高千穂町立岩戸中学校
宮崎県高千穂町にある中学校
高千穂町立岩戸中学校(たかちほちょうりつ いわとちゅうがっこう)は、かつて宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸にあった公立の中学校。
高千穂町立岩戸中学校 | |
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閉校記念碑 | |
北緯32度44分17.4秒 東経131度21分8.8秒 / 北緯32.738167度 東経131.352444度座標: 北緯32度44分17.4秒 東経131度21分8.8秒 / 北緯32.738167度 東経131.352444度 | |
過去の名称 | 岩戸村立岩戸中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高千穂町 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)5月8日 |
閉校年月日 | 2015年(平成27年)3月31日 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒882-1621 |
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸4518番地2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
2015年(平成27年)3月末をもって閉校し、高千穂町立高千穂中学校に統合された。
概要
編集- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革によって創立。2015年(平成27年)3月末をもって閉校し、68年の歴史に幕を下ろした。
- 校章
- 中央に「中」の文字を置いている。
- 校歌
- 1958年(昭和33年)制定。作詞は上徳憲一、作曲は見山富士夫による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「岩戸中学校」が登場する。
- 通学区域
- 大字岩戸(高千穂町立岩戸小学校区)
- 大字上岩戸(高千穂町立上岩戸小学校[1]区)
沿革
編集- 1947年(昭和22年)- 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1948年(昭和23年)
- 4月 - 青年学校の廃止に伴い、校舎・校地等を継承。
- 8月 - 木造新校舎(6教室)が完成。
- 11月20日 - 山裏分校を廃止の上、本校に統合。
- 1949年(昭和24年)10月 - 第三校舎(3教室)が完成。
- 1951年(昭和26年)4月 - 第一校舎を解体の上、移築。
- 1954年(昭和29年)5月 - 特別教室が完成。
- 1956年(昭和31年)
- 7月 - 工作室が完成。
- 10月1日 - 町村合併に伴い、「高千穂町立岩戸中学校」(最終名)に改称。
- 1958年(昭和33年)3月 - 創立10周年を記念し、校歌・校旗を制定。
- 1959年(昭和34年)3月 - 体育館が完成。
- 1962年(昭和37年)3月 - 鉄骨ブロック平屋建て校舎(3教室)が完成。
- 1969年(昭和44年)4月 - 特殊学級を設置。
- 1972年(昭和47年)1月 - 体育館を増設。
- 1974年(昭和49年)5月7日 - 鉄筋コンクリート造4階建新校舎に一部移転。
- 1975年(昭和50年)4月 - 新校舎(第二期工事)が完了し、全生徒が新校舎に移転を完了。
- 1982年(昭和57年)3月 - 上津瀬歩道橋が完成。
- 1989年(平成元年)9月 - 技術室を移転。部室が完成。
- 1990年(平成2年)3月 - 校旗を新調。
- 1992年(平成4年)2月 - パソコンを設置。
- 1993年(平成5年)2月 - 校庭を拡張。
- 1997年(平成9年)7月 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 2003年(平成15年)3月 - 上瀬橋が開通。
- 2015年(平成27年)
- 跡地の活用
- 2015年(平成27年)8月 - 管理棟新築工事に伴い、高千穂町立岩戸小学校が仮校舎として移転。
- 岩戸小学校が使用を終了した後は、鉄筋コンクリート造4階建ての校舎は解体され、体育館(高千穂町岩戸体育館)のみが残されている。
- グラウンドの北側には高千穂町立天岩戸保育園の新園舎が完成し、2019年(平成31年)3月に移転の上、同年4月に開園している。
交通
編集- 最寄りのバス停留所
- ふれあいバス岩戸線 「岩戸中学校」停留所より徒歩1分。
- 最寄りの幹線道路
周辺
編集- 仰慕窟・天安河原[2](洞窟の中の神社)
参考資料
編集- 「高千穂町史 本編」(高千穂町、1972年(昭和47年)3月30日発行)p.694
脚注
編集- ^ a b c 後の高千穂町立上岩戸小学校(2010年(平成22年)3月末閉校)。高千穂町立岩戸小学校#沿革を参照。
- ^ 仰慕窟は「ぎょうぼがいわや」、天安河原は「あまのやすかわら」。