阿戸
阿戸町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 広島市 |
区 | 安芸区 |
人口 (2018)[1] | |
• 合計 | 2,113人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
731-4231 |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
定義
編集地理
編集広島市安芸区の南端部にある地区である。周りを山に囲まれた自然豊かな場所である。主な山としては小田山(標高719.1m 広島市安芸区の最高峰)、鉾取山(標高711.5m)、原山(標高672.2m)がある。東に東広島市八本松、西に熊野町、南に東広島市黒瀬町、北に瀬野や上瀬野が隣接する。中心部を熊野川(瀬野川の支流)が流れている。熊野川の上流から上庭・中庭・下庭と3つの庭(地区)に分かれる[2]。
- 地名の由来
- 鎌倉時代の記録に「阿土村」の地名があらわれ、戦国時代には矢野城主野間氏や大内氏の支配下となり、のちに毛利氏の支配下になる。安土桃山時代の安芸国知行帳には「阿戸村」と記されている。江戸時代、賀茂郡熊野跡村と改称、当時賀茂郡には「阿戸村」が2つ存在したため、それぞれ隣接する村の名前を取り、当地区は「熊野跡村」に、もう一方は「内海跡村」に改称された。明治に入り廃藩置県後や市町村制施行後も賀茂郡熊野跡村のままだったが、昭和26年に群境の変更により安芸郡熊野跡村となる[2]。1974年の熊野跡村の広島市編入時に「阿戸町」になった。なお、当地区の広島県道174号瀬野呉線には熊野跡道という通称がついていて、熊野跡村の痕跡を残している。
- 住所表示・郵便番号
- 地区内は全て阿戸町という町名である。住居表示は実施されていない。郵便番号は731-4231(熊野郵便局管区)。
- 近隣の同音・類似地名
- 上述の内海跡村はその後「安登村」に改称した。現在の呉市安浦町安登。詳細は呉市#地区と町、安浦町#大字・町名を参照のこと。また、沼田郡にも「阿戸村」が存在していたが、1889年に吉山村と合併し「戸山村」となった。現在の広島市安佐南区沼田町大字阿戸。詳細は沼田町 (広島市)#住居表示を参照のこと。
施設
編集行事
編集- 1月1日(元旦) - 阿戸町駅伝大会
- 3月下旬 - 阿戸町ウオークラリー大会
- 6月 - 竹あかり&ほたる祭り
- 8月15日 - 阿戸町納涼盆踊り大会
- 10月の日曜 - 阿戸町民体育祭(隔年開催)
- 10月19日直近の日曜 - 亀山八幡神社秋季大祭
- 11月第3日曜 - 阿戸町民まつり[4]
文化
編集- 横山家住宅 - 江戸時代の庄屋屋敷が当時のまま残っている
- 熊野跡村の時代から、横山家住宅のそばの橋は熊野町との境界に近いことから「村界橋」と呼ばれている
- 上庭荒神社(かみにわこうじんしゃ)の大榎(おおえのき) - 熊野町との境の目印とされる[5]
- 亀山八幡神社 - 阿戸地区の氏神。亀山八幡神社秋季大祭「亀山八幡の祭りはやし行事」は享保年間に始まり、広島市指定無形文化財となっている
- 舛越神社 - 古くから「権現さん」と呼ばれ、春・夏・秋の年3回お祭が行われる
- 舛越神社の前から舛越峠へ道があり、かつては中野・海田地区への近道とされていて、峠の中腹に「ささめ滝(舛越の滝)」がある。
- 下切地区の石垣 - 瀬野地区と阿戸町との境付近に位置する下切地区にある石垣。江戸時代に人の手により積まれた石垣が約800mにわたって保存されている。
- 和哥宮神社 - 江戸時代には存在していたという記録が残っており、民話「おばあちゃんとわかみやさん」の舞台とされる[6]
人口・世帯数
編集2018年6月末の人口は2,113人、世帯数は955世帯[1]。
交通
編集バス
編集道路
編集- 広島県道174号瀬野呉線 - 安芸区上瀬野・国道2号方面 / 熊野町方面
- 広島県道335号津江八本松線 - 東広島市八本松町吉川方面
脚注
編集参考文献
編集- 昭文社発行 MAXマップル全日本道路地図 ISBN 4-398-60034-5
関連項目
編集- 広島市町名・地区一覧 - 安芸区
- 広電バス
- 芸陽バス
- 熊野町