってからのディックの助手である。納谷は実質2役を吹き替えている。
出典
編集- ^ “Funny Face (1957) - Box office / business” (英語). IMDb. 2011年5月18日閲覧。
- ^ CIC・ビクタービデオ株式会社発売 PDF-71(2001年11月22日発売)『パリの恋人』DVD
- ^ “パリの恋人[吹]機内上映版”. スター・チャンネル. 2023年1月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i チャールズ・ハイアム『オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生』近代映画社、1986年3月15日初版発行、132-135頁。
- ^ a b ジェリー・バーミリー『スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン』シンコー・ミュージック、1997年6月13日、38,101-102頁。
- ^ a b c d e f g h i j ロビン・カーニー『ライフ オブ オードリー・ヘップバーン』キネマ旬報社、1994年1月20日、75-77頁。
- ^ a b c d e f g アレグザンダー・ウォーカー『オードリー リアル・ストーリー』アルファベータ、2003年1月20日、179-181,185頁。
- ^ a b c d e f g h i バリー・パリス『オードリー・ヘップバーン 上巻』集英社、1998年5月4日初版発行、256-257,259-260,269-270頁。
- ^ a b c イアン・ウッドワード『オードリーの愛と真実』日本文芸社、1993年12月25日初版発行、196-199頁。
- ^ a b フレッド・アステア (2006年10月1日). 『フレッド・アステア自伝 Steps in Time』. 青土社
- ^ MGMとの契約が後の『緑の館』になる(イアン・ウッドワード『オードリーの愛と真実』p197)
- ^ 日本コロムビアや20世紀フォックスからDVDが発売され、BS11でも放送された『想い出のオードリー・ヘプバーン』でオードリー・ヘプバーンもそう発言している。
- ^ Richard Avedon, Avedon Fashion 1944-2000, Harry N. Abrams:2009, p19
- ^ ヘプバーンの伝記では「ヴォーグ」の編集長と書かれているが、『パリの恋人』撮影時のヴリーランドはまだ「ヴォーグ」の編集長ではなく、「ハーパース・バザー」の編集者である。ただし、アヴェドンと組んで仕事をしていたのはヴリーランドである。(「20世紀ファッション界の女帝、ダイアナ・ヴリーランドの秘密に迫る映画『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』」ファッションポストニュース.2012年11月26日.)
- ^ a b c d e パメラ・クラーク・キオ『オードリー・スタイル』講談社、2000年12月18日、75-77頁。
- ^ pen[ペン]p44. 阪急コミュニケーションズ. (2004年No.139 10月15日号)