沖縄県立豊見城高等学校

日本の沖縄県豊見城市にある公立高校

沖縄県立豊見城高等学校(おきなわけんりつとみしろこうとうがっこう)は、沖縄県豊見城市にある県立高等学校

沖縄県立豊見城高等学校
地図北緯26度11分32.14秒 東経127度41分21.57秒 / 北緯26.1922611度 東経127.6893250度 / 26.1922611; 127.6893250座標: 北緯26度11分32.14秒 東経127度41分21.57秒 / 北緯26.1922611度 東経127.6893250度 / 26.1922611; 127.6893250
国公私立の別 公立学校
設置者 沖縄県
設立年月日 1966年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学校コード D147221200024 ウィキデータを編集
高校コード 47108K
所在地 901-0201
沖縄県豊見城市字真玉橋217番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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所在地の豊見城市の読みは「とみぐすく」だが、豊見城南高校と同様に校名の読みは「とみしろ」である。

文化祭は「とみ高祭」という。

沿革

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  • 1965年6月24日 - 豊見城高等学校誘致期成会設立
  • 1965年9月25日 - 政府立豊見城高等学校設立を中央委員会で認可
  • 1966年2月1日 - 初代校長 砂川玄隆、教頭 新垣博 発令
  • 1966年2月22日 - 校章制定
  • 1966年4月11日 - 事務所を現在地に移転
  • 1966年4月 - 琉球政府立豊見城高等学校として開校。普通科、家政科を設置。
  • 1966年4月13日 - 開校式・第1回入学式(普通科540名、家政科108名)、PTA設立総会
  • 1966年7月20日 - 校旗贈呈並びに樹立式、後援会設立総会
  • 1966年8月10日 - 女生徒の制服を制定
  • 1967年2月4日 - グラウンド敷地決定、土地購入11,456坪
  • 1967年4月6日 - 第2回入学式(普通科520名、家政科104名)
  • 1967年10月1日 - 新垣博教頭首里高校へ、川崎幸明教頭赴任
  • 1967年11月8日 - 校門および堀工事完了
  • 1968年4月6日 - 第3回入学式(普通科500名、家政科100名)
  • 1968年7月18日 - 運動場完成記念式典挙行
  • 1968年9月16日 - 文部大臣旗争奪全国高校弁論大会において最優秀賞
  • 1968年10月6日 - 第1回 体育祭
  • 1969年2月22日 - 校歌制定・同発表会 豊見城祭
  • 1969年3月1日 - 第1回卒業式(卒業生602名)
  • 1969年4月7日 - 第4回入学式(普通科480名、家政科96名)
  • 1969年8月31日 - 砂川玄隆校長退職
  • 1969年10月1日 - 第2校長 西平秀毅発令
  • 1969年12月3日 - 図書館竣工
  • 1970年3月3日 - 第2回卒業式(卒業生590名)
  • 1970年4月7日 - 第5回入学式(普通科470名、家政科94名)
  • 1970年10月1日 - 川崎幸明教頭 久米島高等学校長へ、玉城仁得教頭赴任

 第2回文化祭

  • 1971年3月2日 - 第3回卒業式(卒業生578名)
  • 1971年4月7日 - 第6回入学式(普通科450名、家政科90名)
  • 1971年10月16日 - 第2回 体育祭
  • 1972年3月2日 - 第4回卒業式(卒業生552名)
  • 1972年3月31日 - 西平秀毅校長退職
  • 1972年4月1日 - 第3代校長 玉城啓佐発令
  • 1972年4月7日 - 第7回入学式(普通科450名、家政科90名)
  • 1972年5月15日 - 沖縄返還により沖縄県立豊見城高等学校となる。
  • 1973年3月1日 - 第5回卒業式(卒業生549名)
  • 1973年3月29日 - 第20回沖縄県高等学校春季野球大会で優勝
  • 1973年3月31日 - 玉城啓佐校長 県教育庁へ転出
  • 1973年4月1日 - 第4代校長 福地蔡勇氏発令
  • 1973年4月9日 - 第8回入学式(普通科450名、家政科90名)
  • 1974年3月1日 - 第6回卒業式(卒業生494名)
  • 1974年4月8日 - 第9回入学式(普通科450名、家政科60名)
  • 1974年7月22日 - インターハイ弓道優勝 全国制覇
  • 1974年10月10日 - 第3回 体育祭
  • 1975年3月1日 - 第7回卒業式(普通科410名、家政科74名、計484名)
  • 1975年3月 - 甲子園出場。(1回戦:習志野3-0、2回戦:日大山形4-2、準々決勝:東海大相模1-2)
  • 1975年4月1日 - 校長 福地蔡勇氏退職、教頭 玉城仁得氏 北山高校へ転出 校長 玉城深二郎、教頭 新城久雄発令

 第47回全国高校選抜野球大会 対東海大相模 準々決勝

  • 1975年4月7日 - 第10回入学式(普通科450名、家政科90名、計540名)
  • 1975年5月20日 - PTA総会並びに創立10周年記念体育館建設期成会設立
  • 1975年7月14日 - 体育館起工式
  • 1975年7月25日~30日 - 吹奏楽部ハワイ親善演奏会
  • 1975年9月7日 - 第2回夏季高校野球大会で優勝
  • 1975年10月7日 - 全国保健体育科優良校受賞
  • 1975年10月12日 - 県高体連より弓道男子(団体)優秀賞を受ける
  • 1975年11月2日 - 第25回高校新人野球大会で優勝し県代表となる
  • 1975年11月15日 - 第57回九州高校野球大会で準優勝
  • 1976年3月1日 - 第8回卒業式(卒業生511名)
  • 1976年3月 - 甲子園出場。(1回戦:土佐3-4)
  • 1976年4月1日 - 教頭 新城久雄転出、教頭 上原計雄発令
  • 1976年4月5日 - 体育館竣工
  • 1976年4月7日 - 第11回入学式
  • 1976年5月2日 - 第58回九州高校野球大会2回戦へ進出
  • 1976年5月30日 - 体育館開き・落成記念式典・PTA後援会総会
  • 1976年8月19日 - 第58回甲子園出場。(2回戦:鹿児島実3-0、3回戦:小山2-1、準々決勝:星稜0-1)
  • 1976年11月23日 - 第59回九州高校野球大会2回戦へ進出(対熊工高戦)
  • 1977年1月2日 - 国立出場。(1回戦:日大山形2-0、2回戦:川島1-5)
  • 1977年1月29日 - 野球部後援会結成・総会
  • 1977年3月1日 - 第9回卒業式(卒業生491名)
  • 1977年3月 - 甲子園出場。(1回戦:酒田東10-0、2回戦:箕島0-10)
  • 1977年4月7日 - 第12回入学式[1]
  • 1977年8月 - 甲子園出場。(2回戦:水島工9-2、3回戦:広島商1-0、準々決勝:東洋大姫路3-8)
  • 1978年3月 - 甲子園出場。(1回戦:桐生1-3)
  • 1978年8月 - 甲子園出場。(2回戦:我孫子3-2、3回戦:東筑4-1、準々決勝:岡山東商5-6)
  • 1996年3月 - 家政科を廃止。
  • 2010年5月 - 管理・普通教室棟(通称A棟)建て替えの為解体。

著名な卒業生

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交通

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バス路線

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運行事業者 路線・系統 下車停留所
那覇バス 6番(那覇おもろまち線)
45番 (与根線)
豊見城高校前
琉球バス交通 105番 (豊見城市内一周線)

脚注

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  1. ^ 豊見城高等学校創立30周年記念誌

関連項目

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外部リンク

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