バーニー・ウイリアムス (1948年生の外野手)

バーナード・ウイリアムスBernard "Bernie" Williams1948年10月8日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手外野手)。

バーニー・ウイリアムス
Bernie Williams
サンディエゴ・パドレス時代
(1974年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州アラメダ郡[1]
生年月日 (1948-10-08) 1948年10月8日(76歳)
身長
体重
183 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1966年 MLBドラフト11巡目
初出場 MLB / 1970年9月7日
NPB / 1975年4月5日
最終出場 MLB / 1974年5月12日
NPB / 1980年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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1966年MLBドラフト11巡目でサンフランシスコ・ジャイアンツに指名され契約。1970年9月7日にメジャーデビュー。1973年はメジャーでの出場は無く、1974年サンディエゴ・パドレスに移籍し、パドレスでメジャー再昇格を果たす。

阪急上田利治監督からの依頼を受けた上田の広島時代の同僚で[2]、当時カリフォルニア・エンゼルスのスカウトを務めていた平山智(フィーバー平山)の斡旋により[3][4]1975年阪急ブレーブスに入団し、来日[1]。強肩巧守の外野手としてライトを守り、レフトの大熊忠義(途中から簑田浩二)、センターの福本豊と共に阪急黄金時代の外野守備陣を形成した。また、俊足の持ち主で、1年目には32盗塁を記録したが盗塁失敗も16を数え、以後は無闇に走ることはなくなった。

1979年6月28日の対ロッテオリオンズ戦(阪急西宮球場)でプロ野球通算4万号本塁打を放っている。

1980年を最後に退団し、帰国[1]。翌年から、ライトの守備位置と背番号1は同じく強肩巧守の簑田が受け継いだ。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1970 SF 7 18 16 2 5 2 0 0 7 1 1 1 0 0 2 0 0 1 0 .313 .389 .438 .826
1971 35 86 73 8 13 1 0 1 17 5 1 1 1 0 12 2 0 24 1 .178 .294 .233 .527
1972 46 75 68 12 13 3 1 3 27 9 0 0 0 0 7 0 0 22 2 .191 .267 .397 .664
1974 SD 14 15 15 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .133 .133 .133 .267
1975 阪急 123 471 420 54 100 13 0 15 158 47 32 16 7 2 39 1 3 95 5 .238 .306 .376 .682
1976 128 486 446 54 121 15 8 15 197 51 7 7 3 2 29 2 6 77 12 .271 .323 .442 .765
1977 125 477 439 60 110 21 6 16 191 50 8 4 2 4 29 1 3 62 9 .251 .299 .435 .734
1978 117 448 403 64 119 16 2 18 193 66 11 10 1 6 31 4 7 69 2 .295 .351 .479 .830
1979 105 333 291 40 67 7 4 11 115 30 11 4 6 1 29 0 6 48 6 .230 .312 .395 .707
1980 120 375 345 58 87 12 4 21 170 50 8 6 4 2 23 1 1 75 8 .252 .299 .493 .792
MLB:4年 102 194 172 23 33 6 1 4 53 15 2 2 1 0 21 2 0 53 4 .192 .280 .308 .588
NPB:6年 718 2590 2344 330 604 84 24 96 1024 294 77 47 23 17 180 9 26 426 42 .258 .316 .437 .753

表彰

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NPB

記録

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NPB初記録
  • 初出場・初先発出場:1975年4月5日、対近鉄バファローズ前期1回戦(阪急西宮球場)、2番・左翼手で先発出場
  • 初安打:1975年4月6日、対近鉄バファローズ前期2回戦(阪急西宮球場)、5回裏に板東里視から左前安打
  • 初本塁打・初打点:1975年4月6日、対近鉄バファローズ前期3回戦(阪急西宮球場)、2回裏に太田幸司から左越ソロ
NPBその他の記録

背番号

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  • 20 (1970年 - 1972年)
  • 23 (1974年)
  • 1 (1975年 - 1980年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、73ページ
  2. ^ “川上巨人に「最低勝率」の屈辱を味わわせた64年広島カープの4首脳”. 週刊ベースボールONLINE (ベースボール・マガジン社). (2015年4月6日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=018-20150413-01 2017年7月26日閲覧。 
  3. ^ 「対談 上田利治×佐々木信也 昭和の名将を語る」『草創期から支え続けた147人の監督列伝 日本プロ野球、昭和の名将』、ベースボール・マガジン社、2012年、p58
  4. ^ “【追悼・上田利治さん(上)】 常勝・阪急の土台づくりの秘密とは… 監督自ら渡米し選手獲得”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2017年7月9日). オリジナルの2017年7月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170725141911/http://www.sankei.com/premium/news/170709/prm1707090002-n1.html 2017年7月26日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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