昨年、一昨年に続きまたしてもポイント制の変更があり、前年度1~10位だった入賞圏内は再び15位にまで拡大された。有効ポイントは導入されず、純粋にポイントの総合計でランキングが争われることとなった。
この年もケビン・シュワンツとウェイン・レイニーの2人がタイトル争いの中心となったが、以前とは違いシュワンツが安定してポイント重ねる一方、レイニーがこれを追い上げるという、今までとは逆のパターンで展開された。
シュワンツは前半で4勝を挙げシーズンを有利に進めていたが、第8戦ヨーロッパGP以降シュワンツがもたつく間にレイニーが巻き返し、またシュワンツがイギリスGPで手首を負傷したことなどもあり、第11戦チェコGPが終わった時点ではレイニーがポイントを逆転していた。そして迎えた第12戦イタリアGPで、レイニーはトップ独走中に転倒を喫する。この転倒で彼は脊椎に重大な損傷を受け、レーシングライダーとしての競技生命を絶たれてしまう。
これにより再び逆転したシュワンツは悲願のタイトルを獲得することとなったが、幾多の名勝負を重ねてきた最大のライバルであるレイニーを残酷な形で失ったシュワンツは「彼の怪我が治るならチャンピオンなんかいらない。」と発言し、初のタイトルを獲得した喜びよりもライバルを失った落胆の気持ちを表した。レイニーのクラッシュは、アメリカン・ライダーがグランプリを席巻する時代の終わりをも意味していた。
一方、ミック・ドゥーハンは前年の脚の負傷による深刻な状態から徐々に回復し、第9戦サンマリノGPで復活勝利を挙げた。また、ダリル・ビーティとアレックス・バロスはグランプリ初勝利を飾った(バロスはトップ走行中のクラッシュを2度体験した末の勝利だった)。フレディ・スペンサーは2度目のカムバックに挑んだが、最初の3レースで2度のクラッシュという結果に終わった。
ホンダのワークスチームは3台目のマシンとしてメーカーのテストライダーである伊藤真一をエントリーさせたが、彼のマシンはストレートでずば抜けて速かったことから新開発の電子制御式フュエール・インジェクション・システムが搭載されているのではないかと噂された。伊藤がホッケンハイムで200mph(約320km/h)の壁を破ったことが、この噂に信憑性を与えた。[1]
250ccクラスでは、前年に全日本選手権でタイトルを獲得した原田哲也がフル参戦を開始。シーズン序盤から素晴らしい走りを展開し、ロリス・カピロッシとの熾烈な争いを制してフル参戦初年にもかかわらずタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。また、ジョン・コシンスキーがスズキに移籍し参戦したが、思うように熟成が進まないチームとマシンの現状に業を煮やしシーズン途中でチームを離脱。そのスズキはこの年加入した若井伸之がスペインGPで不慮の事故により死去するという悲劇に見舞われた。
125ccクラスではホンダに乗るドイツ人プライベーター、ダーク・ラウディスが9勝を挙げてタイトルを獲得。坂田和人と辻村猛がランキング2位、3位で続き、上位6人中4人を日本人ライダーが占めた。
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色 |
結果
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金色 |
優勝
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銀色 |
2位
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銅色 |
3位
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緑 |
ポイント圏内完走
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青灰色 |
ポイント圏外完走
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周回数不足 (NC)
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紫 |
リタイヤ (Ret)
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赤 |
予選不通過 (DNQ)
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予備予選不通過 (DNPQ)
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黒 |
失格 (DSQ)
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白 |
スタートせず (DNS)
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エントリーせず (WD)
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レースキャンセル (C)
|
空欄
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欠場
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出場停止処分 (EX)
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太字:ポールポジション
斜体:ファステストラップ
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色 |
結果
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金色 |
優勝
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銀色 |
2位
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銅色 |
3位
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緑 |
ポイント圏内完走
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青灰色 |
ポイント圏外完走
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周回数不足 (NC)
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紫 |
リタイヤ (Ret)
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赤 |
予選不通過 (DNQ)
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予備予選不通過 (DNPQ)
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黒 |
失格 (DSQ)
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白 |
スタートせず (DNS)
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エントリーせず (WD)
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レースキャンセル (C)
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空欄
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欠場
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出場停止処分 (EX)
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太字:ポールポジション
斜体:ファステストラップ
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