内藤頼尚
内藤 頼尚(ないとう よりたか)は、江戸時代中期の大名。信濃高遠藩の第4代藩主。高遠藩内藤家9代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦2年2月27日(1752年4月11日) |
死没 | 安永5年10月25日(1776年12月5日) |
改名 | 勇之助(幼名)、頼尚 |
戒名 | 随雲院殿寛誉梁山道仙大居士 |
墓所 | 東京都新宿区新宿の太宗寺 |
官位 | 従五位下、伊賀守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 信濃国高遠藩主 |
氏族 | 内藤氏 |
父母 | 父:内藤信興、養父:内藤頼由 |
兄弟 | 信旭、信凭、頼尚 |
妻 | 正室:太田資俊の娘 |
子 |
娘(細川利庸正室)、娘(保科正徳正室) 娘(鳥居忠燾正室)、養子:長好 |
宝暦2年(1752年)2月27日、越後村上藩主・内藤信興の三男として生まれる。明和9年(1772年)7月10日に第3代藩主・頼由の養子となり、安永5年(1776年)2月5日、養父が隠居したために跡を継いだ。しかし同年10月25日に死去した。享年25。子は全て女児のため、養子の長好が跡を継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 太田資俊の娘
子女
養子