1968年の阪急ブレーブスでは、1968年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄監督の6年目のシーズンであり、2年連続のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
日本一を逃したものの球団創設32年目での初優勝を果たしたチームはこの年も優勝候補の本命に上がったが、4月は2位で終了。それでも5月以降は調子を上げていくと6月には首位に立ち、前年Bクラスから巻き返しをはかる南海や東京との首位争いが前半戦終了まで続いた。東京が失速した8月以降は南海とのマッチレースが最後まで続き10月11日の阪急対東京戦と近鉄対南海戦の2試合で優勝が決まる大事な試合は2位南海が日本生命球場で近鉄に敗れ、阪急が矢野清のサヨナラ本塁打で東京に勝ったことにより2年連続のパ・リーグ連覇を達成。投手陣はエース足立光宏がケガで5試合の登板に終わったが、米田哲也の29勝を筆頭に5人が2桁勝利をあげるなど好調で防御率は2.92で南海と同率1位だった。打撃陣もダリル・スペンサー、長池徳士の活躍で154本塁打とリーグ2位だった。シーズン終盤までの南海とのデッドヒートの影響を懸念する声も上がったが、巨人との日本シリーズは初戦を勝利。しかし、経験豊富の巨人に2勝4敗で敗れ球団初の日本一はならなかった。日本一こそ逃したものの、オフのドラフトで山田久志・加藤秀司・福本豊といった名選手を獲得した。
1968年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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近鉄 |
--
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近鉄 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
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阪急 |
--
|
阪急 |
--
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2位
|
阪急 |
4.0
|
阪急 |
1.5
|
南海 |
3.0
|
南海 |
1.5
|
南海 |
2.0
|
南海 |
4.0
|
南海 |
1.0
|
3位
|
東映 |
5.5
|
南海
|
近鉄 |
3.5
|
東京 |
3.5
|
東京 |
6.5
|
東京 |
10.0
|
東京 |
13.0
|
4位
|
南海 |
6.0
|
東京 |
4.0
|
東京 |
5.0
|
近鉄 |
7.0
|
近鉄 |
14.5
|
西鉄 |
21.0
|
近鉄 |
23.0
|
5位
|
西鉄 |
7.0
|
東映 |
5.0
|
東映 |
7.5
|
東映 |
13.0
|
西鉄 |
17.0
|
近鉄 |
22.0
|
西鉄 |
24.0
|
6位
|
東京 |
7.5
|
西鉄 |
6.0
|
西鉄 |
11.0
|
西鉄 |
14.0
|
東映 |
23.0
|
東映 |
27.0
|
東映 |
29.0
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1968年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月12日(土) |
第1戦 |
阪急ブレーブス |
5 - 4 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
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10月13日(日) |
第2戦 |
雨天中止
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10月14日(月) |
阪急ブレーブス |
1 - 6 |
読売ジャイアンツ
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10月15日(火) |
移動日
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10月16日(水) |
第3戦 |
読売ジャイアンツ |
9 - 4 |
阪急ブレーブス |
阪急西宮球場
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10月17日(木) |
第4戦 |
読売ジャイアンツ |
6 - 5 |
阪急ブレーブス
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10月18日(金) |
第5戦 |
読売ジャイアンツ |
4 - 6 |
阪急ブレーブス
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10月19日(土) |
移動日
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10月20日(日) |
第6戦 |
阪急ブレーブス |
5 - 7 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
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優勝:読売ジャイアンツ(4年連続10回目)
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[1]
- 10月11日 - この日まで阪急と南海は79勝50敗、勝率.612と全くの互角のまま、阪急は東京(阪急西宮球場)、南海は近鉄(日生球場)で、それぞれ公式戦最終戦を行う。そして阪急が延長11回裏、矢野清のサヨナラ本塁打で勝利、その8分後に南海の負けが決まり、阪急が優勝した。