1978年の阪急ブレーブス
1978年の阪急ブレーブスでは、1978年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
1978年の阪急ブレーブス | |
---|---|
成績 | |
日本シリーズ敗退 | |
日本S | 3勝4敗(対ヤクルト)[1] |
パシフィック・リーグ優勝 | |
82勝39敗9分 勝率.678[2] | |
前期優勝 |
44勝20敗1分 勝率.688[2] |
後期優勝 |
38勝19敗8分 勝率.667[2] |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県西宮市 |
球場 | 阪急西宮球場 |
球団組織 | |
オーナー | 森薫 |
経営母体 | 阪急電鉄 |
監督 |
上田利治 中田昌宏(7月17日から同20日まで代行) 西村正夫(7月29日から8月29日まで代行) |
« 1977 1979 » |
この年の阪急ブレーブスは、上田利治監督の5年目のシーズンである。
概要
編集3年連続で日本一を達成した阪急は、この年も好調を維持、前期は4月に9連勝をし、貯金を11作りスタートダッシュに成功、5月・6月・7月も着実に貯金を重ね、他を全く寄せ付けず前期優勝を決めた。後期も途中上田監督が病欠するハプニングがあったものの、7月だけで貯金を10個重ね、好調を維持した。しかし、前期を2位で終わった近鉄も10試合連続完投勝利を挙げた鈴木啓示を中心に快調に勝ち星を重ね、阪急と激しく競り合った。阪急は、近鉄との直接対決で大きく負け越し、近鉄との最後の直接対決(近鉄にとってはシーズン最終戦)で阪急が勝たないと近鉄が後期優勝を決めるという状況まで追い込まれた。この試合では、そこまで17勝挙げていた阪急・山田久志と25勝全部が完投勝利の近鉄・鈴木啓示が投げ合い、マルカーノの2ランホームラン等で4点を挙げた阪急が勝利した。これでマジック1とした阪急は次の試合を勝利し、前期・後期共に優勝する完全優勝を達成した。日本シリーズではリーグ初優勝のヤクルトと対戦、前評判では阪急が圧倒的有利と噂されていたが、第7戦までもつれその第7戦の6回裏、ヤクルト・大杉勝男が放ったレフトポール際の大飛球をホームランと判定され、上田監督が1時間19分の抗議をしたが、判定は覆ず、長時間の抗議により、肩の冷えた先発足立光宏を変えざるを得なかった阪急のその後の投手が打ち込まれ事により万事休す、阪急は4年連続の日本一を逃すこととなった。シーズンオフ、日本一を逃したことと長時間抗議への責任を理由として、上田監督が辞任した[3]。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 中 | 福本豊 |
---|---|---|
2 | 左 | 大熊忠義 |
3 | 一 | 加藤秀司 |
4 | 三 | 島谷金二 |
5 | 二 | マルカーノ |
6 | 指 | 高井保弘 |
7 | 右 | ウイリアムス |
8 | 捕 | 中沢伸二 |
9 | 遊 | 大橋穣 |
投手 | 山田久志 |
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 82 | 39 | 9 | .678 | 優勝 |
2位 | 近鉄バファローズ | 71 | 46 | 13 | .607 | 9.0 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 25.5 |
4位 | ロッテオリオンズ | 53 | 62 | 15 | .461 | 26.0 |
5位 | クラウンライターライオンズ | 51 | 67 | 12 | .432 | 29.5 |
6位 | 南海ホークス | 42 | 77 | 11 | .353 | 39.0 |
*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝
日本シリーズ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月14日(土) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 6 - 5 | ヤクルトスワローズ | 後楽園球場 |
10月15日(日) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 6 - 10 | ヤクルトスワローズ | |
10月16日(月) | 移動日 | ||||
10月17日(火) | 第3戦 | ヤクルトスワローズ | 0 - 5 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月18日(水) | 第4戦 | ヤクルトスワローズ | 6 - 5 | 阪急ブレーブス | |
10月19日(木) | 第5戦 | ヤクルトスワローズ | 7 - 3 | 阪急ブレーブス | |
10月20日(金) | 移動日 | ||||
10月21日(土) | 第6戦 | 阪急ブレーブス | 12 - 3 | ヤクルトスワローズ | 後楽園球場 |
10月22日(日) | 第7戦 | 阪急ブレーブス | 0 - 4 | ヤクルトスワローズ | |
優勝:ヤクルトスワローズ(初優勝) |
オールスターゲーム1978
編集ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
監督 | ||
コーチ | 中田昌宏▲ | |
投手 | 山田久志 | 7 |
山口高志 | 4 | |
佐藤義則 | 初 | |
捕手 | 中沢伸二 | 3 |
内野手 | 加藤秀司 | 7 |
マルカーノ | 3 | |
島谷金二 | 4 | |
外野手 | 福本豊 | 8 |
簑田浩二 | 初 |
- 太字はファン投票で選ばれた選手。取り消し線は出場辞退、▲は出場辞退に伴う補充。
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
山田久志 | 最優秀選手 | 3年連続3度目 | |
最高勝率 | .818 | 2年ぶり3度目 | |
マルカーノ | 打点王 | 94打点 | 初受賞 |
福本豊 | 最多安打 | 171本 | 2年連続4度目 |
盗塁王 | 70個 | 9年連続9度目 | |
山口高志 | 最優秀救援投手 | 26SP | 初受賞 |
ベストナイン | ||
---|---|---|
選手名 | ポジション | 回数 |
中沢伸二 | 捕手 | 初受賞 |
マルカーノ | 二塁手 | 2年連続3度目 |
島谷金二 | 三塁手 | 初受賞 |
福本豊 | 外野手 | 3年連続6度目 |
簑田浩二 | 初受賞 | |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
山田久志 | 投手 | 2年連続2度目 |
中沢伸二 | 捕手 | 初受賞 |
マルカーノ | 二塁手 | 2年ぶり3度目 |
島谷金二 | 三塁手 | 2年連続3度目 |
大橋穣 | 遊撃手 | 7年連続7度目 |
福本豊 | 外野手 | 7年連続7度目 |
ウイリアムス | 2年ぶり2度目 | |
簑田浩二 | 初受賞 |
ドラフト
編集順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 関口朋幸 | 投手 | 吉田商業高 | 入団 |
2位 | 石嶺和彦 | 捕手 | 豊見城高 | 入団 |
3位 | 大石直弘 | 投手 | 掛川西高 | 入団 |
4位 | 山森雅文 | 外野手 | 熊本工業高 | 入団 |
出典
編集- ^ a b “1978年度日本シリーズ”. 日本野球機構. 2015年10月29日閲覧。
- ^ “年度別成績 1978年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年10月29日閲覧。
- ^ 【10月22日】1978年(昭53) 「審判代えろ!」阪急・上田監督、抗議1時間19分スポニチアネックス 日めくりプロ野球
- ^ 『読売新聞』1978年4月2日付朝刊、14版、18面
- ^ LEGEND OF Bs 2011 ~蘇る黄金の70's~オリックス・バファローズ公式HP