NWA世界ジュニアヘビー級王座

NWA世界ジュニアヘビー級王座(NWAせかいジュニアヘビーきゅうおうざ、NWA Junior Heavyweight Championship)は、NWA(National Wrestling Alliance)本部直轄のプロレスのタイトルである。

NWA世界ジュニアヘビー級王座
詳細
現王者 アレックス・テイラー
獲得日 2024年6月28日
管理団体 NWA
創立 1943年
統計
初代王者 ケン・フェネロン

概要

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王座創設は新NWA(アライアンス)が発足される前の第二次世界大戦中の1943年で、後にアライアンスの初代会長に就任するピンキー・ジョージ英語版によりケン・フェネロン英語版が初代王座に認定されている。1944年にはMWA王者エディ・キャンベルを下し王座統一。

1949年、新NWA王者ビリー・ゲルツ英語版と旧NWA(アソシエーション)王者レロイ・マクガーク英語版の間で王座統一戦が行われ、勝利したマクガークにより新旧王座が統一された。1950年2月、マクガークが交通事故による失明のため返上。1950年11月13日王座決定戦でバーン・ガニアがベルト獲得。1951年に王座を獲得したダニー・マクシェイン英語版は3州の王座を吸収する。

その後、元王者でオクラホマ地区のプロモーターであったマクガークによって同王座の管理・運営をNWAから任されることになり、主にマクガークのプロモートするNWAトライステート地区(オクラホマ、ルイジアナミシシッピアーカンソー)で選手権試合が行われるようになった。だが、このことが王座の占有を招く結果となり、NWAの反主流派と呼ばれていたプロモーター達(WWFビンス・マクマホンCWFエディ・グラハムハリウッド・レスリングのマイク・ラベール、新日本プロレス新間寿ら)と反目する原因となった。

1979年に当時の王者であったネルソン・ロイヤルの引退に伴い、反主流派はロサンゼルスにて同年12月10日に王座決定戦を行い、スティーブ・カーンを新王者に認定するも、これに異を唱えたマクガークも1980年2月11日にオクラホマで王座決定トーナメントを決行し、ロン・スターを新王者に認定したため、一時期、2つの『NWA世界ジュニアヘビー級王座』が混在するなどの事態を招いたが、最終的にはマクガーク版のタイトルの正当性が認められた。なお、反主流派が新設したタイトルは「NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座」として日本に定着している。

ケン・マンテルが王者時代、フリッツ・フォン・エリックが1万ドルで製作したレジー・パークス製作のベルトが贈られる。1974年12月5日には、日本大学講堂においてマンテルにジャンボ鶴田が挑戦。1982年5月25日レス・ソントンからタイガーマスク(初代)が奪取するが、NWA本部では王座獲得のみを記録し、アメリカではソントンが継続して王者として活動する。タイガーマスクは新日本プロレス認定の王座として防衛戦を続ける。ソントンがWWFに移籍すると、その後はジム・クロケット・ジュニアが管理、最終的に、ロイヤルが過去の実績が認められ認定されるが1988年に王座は封印。新日版王座は、タイガーマスク引退後に1983年11月3日にザ・コブラが獲得[1]WWFの同級王座と共に新日本プロレスにて管理されていたが[2]、WWFと新日の業務提携終了に伴い、1985年10月31日をもってWWFジュニアヘビー級王座を返上。この機会に、1985年8月に王者であったコブラがNWA王座も返上することとなった。

以降、NWAの権威が低下したことにより、マイナータイトルの一つという扱いとなり、一時は(1996年から1998年まで)ジュニア8冠王座のひとつになっていた。8冠王座解体後は新日から離れたものの、その後NWAと再提携したことにより、一時タイガーマスク(4代目)が王者となるなど再び新日と関係を持つようになったが、再び提携が解消されたことにより、新日から完全に離れ、現在はインディー団体のレスラーを対象にした王座として存続している。

2011年にクレイグ・クラシックが王者としてNWAに加盟していたプロレスリングZERO1でタイトルマッチを行っていたが、7月11日にNWAはZERO1に参戦していたNWA世界ヘビー級王者ザ・シーク(2代目)英語版が、コロンバスアダム・ピアースとの防衛戦をボイコットしたため、シークからNWA世界ヘビー級王座を剥奪。クラシックはNWAにシークがNWA世界ヘビー級王座を剥奪されたことに抗議するが受け入れられず、クラシックは王座を返上したがZERO1はクラシックを引き続きNWA世界ジュニアヘビー級王者に認定。10月にZERO1がNWAに抗議して脱退。11月3日にZERO1はNWAへの当て付けとして王座認定組織「NWA(ニュー・レスリング・アライアンス)」を発足。クラシックが保持しているNWA世界ジュニアヘビー級王座の歴代数及び防衛回数は継承されることになった。ZERO1のNWA世界ジュニアヘビー級王座はアメリカのNWAが管理、認定しているNWAジュニアヘビー級王座とは別物である。2012年3月2日にZERO1のインターナショナルジュニアヘビー級王座(かつてNWAが認定していた王座)とのダブルタイトルマッチで王座が統合されて現在はジュニア2冠王座としてタイトルマッチが行われている。

2013年からNWAが新日本プロレスと交戦するようになると、このタイトルも2014年から防衛戦が行われるようになり、11月8日には獣神サンダー・ライガーがジュニア8冠王座以来の王者になった。

2017年9月30日をもってNWAは組織変更がなされて、その直前の8月12日に王座に就いたバレット・ブラウンは組織変更後は王者として認定されず空位となり[3]、王座決定戦も行われず王者不在のままとなっていた。

2020年3月20日にテネシー州ナッシュビルにて行われた興行にて王座が復活し、王座決定トーナメント決勝に進出した4名による4WAYマッチにて勝利したホミサイドが新王者に認定される。

歴代王者

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脚注

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  1. ^ 『1945〜1985 激動のスポーツ40年史6 プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P162(ベースボール・マガジン社、1986年1月15日)
  2. ^ その一方で、タイガーマスク(初代)に王座を奪われたレス・ソントンは、1983年11月にフィリピンマニラで行われたとされる架空の王座決定トーナメントに優勝したと称し、ジョージア地区で再びNWA世界ジュニアヘビー級王者を名乗り、防衛戦を行なっている。そのため、再び2つの『NWA世界ジュニアヘビー級王座』が混在するという事態が発生したが、ソントンから奪取した王座を管理していた新日本プロレスは、この件に関し自分たちの王座が正統であり、ソントンの王座は無効である旨を強固には主張せず、海外での防衛戦も行わなかったため(ソントンの王座の無効を強固に主張しなかったのは、この時点で同王座を管理していたマクガークがプロモーターを引退し、NWAを脱退していたため、実質的な王座の管理者が存在していなかったので、その点を他のプロモーターから追及される恐れがあったからと推察される)、有耶無耶な状態で2つの王座が存続されたまま、ソントンが1984年7月のブラック・サタデーに起因するWWF移籍に伴いタイトルを返上。以後、ヘクター・ゲレロマイク・デービス英語版デニー・ブラウン英語版と王座が移動した後、新日本プロレスが返上した王座と統合されている。
  3. ^ 2018年10月21日に行われたNWA70周年記念大会ではブラウンは元王者として紹介されている

外部リンク

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