長尾高景
南北朝時代の武将。上杉氏の家臣。越後長尾氏2代。越後国守護代。長尾景恒の次男。三条長尾家、府中長尾家の祖。
長尾 高景(ながお たかかげ)は、南北朝時代の武将。上杉氏の家臣。越後長尾氏2代当主。越後国守護代。
時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 元弘3年(1333年) |
死没 | 元中6年/康応元年2月28日(1389年3月26日)? |
別名 | 孫六 |
官位 | 筑前守 |
幕府 | 室町幕府 越後守護代 |
主君 | 上杉憲顕→憲方→房方 |
氏族 | 越後長尾氏 |
父母 | 父:長尾景恒 |
兄弟 | 長景、景晴、依景、高景、宇佐美氏室 |
妻 | 来阿弥陀仏大一房[1] |
子 | 邦景、景房 |
略歴
編集父・長尾景恒の後を継いで上杉氏に仕える。貞治5年(1366年)に上杉憲顕より越後守護代に任じられ、蒲原郡を拠点として勢力を伸ばした。兄弟の長景・景晴達はそれぞれ上田長尾家・古志長尾家などに分かれた。
上杉憲方の子・竜命丸(後の上杉房方)を越後へ迎え、春日山城を築いて竜命丸の居城とし、自身は支城の鉢ヶ峰城に詰めたと云われる。嘉慶2年(1388年)には越後出雲崎から佐渡へ進駐した。その後元中6年/康応元年(1389年)に陣没したとも、討ち死にしたとも云われる。高景の跡は邦景が継ぐが、のちに景房の系統がこれに替わることになる。
脚注
編集- ^ 東京美術『時衆教団の地方展開』(金井清光、1983年)