赤木蘭子
日本の女優 (1914-1973)
赤木 蘭子(あかぎ らんこ、1914年1月17日 - 1973年7月23日)は、日本の女優。
あかぎ らんこ 赤木 蘭子 | |
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本名 | 信千代(旧姓・筒井) |
生年月日 | 1914年1月17日 |
没年月日 | 1973年7月23日(59歳没) |
出生地 | 東京府 |
職業 | 女優 |
配偶者 | 信欣三 |
著名な家族 | 筒井ともみ(脚本家、姪) |
所属劇団 |
新築地劇団 新協劇団 俳優座 劇団民藝 |
人物・経歴
編集東京出身。本名は信千代[1][2]、旧姓は筒井。1929年、丸山定夫、薄田研二、山本安英、細川ちか子、久保栄らの新築地劇団に入団[1]。藤森成吉作「何が彼女をさうさせたか」で初舞台を踏む[1]。1934年の新築地劇団分裂後は、新協劇団に参加し、「アジアの嵐」などに出演。1939年同劇団の俳優信欣三と結婚した[1]。映画では、主人公の妻役の『空想部落』(1939年)、物語のキーとなる中年女性を演じた『木石』(1940年)、主人公の母である未亡人役の『愛機南へ飛ぶ』(1943年、名義は本名の信千代)、のほか終戦前には『綴方教室』(東宝映画)、『初恋』(東宝映画京都=新協劇団)、井伏鱒二原作『多甚古村』(東宝映画京都)などに出演する[3]。1940年8月19日、村山知義、久保栄、滝沢修と夫の信欣三らとともに、いわれのない治安維持法違反容疑で逮捕[4]。
戦後、1945年に結成された東京芸術劇場に参加するも脱退[5]。夫とともに俳優座に入り、東宝争議の中で、『女優』『第二の人生』『面影』『女の四季』といった映画に出演。1949年10月には、俳優座内で結成された共産党細胞に他の俳優らとともに所属するものの、1950年10月の細胞解散とともに脱党している[6]。1955年劇団民藝に入る。脚本家・小説家の筒井ともみは姪。
フィルモグラフィ
編集映画
編集- 『綴方教室』(東宝映画東京、1938年)
- 『初恋』(東宝映画京都=新協劇団、1939年)
- 『空想部落』(南旺映画、1939年)
- 『多甚古村』(東宝映画京都、1940年)
- 『奥村五百子』(東京発声=新日本映画研究所、1940年)
- 『木石』(松竹、1940年)
- 『愛機南へ飛ぶ』(松竹、1943年)…主人公(原保美)の母役
- 『敵機空襲』(松竹、1943年)…とみ江役
- 『煉瓦女工』(南旺映画、1946年)
- 『女優』(東宝、1947年)
- 『無頼漢長兵衞』(大映、1949年)
- 『女の四季』(東宝、1950年)
- 『唐人お吉』(京映プロ=現代俳協、1954年)
- 『火の鳥』(日活、1956年)
- 『われは海の子』(民芸=教配、1956年)
- 『警察日記 ブタ箱は満員』(日活、1961年)
- 『みんなわが子』(全農映=ATG、1963年)
- 『赤い殺意』(日活、1964年)
- 『怪談』(文芸プロダクションにんじんくらぶ、1965年)
- 『赤い天使』(大映東京、1966年)
- 『あかね雲』(松竹、1967年)
テレビドラマ
編集出典
編集- ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus 赤木蘭子とは
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 10頁。
- ^ 日本映画データベース 赤木蘭子
- ^ 劇団文学座の七十年(三)≪「無定見」「方向性がない」との批判を招く初期の舞台≫ (ゴルドーニ)
- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、353頁。ISBN 4-00-022512-X。
- ^ 「俳優座の細胞解散 赤木蘭子ら全員が脱党」『日本経済新聞』昭和25年10月7日3面