木の実ナナ
木の実 ナナ(きのみ ナナ、本名:池田 鞠子(いけだ まりこ)[1]、1946年〈昭和21年〉7月11日 - )は、日本の女優、歌手である。東京都・向島区寺島町(現在の墨田区東向島)出身[1]。所属事務所はダンカンミュージック。身長160cm。B85cm、W59cm、H86cm[2]。城西高等学校中退[3]。
きのみ なな 木の実 ナナ | |
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本名 | 池田 鞠子(いけだ まりこ) |
生年月日 | 1946年7月11日(78歳) |
出生地 | 日本・東京都向島区寺島町(現墨田区東向島) |
身長 | 160 cm |
血液型 | B型 |
職業 | 女優・歌手 |
活動期間 | 1962年 - |
活動内容 | テレビドラマ、映画、舞台など |
配偶者 | 独身 |
著名な家族 | 木の実まこ(妹) |
事務所 | ダンカンミュージック |
公式サイト | 木の実ナナホームページ |
主な作品 | |
テレビドラマ 『混浴露天風呂連続殺人』シリーズ 『霊感を売る女たち』 『霊感を呼ぶ女たち』 『万引きGメン・二階堂雪』シリーズ 『温泉名物女将!湯の町事件簿』シリーズ 『震える手』 『デパ地下の女』シリーズ 『ドクター・ヨシカの犯罪カルテ』シリーズ 映画 『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』 『汚れた英雄』 『もっともあぶない刑事』 歌 『おまえさん』 『うぬぼれワルツ』 『居酒屋』 『NANA』 『紅ほおずき』「あぶない刑事」 |
来歴
編集父はトランペット奏者[4]、母は踊り子[4]。父が19歳、母が20歳の時に生まれた。体が弱く、3歳まで歩けなかった[5]。その後、身体を鍛えるために5歳からバレエを始めると直ぐにのめり込み、ダンサーに憧れを持つ。花柳界の中で育ったため[4]、芸者が夏の時期に浴衣に手桶を持って銭湯に行く姿を見て、「カッコイイナー」と思い[4]、大きくなったら絶対に芸者になろうと決心していた[4]。
中学3年生16歳[4]の時に渡辺プロダクション主催の新人オーディションがジャズ喫茶「新宿ACB」で開催され、友人の付き添いで参加[4]。受験する友人は緊張の余り固まってしまい、困った司会者より「じゃあ! 君が代わりに唄って!」と指名され、堂々とした唄いっぷりもあって優勝した。その後、猛反対する父親を「絶対に半端なことはやりません」などと説き伏せ[4]、芸能界入りした。このため30歳過ぎても親に仕事の話をすることはなかったという[4]。この頃にザ・ドリフターズの専属歌手として唄っていたこともあるという[6]。
デビュー曲は「東京キカンボ娘」(1962年8月10日、菊村紀彦作詞・作曲)[2]。「木の実ナナ」の芸名は、この時に菊村によってつけられた。漢字、ひらがな、カタカナの三つがそろった名前は、菊村が「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」という思いを込めたものだという[7]。「着の身着のまま」が芸名の由来という説は、自身が否定している[注釈 1][7]。
1962年、音楽番組『ホイホイ・ミュージック・スクール』(日本テレビ)でテレビデビュー[4]。当時、この番組のイメージにより「ホイホイ娘」と呼ばれていた。当時は歌番組も少なく[4]、歌って踊れる木の実は貴重な存在だった[4]。「(1978年のインタビューで)芸能界も変ったなと思いますね。今は楽になったわね。私の新人のころときたら、楽屋の真ん中に座るな、スタジオの中で男と話をするなとか、いつも怒られてばかりよ。昔を思い出すと辛いけど、プラスにはなっています」などと話している[4]。人気アイドルがテレビ局を飛び回り、寝る時間もないというエピソードは、70年代以降の話だという[4]。1967年には「ミニ・ミニ・ロック」[8]という曲が小ヒットし人気を集めたものの番組終了と同時に低迷、前座歌手をする日々が続く。ヒット曲になかなか恵まれず、心機一転として1970年に本場のショー・ビジネスを学ぼうと決意し渡米する。
1973年、帰国後に劇団四季のミュージカルに自ら応募し、同年『アプローズ』に出演する。これがヒット作となり、自身も高い評価を受けて舞台女優としての地位を確立した。この時に主演を務めた越路吹雪とは、共演を機にプライベートでも親しく付き合うようになり、多大な影響を受けたという。以後、多数のミュージカルに出演するようになった。
1974年から始まった、細川俊之との歌と踊りとしゃれた会話でつづる二人芝居『ショーガール』は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなる。1975年、芸術選奨新人賞受賞。1976年、紀伊國屋演劇賞受賞。
1975年、小沢昭一主宰の劇団「芸能座」の旗揚げ公演『清水次郎長伝・伝』に参加する(次郎長の妻・お蝶役)。小沢、加藤武、山口崇、山谷初男、猪俣光世、音楽担当の神津善行、薗田憲一とデキシーキングス、座付き作者の永六輔らと共に旅興行に出る(飯塚・嘉穂劇場など)[9]。
1977年頃、西田敏行や武田鉄矢と共に、バラエティー番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』に出演し、コントを披露する。また、1982年の五木ひろしとのデュエット曲「居酒屋」は大ヒットを記録した。
1992年、自伝エッセイ『下町のショーガール―ナナの愛と喝采の日々』が、NHKTVにて『六畳一間一家六人』の題名でドラマ化(全11回)し、自らも主人公の母親役で出演。
2015年、舞台『南阿佐ヶ谷の母』の沖縄公演終了後の10月24日に左大腿骨を骨折する。11月3日からの紀伊國屋ホールの公演では、演出を変更して車いすで出演した[10][11]。
人物
編集- 墨田区立寺島中学校卒業、城西高等学校中退。
- 出身地付近は鳩の街と呼ばれた歓楽街だった。幼少期は、彫りの深い独特の顔立ちから混血児に間違えられ、いじめられた経験がある。
- 読売新聞1978年9月3日付のインタビューでは「好きな男性のタイプは高倉健さん(木の実は年上でも年下でも相手をさんづけで呼ぶ[4])。あと最近出演した『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』の山田洋次監督さんも理想の人物。もし山田さんが離婚したら、『結婚して!』と胸にすがりつくかも」と物騒なことを言っていた[4]。将来の目標は「杉村春子さん、水谷八重子さん、尾上松緑さん、長谷川一夫さん、越路吹雪さんを、ミキサーに入れて出てきたのが私でありたいの。杉村さんは普段はとてもやさしくて、文学座のボスという感じがしないの。でも、私がその年になったら、今の杉村さんより芸で上でなければいけないと考えるの。すると勉強が足りない……。そう考えると夢があって楽しいわ」などと話していた[4]。
- 『万引きGメン・二階堂雪』で共演していたあき竹城とは仲が良い(2人で旅行に行くほどで、脚本家に「もっとあきちゃんとの場を増やして」とお願いしたこともある)。また、角替和枝とも親交があった。
- 1992年頃、更年期うつ病を発症した。現在は医師の治療と周囲のサポートにより、回復している。2000年にはシオノギ製薬の新聞広告で「私は、バリバリの「鬱」です」というキャッチコピーを擁した広告に登場したことがある[12]。
- 趣味はスキューバダイビング。
- 芸能界有数のディズニーグッズマニアであり、楽屋や部屋はディズニーグッズで埋め尽くされている。2002年2月12日に『笑っていいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」に出演した際、花束と一緒に1つミッキーのぬいぐるみが置かれていたが、その時「あ〜! 可愛い〜!!」と大興奮し、司会のタモリを驚かせたことがある。
- 実妹も1970年代に木の実まこ[注釈 2]という芸名で歌手デビューし、1枚のシングルレコードを残している。1980年代になってライオンの生理用品のCMで共演している。
- TBSラジオのヘビーリスナーである。
- 「混浴露天風呂連続殺人」シリーズで共演した古谷一行が2022年8月23日に亡くなり、訃報が同年9月2日に発表されたときは、ショックを受け泣き崩れたという。後に、NEWSポストセブンで最後の手紙としてしたためた。
- 「あぶない刑事」シリーズでは松村優子役でレギュラー出演し、1986年放送開始のテレビ1作目から2016年公開の映画「さらば あぶない刑事」まで出演していたが、2024年5月に公開される映画「帰ってきた あぶない刑事」には出演せず、本人曰く「前作で卒業という形になってます。いい形でおわれました。」と語っている。
受賞
編集- 1974年、ゴールデン・アロー賞演劇新人賞「ショーガール」[13]
- 1974年、芸術選奨文部大臣新人賞「ショーガール」[13]
- 1975年、菊田一夫演劇賞新人賞[13]
- 1976年、紀伊国屋演劇賞(第11回)「雨」[13]
- 1984年、松尾芸能賞(演劇優秀賞)[13]
- 1988年、ゴールデン・アロー賞演劇賞・大賞「ショーガール」※細川俊之と連名[13]
- 1992年、放送文化基金賞演技賞(第18回)「女相撲」[14]
- 2001年、読売演劇大賞(選考委員特別賞,第8回)「ロス・タラントス」[13]
- 2001年、ベストジュエリードレッサー賞[14]
- 2003年、浅草芸能大賞(奨励賞,第19回)[13]
出演
編集テレビドラマ
編集- ザ・ガードマン(TBS)
- 第86話「悪者たちは死んだ」(1966年)
- 第94話「美しいスパイたち」(1967年)
- レモンのような女 第3話「燕がえしのサヨコ」(1967年、TBS)
- キイハンター (TBS / 東映)
- 第152話「おー新婚!ハレンチ追跡旅行」(1971年)
- 第228話「女忍者対ギャング変身大作戦!」(1972年) - 茜
- バーディ大作戦 第1話「連続ピストル強盗団」(1974年、TBS)
- 北斗の人 第5話「師範代の日々」(1974年、関西テレビ) - お蘭
- 風と雲と虹と(1976年、NHK)
- 大都会 闘いの日々 第25話「アバンチュール」(1976年、日本テレビ / 石原プロ) - アキコ
- 港町純情シネマ(1980年、TBS) - 野村政子
- 東芝日曜劇場
- 第1241回「あかねの空」(1980年9月21日、北海道放送) - 木藤エリ・千原夏 (二役)
- 連続テレビ小説(NHK)
- 土曜ドラマ(NHK)
- 君はまだ歌っているか(1981年) - 高木亜沙子
- 五右衛門(1993年)
- 関ヶ原(1981年、TBS) - 出雲阿国
- 淋しいのはお前だけじゃない(1982年、TBS) - 由良常子
- 土曜ワイド劇場(朝日放送)
- 「混浴露天風呂連続殺人」シリーズ(1982年 - 2007年) - 山口かおり
- 「天才刑事・野呂盆六4」(2009年7月18日) - 氷見川霙
- 遠山の金さん(テレビ朝日 / 東映)
- 第1シリーズ 第39話「女賞金稼ぎ! 鬼薊のおりん」(1983年) - おりん
- 第1シリーズ 第104話「女賞金稼ぎ! 緋ぼたんおりんII」(1984年) - おりん
- 大奥 第17話「女の情に蛇が棲む」(1983年、関西テレビ) - おせん
- ザ・サスペンス「一億人を敵にした男 復讐するは我にあり」(1984年、TBS)
- オレゴンから愛(1984年、フジテレビ) - 宮内恭子
- たけしくん、ハイ!(1985年 - 1986年、NHK) - 西野真利子
- あぶない刑事シリーズ(日本テレビ) - 松村課長
- 火曜サスペンス劇場(日本テレビ)※主演作品
- 「霊感を売る女たち」(1987年、セントラルアーツ)
- 「霊感を呼ぶ女たち」(1988年、セントラルアーツ)
- 砂の上のロビンソン (1988年、NHK)
- 女流作家シリーズ「偽りのダイヤモンド」(1989年、テレビ東京)
- 女相撲(1991年、TBS) - 花緑親方 (同作品にて第18回 放送文化基金賞演技賞受賞)
- 六畳一間一家六人(1992年、NHK)
- 警部補 古畑任三郎(1994年5月18日、フジテレビ)第1シリーズ第6回「ピアノ・レッスン」 - 井口薫
- 花王ファミリースペシャル/裸の大将 第68話「清と自転車少年の夢」(1994年、関西テレビ) - 遼子
- 明るい家族計画(1995年、フジテレビ) - 竹原蘭子
- 渡る世間は鬼ばかり(1996年 - 2001年、TBS) - 秋葉満枝
- ナニワ金融道2(1996年10月8日、フジテレビ) - スナックのママ
- はみだし刑事情熱系 第22話「広域殺人! 記憶喪失の女」(1997年、テレビ朝日) - 平岡多恵子
- WHO!?(1997年、TBS) - 大福美乃
- ベストパートナー(1997年、TBS)
- ふたり(1999年、東映)
- 素敵に女ざかり2(1998年、NHKドラマ新銀河)
- 月曜ゴールデン「万引きGメン・二階堂雪」シリーズ(1998年 - 2011年、TBS)
- 海まで5分(1998年、TBS) - 華村かもめ
- 京都始末屋事件ファイル 第8話「保険金殺人疑惑! ワイドショーの罠!!」(1999年、テレビ朝日)
- 曲がり角の女たち(2000年、東映)
- 女の橋(2001年、東映)
- できちゃった結婚(2001年、フジテレビ) - 平尾公子
- 暴れん坊将軍XI 第11シリーズ 第7話「父恋し! 涙の子守唄」(2001年) - お春
- 金曜エンタテイメント「温泉名物女将!湯の町事件簿」シリーズ(2001年 - 2006年、フジテレビ) - 小柳国子
- はぐれ刑事純情派 新春SP(2002年) - 真木峰子
- 震える手(2003年、東映) - 杉野圭子
- ホシに願いを(2004年、NHKハイビジョン) - 皆川洋子
- デパ地下の女(2005年、東映)
- 特命!刑事どん亀 第3話「ニセ札女王の野望」(2006年、TBS)
- DRAMA COMPLEX「嘘をつく死体」(2006年、日本テレビ) - 牧えりか
- 水曜ミステリー9「ドクター・ヨシカの犯罪カルテシリーズ」(2006年 - 、テレビ東京) - 浜口ヨシカ
- 浅草ふくまる旅館(第2シリーズ)(2007年、TBS) - 佐藤和子
- 金曜プレステージ「妻たちからの三行半〜夫たちの(秘)離婚回避マニュアル〜」(2008年2月1日) - 作田和貴子
- パズル Piece4(2008年、テレビ朝日) - 栗原若葉
- 水曜ミステリー9「付き人女優・安野すみれ 楽屋裏事件ファイル」(2009年1月21日、テレビ東京) - 野々上弥生子
- 水曜ミステリー9「温泉女将ふたりの事件簿シリーズ」(2012年 - 、テレビ東京) - 一本木美智子⇒湯村美智子
- 金曜ロードSHOW!特別ドラマ企画「さよならドビュッシー 〜ピアニスト探偵 岬洋介〜」(2016年3月18日、日本テレビ) - 真田恭子 (特別出演)
- とげ 小市民 倉永晴之の逆襲(フジテレビ、2016年10月 - ) - 白銀佳代 [15]
映画
編集- 夢で逢いましょ(1962年) - 中井礼子
- 若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん(1963年) - 京子
- やぶにらみニッポン(1963年) - 砂里いづみ
- 続・若い季節(1964年) - 奈々江
- 「青春の言葉」より 風にきけ雲にきけ(1966年) - バスガイド
- クレージーの怪盗ジバコ(1967年) - 女性歌手
- 喜劇 大風呂敷(1967年) - 今井友子
- 日本一の男の中の男(1967年) - 中島えみ子
- やればやれるぜ全員集合!!(1968年) - 立花リカ
- ドリフターズですよ!盗って盗って盗りまくれ(1968年) - サリー
- 喜劇 右むけェ左!(1970年) - 大田百合子
- 大脱獄(1975年) - あき
- 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく(1978年) - 紅奈々子 ※第21作マドンナ
- 汚れた英雄(1982年) - 斎藤京子
- みゆき(1983年) - 竜一の母
- キネマの天地(1986年) - 華やかな女性歌手
- あぶない刑事シリーズ - 松村優子
- あぶない刑事(1987年)
- またまたあぶない刑事(1988年)
- もっともあぶない刑事(1989年)
- あぶない刑事リターンズ(1996年)
- あぶない刑事フォーエヴァー THE MOVIE(1998年)
- まだまだあぶない刑事(2005年)
- さらば あぶない刑事(2016年)
- 快盗ルビイ(1988年) - マンションの住人
舞台
編集- 屋根の上のバイオリン弾き(1975年、日生劇場) - チャヴァ
- オセロー(1977年、新橋演舞場) - エミリア
- 天保十二年のシェイクスピア
- ショーガール (ミュージカル)
- 雨
- 朝食までいたら?
- イカれた主婦 (オフ・ブロードウェイ・ミュージカル)
- 阿国 OKUNI (ミュージカル)
- ステッピング・アウト (ロンドン・ミュージカル)
- ロス・タラントス
- 出島
- 伝説の女優
- 8人の女たち
- おんなの落語
- ACT泉鏡花
- ミュージカル「女子高生チヨ」(2012年)
- 交響劇 船に乗れ!(2013年、東急シアターオーブ) - 南トシ子 役
吹き替え
編集- オリバー ニューヨーク子猫ものがたり(ジョルジェット)
- ホーンテッドマンション(マダム・リオッタ)
バラエティ
編集- シャボン玉ホリデー(日本テレビ)
- 味の素ホイホイ・ミュージック・スクール(日本テレビ)
- みごろ!たべごろ!笑いごろ! → みごろ!ゴロゴロ!大放送!!(テレビ朝日)
- ためしてガッテン
- 徹子の部屋(2019年1月11日)[16]
CM
編集ディスコグラフィー
編集シングル
編集キングレコード
- 東京キカンボ娘(1962年8月10日、E-1002)
- (c/w かわいいキューピー)
- 子象の行進(1962年11月10日、EB-7155)
- 訳詞:駿河あきら / 作曲:ヘンリー・マンシーニ / 編曲:森岡賢一郎
- (c/w ホイ・ホイ・ルック)
- ポッ・ポッ・ポパイ(1963年3月、EB-7189)
- (c/w マンハッタン・スキャンダル)
- 太陽の下の18才(1963年5月20日、EB-7212)
- 作詞:ルチアーノ・サルチェ / 訳詞:あらかは・ひろし / 作曲:エンニオ・モリコーネ / 編曲:津々美洋
- (c/w 日曜日の恋人)
- おじいちゃまハイ(1963年7月、DT-2)※共演:榎本健一
- 日本テレビ系テレビドラマ「おじいちゃま!!ハイ!」主題歌
- 作詞:前田武彦 / 作曲:広瀬健次郎
- (c/w 出かけて 出あって)※共演:榎本健一
- サタデイ・ナイト(1963年7月、EB-7222)
- 作詞・作曲:ジョン・メドラ、デイビット・ホワイト / 訳詞:あらかは・ひろし / 編曲:東海林修
- (c/w 悪口はやめて)
- ジュディー・ジュディー(1963年10月10日、EB-7240)
- (c/w テル・ミー・ママ)
- ママとパパのテレビ(1963年、EB-7262)
- 作詞・作曲:ダニエル・アダムス・レイ、バレリー・マーター / 訳詞:漣健児 / 編曲:東海林修
- (c/w お部屋でナイト)
- ティーンエイジ・クレオパトラ(1964年3月、EB-7254)
- 作詞・作曲:ビバリー・ロス / 訳詞:漣健児 / 編曲:東海林修
- (c/w アイスクリーム・ジョー)
- サミーのマーチ(1964年3月10日、BS-7022)
- 作詞:ジャック・フィッシュマン / 訳詞:漣健児 / 作曲:トリストラム・キャリー / 編曲:東海林修
- (c/w 涙の24時間)
- 野のユリ(1964年9月10日、BS-7043)
- 作詞・作曲:ジェリー・ゴールドスミス / 訳詞:ヒライワ・タカシ / 編曲:東海林修
- (c/w うつろなハート)
- 涙をこらえて(1964年11月20日、BS-7061)
- (c/w からかわないで)
- 三つの夢(1965年3月、BS-7081)
- 訳詞:七野洋太 / 編曲:東海林修
- (c/w ラ・ラ・ラ・ラ)
- 太陽の海(1965年4月20日、BS-7088)
- 訳詞:七野洋太 / 編曲:東海林修
- (c/w 若草の恋)
- すてきなジェシカ(1965年7月20日、BS-7108)
- (c/w 二人だけの秘密)
- 指先のキッス(1965年、BS-7118)
- (c/w カナダの小屋)
- ギッチラ舟唄(1966年1月10日、BS-359)
- (c/w リンゴ慕情)
- 涙ギラギラ(1966年7月20日、BS-465)
- 作詞:橋本淳 / 作曲:しらいそうや / 編曲:森岡賢一郎
- (c/w 愛はひとりぼっち)
- 貴方でいっぱい(1966年12月1日、BS-544)
- 作詞:橋本淳 / 作曲:津々美洋
- (c/w 一人で歩きたい)
- 真赤なブーツ(1967年5月1日、BS-639)
- 作詞:橋本淳 / 作曲:筒美京平 / 編曲:筒美京平
- (c/w 愛のひき潮)
- ミニ・ミニ・ロック(1967年7月1日、BS-7166)
- (c/w 恋のかたみ)
- 恋は宝(1967年11月20日、BS-744)
- 作詞:橋本淳 / 作曲:鈴木邦彦 / 編曲:鈴木邦彦
- (c/w 20才の恋)
- メケメケ波止場(1967年)※共演:飯野おさみ
- (c/w ピロピロ天国)
- 最高なのさ(1967年、BS-862)※共演:飯野おさみ
- (c/w サマー・アフタヌーン)
- しかたがないんだもん(1969年1月20日、BS-945)
- 作詞:世志凡太 / 作曲:森岡賢一郎 / 編曲:森岡賢一郎
- (c/w この世の果てまで)
ワーナーブラザーズ・レコード[注釈 3]
- セクシカ(1971年4月25日、L-1020W)
- (c/w 悲しい道)
- 愛の週末(1971年9月25日、L-1053W)
- (c/w 自由にあこがれて)
- おまえさん (1976年、PB-501)
- (c/w 洒落)
- 愛人(アマン)(1977年、PB-501)
- (c/w 居酒屋)
- 紅ほおずき(1977年12月、PB-604)
- 作詞:喜多条忠 / 作曲:丹羽応樹 / 編曲:あかのたちお
- (c/w グッド・バイ)
TRIO
- 砂の城(1980年5月1日、BMA-1039)
- (c/w 夢織り人)
- ダンシング・ママ(1980年10月1日、BMA-1052)
- (c/w オープン・チケット)
- 夜のパントマイム(1981年、BMA-2002)
- 作詞:三浦徳子 / 作曲:亀井登志夫 / 編曲:松任谷正隆
- (c/w Mr.Half Moon)
- 愛してごめんなさい(1981年、BMA-2013)
- (c/w 人生哲学)
- 居酒屋(1982年10月25日、BMA-2029)共演:五木ひろし
- 作詞:阿久悠 / 作曲:大野克夫 / 編曲:大野克夫
- 五木ひろしとのデュエットで今でも歌われる大ヒット曲
- (c/w 帰郷)
- 水中花(1983年10月、BMA-2043)
- (c/w うぬぼれワルツ)
- 美しき女(ひと)(1984年、BMA-2048)
- (c/w 自由の女神が化粧落として)
ワーナー・パイオニア
未発売曲
編集オリジナル・アルバム
編集- 愛人(1976年、TRIOレコード・PLAYBOYレコード、PB-6001)
- NA NA Vol.2 紅ほおずき(1977年、TRIOレコード・PLAYBOYレコード、PB-6002)
- WOMAN(1979年、SOUNDS MARKETING SYSTEM、SM25-5024)
- DANCING MAMA(1980年、BOURBON、BMD-1002)
- わが胸の底の湖(1981年、BOURBON、BMD-1013)
- YESTERDAY'S(1981年、キャニオン、C28A0382)※共演:細川俊之
ライブ・アルバム
編集- NANA Live(1979年、SOUNDS MARKETING SYSTEM、SM40-5035〜36)
カバー・アルバム
編集- デビュー50周年記念アルバム SHOW GIRLの時間旅行〜my favorite songs(2012年11月14日、BOURBON、TKCA-73838)
ベスト・アルバム
編集- うぬぼれワルツ The Best of Nana(1979年、TRIO、3B-1017)
- 木の実ナナ 魅惑のシングルコレクション キングレコード編(2010年、KING/ブリッジ)
著書
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 当時「このみ」と呼ばれることがあり、「『着の身着のまま』の『き』です」と言っていたのが芸名の由来だと勘違いされたのだという。出典の新聞記事原文中の木の実ナナの談話は、次のとおり。「当時『このみ』と呼ばれることがあり、『〈着の身着のまま〉の〈き〉です』と言っていたのです。それが芸名の由来と勘違いされることに、ハハハ。」 ということで、記事中で、彼女自身は「誰によって呼ばれたのか」には触れていないが、「着の身着のまま」が芸名の由来であるという説は誤りであることが確認できる。なお当該新聞記事は縮刷版などでも見られる。
- ^ 作品によっては木の実味摩子名義とされる場合もあり。但し、姉妹での共演はないものの、『遠山の金さん(高橋英樹主演版)』ではナナ・味摩子ともに出演している。
- ^ 1971年当時の正式社名は「ワーナーブラザーズ・パイオニア」。前年の発足に於いて渡辺プロダクションが資本出資し、その関係で作品の音源発売権や原盤権を保有していた。現在、本作は渡辺音楽出版株式会社が原盤権を保有・管理しており、2010年に音源がCD化された際にはジャケットに「音源提供 WATANABE MUSIC PUBLISHING CO., LTD.」と明記されている。
出典
編集- ^ a b “公式プロフィール”. ダンカンミュージック. 2014年2月3日閲覧。
- ^ a b 種田正 (1975年7月7日). “《美女ある記》 木の実ナナ 13年 華麗に色づく"木の実" 本当の魅力は30過ぎよ”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 5(1975年7月、木の実のインタビューを含む記事)
- ^ 「決定!保存版 '76 ALLスタアLIST 木の実ナナ」『スタア』1976年2月号、平凡出版、92頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “9月のあらかると –テレビ・芸能– 今月のプロフィル 木の実ナナの巻 踊り過ぎてロッ骨折っちゃった…”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 27. (1978年9月3日)
- ^ "母を語る". ラジオ深夜便. 22 January 2008. NHKラジオ第1放送。
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- ^ a b “人生の贈り物「『着の身着のまま』は勘違いです」”. 朝日新聞 夕刊. (2011年12月6日)
- ^ 「ミニミニ娘に乾杯」『映画情報』1967年12月号。NDLJP:10339803/23
- ^ 昭和の肖像<芸>148-154頁
- ^ “木の実ナナ、左大腿骨骨折 車いすで舞台出演”. ORICON STYLE (2015年11月10日). 2015年11月10日閲覧。
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- ^ a b c d e f g h 日外アソシエーツ現代人物情
- ^ a b 読売人物データベース
- ^ “田辺誠一、キレまくるニューヒーローに! フジ系列連ドラ初主演”. ORICON STYLE. (2016年8月29日) 2016年8月29日閲覧。
- ^ “今もミニスカ!木の実ナナ72歳 36年前の“意中の人”は現在ご意見番でブレイク”. テレ朝POST. 2024年5月22日閲覧。
関連項目
編集- ザ・ドリフターズ - 駆け出し期にホイホイミュージックスクールで共演。
外部リンク
編集- 木の実ナナ Official Web Site
- 公式プロフィール(旧ホームページ) - ウェイバックマシン(2010年7月22日アーカイブ分)
- DUNCAN MUSIC〜ダンカン・ミュージック
- 木の実ナナ - NHK人物録