高峰妙子
宝塚少女歌劇団男役 (1899-1980)
高峰 妙子(たかみね たえこ、本名:中村薫[1]、旧姓:浅井[2]、1899年(明治32年)5月6日[3] - 1980年(昭和55年)11月15日)は、元宝塚少女歌劇団男役主演スター(初公演の主役。男役スター第一号。花組&雪組主演男役でもあった。)。宝塚歌劇団1期生。愛称はアッサン。同期生に大江文子、雲井浪子、小倉みゆき、由良道子や筑波峯子らがいる。福井県[3]坂井郡本荘村(現:あわら市)[4]出身。元・宝塚歌劇団・宝塚音楽学校声楽講師である。
たかみね たえこ 高峰 妙子 | |
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本名 | 中村 薫 (旧姓:浅井) |
生年月日 | 1899年5月6日 |
没年月日 | 1980年11月15日(81歳没) |
出生地 | 福井県本荘村(現:あわら市) |
職業 | 女優・声楽講師 |
活動期間 | 1913年 - 1927年(以後講師) |
活動内容 | 宝塚少女歌劇団男役主演スター |
主な作品 | |
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田子之浦に 打出て見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ (たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ)
から命名された。
略歴・エピソード
編集1913年7月、宝塚唱歌隊(この年の12月に宝塚少女歌劇養成会に改称)に14歳で入隊。
1914年4月 - 5月、宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇)の初公演である『ドンブラコ』で主演の桃太郎を演じた。初演当時は14歳であったが4月-5月の公演中に15歳を迎えた。
- 当時「ひふみよいむな」と読むのが普通だった音階を「ドレミファ~」と歌ったことで即採用になった逸話がある。
1927年2月24日[5]、宝塚少女歌劇団を27歳で退団。退団後は歌劇団で声楽の講師を務める[6][7]。
1980年、81歳で逝去。
宝塚時代の主な舞台出演
編集- 『ドンブラコ』- 桃太郎 役、『浮れ達摩』『胡蝶』(1914年4月1日 - 5月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『櫻大名』(1916年3月19日 - 5月21日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『ヴェニスの夕』(1916年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『アンドロクレスと獅子』(1917年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『リザール博士』『夜の卷』(1917年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『コサツクの出陣』『ゴザムの市民』(1917年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『新世帶』『神樂狐』(1918年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『造物主』『クレオパトラ』(1918年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『馬の王様』(1918年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『花咲爺』『啞女房』(1919年1月1日 - 1月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『桶の中の哲學者』(1919年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『蟹滿寺緣起』『世界漫遊』(1919年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『涅槃猫』『女醫者』(1919年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『魔法の種』(1920年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『酒の行兼』(1920年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『コロンブスの遠征』(1920年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『五人娘』『月光曲』(1920年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『雀のお宿』(1921年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『守錢奴』(第一部)(1921年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『成金』『田樂男』(第一部)(1921年7月20日 - 8月31日、公会堂劇場)
- 『カインの殺人』『能因法師』『戀の老騎士』(花組)(1921年10月20日 - 11月30日、第二歌劇場)
- 『室咲』(花組)(1923年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公会堂劇場))
- 『貞任の妻』『アミナの死』(花組)(1923年4月11日 - 5月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『ドーバンの首』(花組)(1923年7月10日 - 8月19日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『楊貴妃』『マルチンの望』(花組)(1923年9月25日 - 10月24日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『笛が鳴る』『マルタ』(花組)(1924年1月1日 - 1月31日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『王者の劍』『中山寺緣起』(花組)(1924年5月1日 - 5月21日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『カチカチ山』『女郎蜘蛛』(月・花組)(1924年7月19日 - 9月2日、宝塚大劇場)
- 『佐保姫』『眼』(花組)(1924年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『陰雨』(花組)(1925年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『カルメン』(雪組)(1925年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『守錢奴』(花組)(1925年12月1日 - 12月28日、宝塚大劇場)
- 『神樂狐』(雪組)(1926年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場)
- 『紅梅染』(雪組)(1926年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『熊襲兄弟』(雪組)(1926年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『啞女房』(雪組)(1927年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
脚注
編集- ^ 『エスエス』、東宝発行所、1939年3月号
- ^ 藤山宗利『日本歌劇俳優写真名鑑』歌舞雑誌社、1920年8月16日、141頁。doi:10.11501/914937。
- ^ a b 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日、95頁。doi:10.11501/906129。
- ^ 『寳塚の歌劇少女』橋詰せみ郎著、新正堂書店、1923年12月5日、P54
- ^ 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』宝塚歌劇団、2014年4月1日、6頁。
- ^ a b 『「宝塚歌劇の殿堂」の新たな顕彰者のお披露目イベント』(pdf)(プレスリリース)阪急電鉄、2015年12月3日 。2022年6月26日閲覧。
- ^ a b “宝塚歌劇の殿堂に元月組トップの剣幸さん 1期生・高峰妙子さんらも”. 産経新聞 (2015年10月2日). 2022年6月26日閲覧。