鳥居忠燾
鳥居 忠燾(とりい ただてる)は、下野壬生藩の第4代藩主。壬生藩鳥居家8代。名は忠熹とも表記される。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永5年9月3日(1776年10月14日) |
死没 | 文政4年7月27日(1821年8月24日) |
改名 | 檮三郎(幼名)→忠燾 |
戒名 | 観光院殿郭応泰然大居士 |
墓所 | 吉祥寺 (文京区) |
官位 | 従五位下、丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 下野壬生藩主 |
氏族 | 鳥居氏 |
父母 | 父:鳥居忠見、母:不詳 |
妻 | 正室:恒子(内藤頼尚の娘) |
子 | 忠威、忠挙、娘(九鬼隆度正室のち牧野康明正室)、娘(中根正昭正室)、娘(堀利忠正室)、娘(加藤泰彦正室のち溝口直達正室) |
生涯
編集安永5年(1776年)9月3日(異説として安永6年(1777年))、鳥居忠見(第3代藩主鳥居忠意の四男)の次男として生まれる。父は寛政6年(1794年)5月12日に早世し、祖父の忠意も同年7月18日に死去したため、その世子として跡を継いだ。文政4年(1821年)7月27日に死去した。跡を次男の忠威が継いだ。
系譜
編集父母
- 鳥居忠見(父)
正室
- 恒子 ー 内藤頼尚の娘
側室
- 岡田氏
子女