1989年の全日本F3000選手権
1989年の全日本F3000選手権 | |
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1989年の全日本F3000選手権は、1989年(平成元年)3月4日 - 5日に鈴鹿サーキットで開幕し、同年11月4日 - 5日に鈴鹿サーキットで閉幕した全8戦によるシリーズである。
エントリーリスト
編集Car-No. | ドライバー | 車名 (シャシー/エンジン/メンテナンス) |
タイヤ | エントラント |
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1 | 星野一義 | CABIN T88 無限 → T89 CABIN 無限 (ローラT88/50 → ローラT89/50/無限MF308/セルモ) |
B | CABIN RACING TEAM WITH IMPUL |
2 | 中子修 | CHERENA LOLA (ローラT88/50 → ローラT89/50/無限MF308/戸田レーシング) |
B | NAKAJIMA PLANNING |
3 | 鈴木利男 | CABIN 89D (レイナード89D/コスワースDFV/ヒーローズ) |
B | CABIN Racing Team with HEROES |
5 | 長谷見昌弘 | スピードスター ダンロップ ローラ (ローラT88/50 → T89/50/無限MF308/スピードスター) |
D | スピードスターホイールレーシングチーム |
6 | ジェフ・クロスノフ | スピードスター ダンロップ ローラ (ローラT89/50/無限MF308/スピードスター) |
D | スピードスターホイールレーシングチーム |
7 | 高橋国光 | ADVAN・LOLA・MF308 (ローラT88/50 → ローラT89/50/無限MF308/ノバエンジニアリング) |
Y | ADVAN SPORTS NOVA |
8 | 松本恵二 | ワタナベ ダンロップ 89D (レイナード89D/無限MF308/童夢) |
D | 株式会社 童夢 |
9 | 中谷明彦 | Marlboro LOLA・T89 (ローラT88/50 → ローラT89/50/無限MF308/ノバエンジニアリング) |
B | Marlboro Team NOVA |
10 | 松田秀士 | 武富士 たけしプロジェクト マーチ → 武富士 たけしプロジェクト ローラ (マーチ87B → ローラT88/50 → ローラT89/50/コスワースDFV → 無限MF308/エムズファクトリー) |
Y | たけしプロジェクト |
11 | ロス・チーバー | ワコール ダンロップ 88D → ワコール ダンロップ 89D (レイナード88D → レイナード89D/無限MF308/童夢) |
D | 株式会社 童夢 |
12 | パオロ・バリッラ | PIAA LOLA (ローラT89/50/無限MF308/ハナイ インダストリー) |
B | NAKAJIMA PLANNING |
15 | 岡田秀樹 | LEYTON HOUSE 89B MUGEN (マーチ89B/無限MF308/チーム・レイトン) |
B | LEYTON HOUSE RACING TEAM |
16 | 関谷正徳 | LEYTON HOUSE 89B MUGEN (マーチ89B/無限MF308/チーム・レイトン) |
B | LEYTON HOUSE RACING TEAM |
18 | マウリツィオ・サンドロ・サーラ | CLUB-ANGLE 89D (レイナード88D → レイナード89D/無限MF308/フナキレーシング) |
D | FUNAKI RACING |
20 | ジャン・アレジ(第1・2戦) アンドリュー・ギルバート=スコット(第3・7・8戦) マーティン・ドネリー(第4 - 6戦) |
KYGNUS reynard 89D (レイナード89D/無限MF308/紫苑F with R&D) |
Y | TEAM KYGNUS TONEN with R&D |
21 | 小河等 | STELLAR ローラ T88/50 → STELLAR ローラ T89/50 (ローラT88/50 → ローラT89/50/無限MF308/オートビューレックモータースポーツ) |
D | オートビューレックモータースポーツ |
24 | エマニュエル・ピロ(第1-4戦) ケネス・アチソン(第5・6戦) 森本晃生(第7戦) マルコ・アピチェラ(第8戦) |
NIKKEI 89D MUGEN (レイナード89D/無限MF308/チーム・ルマン) |
B | 伊太利屋 NIKKEI Team Le Mans |
25 | ジェフ・リース | 伊太利屋 89D MUGEN (レイナード89D/無限MF308/チーム・ルマン) |
B | 伊太利屋 NIKKEI Team Le Mans |
26 | 和田孝夫 | TENORAS ADVAN T88 → TENORAS ADVAN T89 (ローラT88/50 → ローラT89/50/無限MF308/パルスポーツ) |
Y | ADVAN SPORT PAL |
27 | ファブリツィオ・バルバッツァ | ティームMSD 88D → ティームMSD T88 (レイナード88D → ローラT88/50/コスワースDFV/アストニッシュ) |
D | モーターレーシングデベロップメント |
33 | 清水正智 | トライデント・ローラ・T88/50 (ローラT88/50/無限MF308/ノバエンジニアリング) |
D | 清水レーシング |
34 | マウロ・マルティニ スティーブン・アンドスカー(第3戦) |
SANYO EXCEDIO TAKENAKA LOLA (ローラT88/50 → ローラT89/50/無限MF308/駿台技術研究所) |
D | SUNDAI・SPIRIT・TEAM |
55 | 片山右京 | Footwork MC040 → Footwork MC041) 無限 (ムーンクラフトMC040 → ムーンクラフトMC041/無限MF308/フットワーク・フォーミュラ) |
B | Footwork FORMULA |
スケジュール及び勝者
編集開催日 | 開催場所 | イベント名 | 優勝者 | |
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第1戦 | 3月4日 - 5日 | 鈴鹿サーキット | 全日本BIG2&4レース | 星野一義 |
第2戦 | 4月15日 - 16日 | 富士スピードウェイ | CABIN International Formula Cup | R・チーバー |
第3戦 | 5月13日 - 14日 | 西日本サーキット | オールジャパンF3000オールスターレース大会 | R・チーバー |
第4戦 | 5月27日 - 28日 | 鈴鹿サーキット | 鈴鹿フォーミュラジャパンレース | E・ピロ |
第5戦 | 7月29日 - 30日 | スポーツランド菅生 | SUGO・F3000選手権レース大会 | 和田孝夫 |
第6戦 | 8月12日 - 13日 | 富士スピードウェイ | LEYTON HOUSE RRC FUJI FORMULA CHAMPIONS RACE | 星野一義 |
第7戦 | 9月23日 - 24日 | 鈴鹿サーキット | SUZUKA GREAT 20 DRIVERS RACE | 小河等 |
第8戦 | 11月4日 - 5日 | 鈴鹿サーキット | SUPER FINAL ROUND in SUZUKA | 長谷見昌弘 |
シリーズポイントランキング
編集- ポイントシステム
順位 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 |
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ポイント | 9 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 |
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※ベスト6戦が有効得点
トピックス
編集- この年の全日本F3000にタイヤを供給するブリヂストン、ダンロップ、横浜ゴムの3メーカーが揃って優勝とポールポジションを記録した、全日本F3000において唯一のシーズンとなった。
- オートビューレック(後のステラ・インターナショナル)が小河等とともに全日本F3000に進出した。小河はシーズン前半を中古のローラT88/50(1988年に片山右京が使用した車両[1])での参戦であったが、開幕戦鈴鹿、第2戦富士と連続で2位入賞。第3戦西日本、第4戦鈴鹿で4位入賞とポイントを重ねた。第5戦菅生からはニューマシンが用意され、第6戦富士で初のポールポジションを獲得。第7戦鈴鹿でポール・トゥ・ウィンでF3000初優勝を記録と安定して好成績を残し、ドライバーズ・タイトルを獲得した。
- エマニュエル・ピロがF1第7戦フランスGPでベネトンからF1デビュー、以後の全日本F3000は欠場となった。
- フットワーク/ムーンクラフトと片山右京が、全日本F3000と国際F3000にオリジナルマシンでエントリーした。しかし双方で成績は不調で、国際F3000ではシーズン途中でドライバーをデイモン・ヒルに交替させたが結果は出なかった。
- 中谷明彦が第3戦西日本で、F3000デビュー3戦目でポールポジションを記録し、1983年の全日本F2選手権・第4戦鈴鹿で高橋徹が記録した最高峰カテゴリーデビュー4戦目でのポールポジション獲得記録を更新した。
- 1987、1988年と不振に陥ったマーチシャーシがレイトンハウスとのワークス体制で全日本F3000にフルエントリーした。ラルフ・ベラミィ設計のシャシーは関谷正徳により2位入賞1回、3位入賞3回、岡田秀樹の1回の3位入賞など復調を示した。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 「Racing On」 No.048、p.94、武集書房、1989年。