金沢市立野町小学校
石川県金沢市にあった小学校
金沢市立野町小学校(かなざわしりつ のまちしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Nomachi Elementary School)は、石川県金沢市野町にかつてあった公立小学校。2009年からユネスコスクールに認定。2014年に金沢市立弥生小学校と共に金沢市立泉小学校へ統合された。
金沢市立野町小学校 | |
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北緯36度33分09.9秒 東経136度38分54.5秒 / 北緯36.552750度 東経136.648472度座標: 北緯36度33分09.9秒 東経136度38分54.5秒 / 北緯36.552750度 東経136.648472度 | |
過去の名称 |
第二大学区第一中学区一番小学校 寺町小学校 野町小学校 成始小学校・清貞小学校 野町男児小学校・野町女児小学校 野町南小学校・野町北小学校 野町尋常小学校 野町尋常高等小学校 金沢市立野町国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金沢市 |
設立年月日 | 1872年9月(明治5年8月)[注釈 1] |
閉校年月日 | 2014年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
校地面積 | 10,885[1] m2 |
校舎面積 | 4,433[1] m2 |
所在地 | 〒921-8031 |
外部リンク | 金沢市立野町小学校ホームページ(2014年5月17日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
後継の泉小学校が2017年4月に新校舎へ移転した後の旧野町小学校校舎は、改修・一部増築が施されたのち、2021年8月に金沢未来のまち創造館となった[2][3]。
特色
編集2008年7月28日に発生した浅野川の水害と、小中学生による復旧作業を教訓に、金沢市では7月28日を「全市児童生徒ボランティアの日」に指定してボランティア活動を推進している。野町小学校では弥生小学校・中村町小学校・泉中学校と連携した活動が行われていた。また、2009年には地域の伝統文化の保存継承を主な取り組みとして、ユネスコスクールに認定された[4]。
著名な出身者として室生犀星がいる。
沿革
編集《主要な出典:[5]》
- 1872年9月(明治5年8月)[注釈 1] - 第二大学区第一中学区第八小学区[6]において野町元区学校[7]として創立。
- 1873年(明治 6年)
- 1874年(明治 7年)3月 - 寺町小学校を野町小学校と改称[12]。
- 1876年(明治 9年)9月 - 女児就学のために清貞小学校を野町に創設。
- 1884年(明治17年)7月 - 野町小学校を成始小学校と改称[13]。
- 1885年(明治18年)4月 - 清貞小学校を野町女児小学校、成始小学校を野町男児小学校[14]とそれぞれ改称。
- 1887年(明治20年)4月 - 野町男児小学校を尋常科簡易科野町南小学校[15]、野町女児小学校を尋常科簡易科野町北小学校[15]とそれぞれ改称。
- 1891年(明治24年)
- 4月 - 野町北小学校を野町南小学校に吸収合併[16]。
- 11月 - 三間道において新築した校舎が落成。
- 1892年(明治25年)3月15日 - 尋常科野町南小学校を野町尋常小学校と改称[17]。
- 1909年(明治42年)8月22日 - 新築落成式挙行[18]。
- 1918年(大正 7年)4月1日 - 野町第二尋常小学校(女児小学校)が創設され、野町尋常小学校は男児小学校となる[19]。
- 1926年(大正15年)
- 1932年(昭和 7年)5月24日 - 火災により校舎が焼失[22]。
- 1934年(昭和 9年)4月 - 新校舎落成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令実施に伴い、金沢市立野町国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により金沢市立野町小学校と改称。所在地:金沢市三間道2番地[23][24]。
- 1949年(昭和24年)4月 - 野町小学校弥生分校を設置。
- 1950年(昭和25年)10月 - 弥生分校が独立し、金沢市立弥生小学校設立。
- 1951年(昭和26年)10月 - 創立80周年記念式典挙行。
- 1952年(昭和27年)9月 - 校歌制定(室生犀星作詞、平井康三郎作曲)。
- 1971年(昭和46年)10月 - 創立100周年記念式典挙行。
- 1977年(昭和52年)11月25日 - 校舎落成式挙行[25]。
- 1981年(昭和56年)10月 - 創立110周年記念式典挙行。
- 1991年(平成 3年)10月 - 創立120周年記念式典挙行。
- 2009年(平成21年)7月14日 - ユネスコスクール認定[4]。
- 2014年(平成26年)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 学校施設、児童生徒数、教職員数一覧(『金沢の教育 行政編』42頁)(2014年2月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 金沢未来のまち創造館 8月8日開館(2024年5月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 金沢未来のまち創造館条例第2条中「位置 金沢市野町3丁目11番1号」の規定を参照。
- ^ a b “金沢市教育委員会第7回定例会議(平成21年7月15日開催)会議録”. 金沢市教育委員会. pp. 7-9 (2009年). 2010年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月24日閲覧。 “昨日、11校すべてに加盟認定証が市長より交付された”。第7回定例会議 議案書48頁(2010年8月13日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 学校紹介 - 学校の歴史(金沢市立野町小学校ホームページ)(2014年5月18日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 金沢市役所 編『金沢市史――学事編 第3』名著出版、1973年7月、555頁。NDLJP:9536451/17。
- ^ 金沢市史 学事編 第3(1973), p. 556.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 19.
- ^ 金沢市史 学事編 第3(1973), pp. 555–556.
- ^ 金沢市史 学事編 第3(1973), p. 589.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 25.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 29.
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(明治編)』金沢市、1965年7月、69頁。NDLJP:2994360/39。
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 69.
- ^ a b 金沢市史 学事編 第3(1973), p. 917.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 81.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 99.
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 181.
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、39頁。NDLJP:2994372/24。
- ^ 金沢市史 現代編 下巻(1969), p. 422.
- ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 105.
- ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 151.
- ^ 全国学校教育振興会 編『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月、642頁。NDLJP:9524018/334。
- ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 下巻』金沢市、1969年12月、472頁。NDLJP:9569470/251。1967年4月時点の学校一覧参照。
- ^ “市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年8月11日閲覧。
- ^ “金沢市立野町小学校閉校式”. 山野ゆきよし日記 (2014年3月27日). 2024年9月16日閲覧。
- ^ “金沢市の弥生小 63年の歴史に幕(石川県)”. 日本ニュースネットワーク (2014年3月28日). 2021年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月23日閲覧。
- ^ 「金沢市学校設置条例の一部を改正する条例」『金沢市公報』号外第24号、金沢市、2013年12月17日、2頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 金沢市立野町小学校ホームページ(2014年5月17日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 金沢市立野町小学校 旧ホームページ(2013年2月15日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 金沢未来のまち創造館 公式ホームページ - 旧野町小学校校舎を活用して、2021年8月8日に開館した。