青森市立堤小学校
青森県青森市にある小学校
青森市立堤小学校(あおもりしりつ つつみしょうがっこう)は、青森県青森市にある公立小学校。全校児童は、335人(2024年5月1日現在)。現在は正面に青森市中央市民センターがあり、近くに棟方志功記念館、横に細い道路1本挟んで青森県立北斗高等学校がある。また、かつては棟方志功記念館との間に青森市民図書館があった(現在はアウガに移転、ただし建物は別目的に転用され現役)。
青森市立堤小学校 | |
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北緯40度49分8.7秒 東経140度45分41.4秒 / 北緯40.819083度 東経140.761500度座標: 北緯40度49分8.7秒 東経140度45分41.4秒 / 北緯40.819083度 東経140.761500度 | |
過去の名称 |
青森市立野脇尋常小学校 青森市野脇国民学校 青森市立野脇中学校 青森市立野脇小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 青森市 |
設立年月日 | 1937年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B102210000053 |
所在地 | 〒030-0813 |
青森県青森市松原2丁目4番4号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
編集- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 校章・校歌制定。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、野脇国民学校と改称。
- 1944年(昭和19年)3月31日 - 青森医学専門学校に校舎が移管のため、廃校となる。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)11月13日 - 莨町小学校復興・開校により、学区を変更。莨町・橋本両小学校へ、本校児童の一部を移籍。児童数が785名となり、2部授業解消。
- 1951年(昭和26年)4月6日 - 2学級増となり、低学年で、2部授業実施。
- 1953年(昭和28年)4月4日 - 3教室増改築竣工。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)5月1日 - 青森市立堤小学校と改称。
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 1960年(昭和35年)4月5日 - 4教室増築。特別教室開設(理科室・図書室・音楽室)。
- 1962年(昭和37年)10月21日 - 創立25周年記念式典挙行。
- 1972年(昭和47年)12月16日 - 特別教室4教室増築。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 学区変更に伴い、筒井小学校・浦町小学校の学区の一部を編入。
- 1986年(昭和61年)5月29日 - 新校舎竣工移転。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)4月1日 - 浜田小学校の学区の一部を編入する学区変更実施。
この節の出典
編集- 『新青森市史 別編教育(別巻) 年表・学校沿革』(青森市・2000年3月発行)「学校沿革 (一)小学校」144頁~145頁「堤小学校 変遷」
教育目標
編集- 知恵
- やさしさ
- たくましさ
児童数
編集学年 | 1年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 特別支援 | 合計 |
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学級 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 4 | 16 |
児童 | 43 | 49 | 57 | 50 | 59 | 60 | 17 | 335 |
特色
編集- 英語教育を一部始めている。なお、カーリング部を県内で初めて取り入れた小学校でもある。
部活動
編集- 野球部
- ミニバスケットボール部
- 卓球部
- カーリング部
- 合唱部
通学区域
編集- 出典[1]
- 「○○(一部)」と記載されている地区の詳細な地番については、青森市教育委員会学務課まで要問い合わせ。
進学先中学校
編集- 出典[2]
- 公立中学校に進学する場合
周辺
編集- 青森県立北斗高等学校 - 敷地が隣接
- 棟方志功記念館 - 敷地が隣接していたが、2024年3月31日をもって閉館[3]。
- 中央市民センター - 市道をはさんで、敷地が隣接
- 勤労者プール
- 青森県道27号青森浪岡線
脚注
編集- ^ 青森市立小学校の通学区域一覧 (PDF) - 青森市・2022年4月1日更新
- ^ 青森市立中学校の通学区域一覧 (PDF) - 青森市・2022年4月1日更新
- ^ 閉館について (PDF) - 一般財団法人棟方志功記念館・2022年7月リリース