雲井浪子
宝塚少女歌劇団主演娘役 (1901-2003)
雲井 浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井[1]、1901年(明治34年)7月23日 [2] - 2003年(平成15年)8月20日)は、元宝塚少女歌劇団主演娘役で宝塚歌劇団卒業生。兵庫県津名郡洲本町出身[3]。
くもい なみこ 雲井 浪子 | |
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本名 | 坪内 操 (旧姓:高井) |
生年月日 | 1901年7月23日 |
没年月日 | 2003年8月20日(102歳没) |
出生地 | 兵庫県洲本市 |
死没地 | 東京都 |
職業 | 女優 |
活動期間 | 1913年 - 1919年 |
配偶者 | 坪内士行(1919年-1986年) |
著名な家族 |
姉:八十島揖子(宝塚歌劇団1期生) 妹:緒島なほ子(宝塚歌劇団16期生) 娘:坪内ミキ子 |
主な作品 | |
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夫は演劇評論家、早稲田大学教授の坪内士行[4]。娘に女優の坪内ミキ子がいる[4][5]。実姉は同じく宝塚歌劇団1期生で宝塚歌劇団卒業生の八十島揖子[6]、実妹は宝塚歌劇団16期生で宝塚歌劇団卒業生の緒島なほ子[6](本名:高井秀子)。義理の叔父は坪内逍遥[4]、逍遥の養女は飯塚くに。
芸名は小倉百人一首の第76番:法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)の
海の原 漕ぎ出でてみれば 久堅の 雲居に紛ふ 沖つ白波(わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがう おきつしらなみ)
より、宝塚歌劇団創設者の小林一三によって命名された。
略歴・人物
編集1913年7月、湊山尋常高等小学校(後の神戸市立湊山小学校)を卒業した後[7]、宝塚唱歌隊(同年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称。現・宝塚音楽学校)に箕面有馬電気軌道本社(現・阪急電鉄)から実姉の八十島揖子と共に11歳で転任[8]。宝塚歌劇団1期生[1]。同期生に大江文子、由良道子、高峰妙子、小倉みゆき、初代若菜君子らがいる。
1914年4月 - 5月、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の初公演である『ドンブラコ』で猿役を演じた[9]。当時12歳であった。
2003年8月20日、満102歳で死去[11]。記録に残る宝塚歌劇団生徒・団員の中で最も長く生きた人物であり、かつ宝塚歌劇団1期生で最後の存命人物でもあった。
没後、2014年に宝塚歌劇団創立100周年記念で創立された宝塚歌劇の殿堂の、最初の100人のひとりとして殿堂入り[12][13]。また、夫・坪内士行も演出スタッフとして殿堂入りを果たしており、唯一の夫婦で殿堂入りとなった[4]。
宝塚少女歌劇団時代の主な舞台出演
編集- 『ドンブラコ』『浮れ達磨』『胡蝶』(1914年4月1日 - 5月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『音樂カフエー』(1914年10月1日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『雛祭』(1915年3月21日 - 5月23日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『舌切雀』(1915年7月21日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『三人獵師』『日本武尊』(1915年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『櫻大名』(1916年3月19日 - 5月21日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『ヴェニスの夕』『松風村雨』(1916年7月29日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『ダマスクスの三人娘』『中將姫』(1916年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『歌かるた』(1917年1月1日 - 1月10日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『爲朝』(1917年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『桃色鸚鵡』『女曾我』『夜の卷』(1917年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『コサツクの出陣』『下界』(1917年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『厩戶王子』(1918年1月1日 - 1月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『神樂狐』『靜御前』『羅浮仙』(1918年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『造物主』『クレオパトラ』(1918年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『靑葉の笛』『お蠶祭』(1918年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『啞女房』(1919年1月1日 - 1月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『千手の前』『桶の中の哲學者』(1919年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
脚注
編集- ^ a b c 『朝日新聞百年の記事にみる――(1)恋愛と結婚』、朝日新聞社、1979年2月、PP.117-118。
- ^ 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日、95頁。doi:10.11501/906129。
- ^ “47都道府県「おらが村の女偉人伝」兵庫県・雲井浪子/宝塚歌劇団1期生のスター”. Smart FLASH/スマフラ. 光文社 (2020年12月29日). 2022年4月2日閲覧。
- ^ a b c d “宝塚女優と結婚した早大教授 逍遙のおい 坪内士行の青春”. 早稲田ウィークリー. 早稲田大学 (2016年10月10日). 2022年4月2日閲覧。
- ^ [1] 卒業生1~8期生
- ^ a b 100年史(人物) 2014, p. 29.
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年4月、157号、P.15
- ^ 高峰妙子「声だけの試験」『宝塚歌劇の70年(本冊)』宝塚歌劇団、1984年5月18日、50頁。
- ^ 100年史(舞台) 2014, p. 38.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 6.
- ^ 坪内ミキ子. “坪内ミキ子 『母の介護―102歳で看取るまで―』 | 新潮社”. www.shinchosha.co.jp. 新潮社. 2021年12月9日閲覧。
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2022年6月25日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134-135頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
参考文献
編集- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(舞台編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14600-3。
外部リンク
編集- 宝塚少女歌劇団一行の入京『歴史写真. 大正8年7月號』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)