1980年の南海ホークス
1980年の南海ホークス(1980ねんのなんかいホークス)では、1980年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
1980年の南海ホークス | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ6位 年間6位:48勝77敗5分 勝率.384 後期6位:20勝43敗2分 勝率.317 前期5位:28勝34敗3分 勝率.452 | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 大阪球場 |
球団組織 | |
オーナー | 川勝傳 |
経営母体 | 南海電気鉄道 |
監督 | 広瀬叔功 |
« 1979 1981 » |
このシーズンの南海ホークスは、広瀬叔功監督の3年目のシーズンである。
概要
編集前年アキレス腱断裂で離脱していた門田博光が復帰し、開幕直後は門田とカルロス・メイが牽引役となってチームは好スタートを切り4月を首位で終えるが、4月30日から7連敗を喫し一気に借金生活に突入すると、5月下旬から4連敗・5連敗と負けが込みチームは5位に転落。後期に入ると開幕8試合で1勝7敗と早々と最下位が定位置となり、大混戦の優勝争いを尻目に南海だけが蚊帳の外に置かれ、結局2年ぶりの年間最下位。チーム打率はリーグ3位と健闘したが、チーム防御率は5点台後半と、広瀬監督就任以降悪化する一方で、チームの低迷を食い止められなかった広瀬は責任を取り辞任。日程消化の都合で11月に行われた前期最終戦に勝利し、前期5位だけは確保し、広瀬は26年間在籍したチームを去った。カード別成績では後期に優勝争いを演じた西武に11勝14敗1分と健闘し、5位の阪急にも12勝14敗と互角だったが、2位ロッテには7勝17敗2分と大きく負け越した。広瀬監督辞任を受け、この年まで阪神タイガースの監督を務めたドン・ブレイザーが後任の監督に就任し、ブレイザー監督は「考える野球」でチームの立て直しを図ることになる。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 三 | 藤原満 |
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2 | 中 | 久保寺雄二 |
3 | 一 | 小田義人 |
4 | 左 | メイ |
5 | 二 | 河埜敬幸 |
6 | 指 | 門田博光 |
7 | 右 | 王天上 |
8 | 遊 | 定岡智秋 |
9 | 捕 | 黒田正宏 |
投手 | 山内新一 |
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 近鉄バファローズ | 68 | 54 | 8 | .5574 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 64 | 51 | 15 | .5565 | 0.5 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 66 | 53 | 11 | .555 | 0.5 |
4位 | 西武ライオンズ | 62 | 64 | 4 | .492 | 8.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 58 | 67 | 5 | .464 | 11.5 |
6位 | 南海ホークス | 48 | 77 | 5 | .384 | 21.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1980
編集→詳細は「1980年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
ファン投票 | 監督推薦 |
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選出なし | 山内新一 片平晋作 門田博光 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
金城基泰 | 最優秀救援投手 | 19SP | 2年連続2度目 |
その他 | |||
選手名 | タイトル | ||
門田博光 | カムバック賞 |
ベストナイン |
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選出なし |
ダイヤモンドグラブ賞 |
選出なし |
ドラフト
編集→詳細は「1980年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 山内和宏 | 投手 | リッカー | 入団 |
2位 | 井上祐二 | 投手 | 都城高 | 入団 |
3位 | 刀根剛 | 外野手 | 敦賀高 | 入団 |
4位 | 山田勉 | 外野手 | 松下電器 | 入団 |
出典
編集- ^ ベースボール・マガジン社 編 編『HAWKS the 70th ホークス栄光の軌跡』ベースボール・マガジン社、2008年、104頁。ISBN 9784583101194。