煉瓦

粘土や頁岩を直方体に焼き固めた建築材料
赤レンガから転送)

煉瓦(れんが)は、粘土頁岩直方体の型に入れ、で焼き固めて、あるいは圧縮して作られる建築材料。焼成レンガは原料中の鉄分量および焼成時の酸素量によって色が変わる。日本においては一般的な製法を用いた場合は赤褐色となるが、世界的には白色の物など様々であり、釉薬などで着色することもできる。耐火レンガは炉材にも使われる。

イギリス積みの煉瓦の壁(アルチザンスクエア

日本においては、飛鳥時代から奈良時代に、(読みは全て、せん)と呼ばれていた[1]。その後廃れ、近代化とともに再導入された[2]が、構造材として用いる場合は地震に弱いという難点があり、関東大震災などでは多くの被害を出したことから、煉瓦建築は小規模な建物を除いて激減した。

建材には煉瓦風のタイルも様々な種類が存在し、洋風の雰囲気を出すため、木造鉄筋コンクリート造の表面に張り付ける仕上げ材としても用いられる。

名前

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煉瓦、レンガという語は、日本語独自の名前である[3]中国語では、磚(ツェン)と呼ばれており、日本には6世紀16世紀渡来し、当時は磚(せん)と呼ばれていた[3]

英語では Brick と呼び、フランス語での Brique とほぼ同じである。これは、イギリス13世紀初頭にフランスからレンガの輸入が始まり、15世紀初頭に古フランス語の Briche から英語の Brick が派生したことによる[4]

イギリスでは、ローマ帝国時代にローマ人が煉瓦を生産していたが、ローマ帝国の崩壊によって需要がなくなったことと、近隣で燧石などの良質な石材が手に入ったことから13世紀初頭までレンガの需要がなかった[5]。良質な建築資材が近隣から手に入らなくなってからは、フランスの Brique を輸入し、技術を導入し煉瓦作りのための組合が設立された[6]

ドイツ語では、Ziegel、南ドイツなどでは Backstein という語も見られる。スペイン語では Ladrillo 、イタリア語では Mattone という語が使われる。

煉瓦の歴史

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レンガを使った大聖堂(聖ソフィア大聖堂
 
古代エジプトの貴族レクミラ英語版墓の壁画。レンガ造りをするエジプト人
 
耐火煉瓦はその風合いから、庭づくりにもよく使われる。

煉瓦が建築材料として使用されるようになったのはメソポタミア文明の時代からである。チグリス川ユーフラテス川にわたる広大な範囲で煉瓦建築が発展していった。紀元前4000年からの約1000年間は、乾燥させただけの日干し煉瓦が使用されていた。紀元前3000年頃からは、焼成煉瓦が使用され始め、この頃には大型の建造物の外壁の仕上げに焼成煉瓦が使われている。内部の壁には一番厚い日干し煉瓦を使用し、焼成煉瓦はそれを保護するために使われていた。紀元前1600年から1000年の間には金型を使って表面に様々な細工を施した焼成煉瓦も見られるようになる。紀元前700年頃から湿式法を用いて焼成されたレンガで多くのモニュメントや重要な作品が作られ始めた。その時代にはまだ全ての工程が手作業で行われていたにもかかわらず、広範囲にわたる地域で多数使用されており、その生産量は驚くほど多い。

エジプトにおける煉瓦を使用した建築物は、メソポタミア文明より後のものであり、エジプトから煉瓦技術が地中海沿岸やインド、中国に伝わっていったと考えられている。最も古いピラミッドの中には、内部の壁に乾燥煉瓦を使い、外側を石で仕上げてあるものもある。また、その頃エジプトで使われていた煉瓦の寸法は、現在使用されているものに大変近い。

ヨーロッパでは数世紀間、煉瓦の生産技術(採砂、準加工、乾燥及び焼成方法)はローマより取り入れられてきた。古代ローマでは、建物の品質を確保するためにレンガごとに製造業者の刻印を押すことが義務づけられており、結果的に高い品質が維持されることとなった。この刻印の制度は周辺地域に波及し、古い時代のレンガの製造地や製造業者の特定が可能となっている[7]。煉瓦建築は19世紀まではあまり変化を遂げず、乾燥はそれに適した時期だけ日干しし、焼成は野外に煉瓦を山積みにして作った釜で行われていた。

産業革命によって発動機(蒸気による機械)が導入されるようになってから、煉瓦生産の技法が変わり始めた。この機械の導入によって、準加工と成形工程を機械化させることが可能になり、生産力及び工場設備(機械)の作業能率が高まった。また、この発動機をとりいれた焼成システムによって、生産が合理化され同時に熱の消費が大幅に減った。

日本での歴史

飛鳥時代から奈良時代に、(せん)と呼ばれる土器の建材が用いられる。平城宮には磚積擁壁(せんづみようへき)と呼ばれる壁や柱の基礎などで用いられていた[8]。また、日干しレンガも作られていた[9]

日本で建物用煉瓦の生産が始まったのは長崎の海軍伝習所1855年安政2年)開所)で、1861年文久元年)落成の長崎鎔鉄所の建設に使われたが、現在のものより薄く、その形から「こんにゃく煉瓦」または作製者の名前から「ハルデス煉瓦」と呼ばれた[10]

積み方(組積法)

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フランドル積み
 
様々な色のレンガを使ったPolychrome brickwork英語版
 
床面に対して45°傾けたヘリンボーン積み(非荷重)

建築構造としての積み方にはフランドル積み (Flemish Bond[注 1])、イギリス積み (English Bond) などがある。

正面から見たときに、一つの列に長手と小口が交互に並んで見えるのがフランドル積み。一つの列は長手、その上の列は小口、その上の列は長手、と重ねてゆくのがイギリス積みである(下図・濃淡は小口と長手の区別のため便宜的につけたもの)。イギリス積みは厳密には角にあたる部分の手前にようかん (Quarter) が入るが、この部分に七五を用いて処理している場合にはオランダ積みと呼ぶこともある)[11]

日本では、フランドル積みの方がより優美に見えるが、手間がかかり、構造的にはやや弱くなるという説が出されたことから廃れた[11]

このほか、長手積み (Stretcher Bond) とは全ての列に長手だけが見えるように重ねる積み方で、小口積み (Header Bond) とは全ての列に小口だけが見えるように重ねる積み方である。歩道などにレンガを敷く時は、市松模様網代模様も見られる。

表面に化粧煉瓦を置くこともあり、必ずしも躯体が煉瓦積みの構造体ではないもの(鉄筋コンクリート構造体や鉄骨ラーメン構造体など)がある。

法律
日本においては、建築基準法施行令、第3章構造強度、第4節組積造 において、建築方法や壁の厚みなどが決められており、2階以上の建物の場合は壁を厚くし、各階に臥梁という鉄筋コンクリートの補強をすることが定められている[12]

寸法・規格

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日本の規格レンガの大きさ比較。“さいころ”は“半ます”より5mm短くなっている
 
国ごとの規格の違い(単位:mm)

レンガの寸法は、職人が持ちやすい大きさで慣習もしくは規格によって統一されている場合が多い。国・地域・時代によって違いがあり、たとえば現在のアメリカでは203mm(8inch) x 102mm(4inch) x 57mm(2-1/4inch)、イギリスでは215mm(8-15/32inch) x 102.5mm(4-7/16inch) x 65mm(2-15/16inch)、日本では210mm x 100mm x 60mmのものが広く使われている(日本ではJIS規格が定められるまで、様々な寸法のレンガがあった)。この寸法を標準とし、各辺を1/2、1/4、3/4などの単純な分数倍したものを組み合わせて用いる。たとえば、日本で建築用に使われているものには以下のような寸法がある(単位:mm)。

  • 全形(210 x 100 x 60)
  • ようかん(210 x 50 x 60)
  • 半ようかん(100 x 50 x 60)
  • 半ます(100 x 100 x 60)
  • さいころ(100 x 100 x 60)

また、JIS(日本産業規格)には、以下のものが定められている。

  • 普通レンガ(JIS R1250)
  • 建築用レンガ(JIS A5213)
  • 耐火レンガ(JIS R2204〜2206、JIS R2213) … 炉材として使われる。
ヨーロッパの規格
ヨーロッパの規格は、EN 772 にまとめられている。

煉瓦の種類

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釉薬を塗った釉薬煉瓦を使ったイシュタル門のレプリカ
 
ローマ建築で用いられる薄いことが特徴のローマレンガ。生産地・生産年が分かる刻印が押されている。
Engineering brick英語版
耐酸性や強度があるレンガ
耐火煉瓦(Fire brick

製鉄高炉の内部は最高2000℃にも達し、このような高温条件に耐えるための特別な煉瓦が耐火煉瓦である。耐火煉瓦が発明される以前のたたら等の金属の精錬や加工のための熔解を行う炉は、1回の操業で壊して中身を取り出す消耗品が多く、高温や高効率を求める構造上の工夫の余地は乏しかった。耐火煉瓦の実用化により炉はより高度な設備機能を持ちうる耐久財となり、産業の飛躍をもたらした。

など

原産地由来レンガ
  • Cream City brick
  • London stock brick
  • Nanak Shahi bricks
  • Roman brick

など

装飾
スリップウェア釉薬を使った彩色も行われた。

無焼成レンガ

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日干し煉瓦
日乾煉瓦と表記されることもある日干し煉瓦は、粘土を固めた後に天日乾燥させて造る煉瓦である。もっとも原始的な製法としては、地中の粘土層をそのまま適当な大きさに切り出し、地面に並べて乾燥させる[注 2]。よく成形して乾燥させた日干し煉瓦は、見かけ以上に耐候性に優れ、普及している地域には希な規模の集中豪雨や長雨に晒されない限り、建設資材としての機能を保持し続ける。地震に弱いという欠点もあるものの、乾燥地帯では理想的な建築材料の一つであり、歴史的にも広く使われている。
中国語では、墼 と呼ばれる。
Compressed earth block
粘土などを加熱せずに圧縮することで作られたレンガ。二酸化炭素を排出しないなどのメリットがある。

焼成レンガ

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石材と違い柔らかいうちに規格の決まったサイズで製造でき、無焼成レンガと違い水に強く洪水被害が多い地域でも使用できるメリットがある反面、焼成するプロセスがあるためコスト・焼成温度管理・燃料調達・二酸化炭素排出などのデメリットがある。

煉瓦のメリット

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  • 原材料の土と水が安く入手が容易[14]
  • 製造技術が低くても一定の規格・基準の製品が作れる[14]
  • 大工や石工、建築士などの技術がなくても家が建てられる[14]
  • 断熱性がある[14]
  • 焼成煉瓦は耐久性が50-100年ある[14]

煉瓦の問題

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成形性
乾燥または火の通りの問題から、日干しと焼成のいずれも、部材の大きさと厚みが制約されるため近代以後はより成形自由度の高いコンクリートが台頭することとなった。
水の被害・害虫と耐久性
非焼成煉瓦は、雨や洪水などの水の被害でぬかるみ劣化する[15][14]。さらに、シロアリも湧くため20-30年程度しか持たない[14]
大気汚染
インドでは、大気汚染物質の排出の主要原因としてレンガ工場が上げられている(調理30%、レンガ工場15%、車両15%、工業活動15%、野焼き5%)[14]
森林破壊砂漠化二酸化炭素排出
煉瓦を焼く燃料としても、煉瓦の間を埋めるモルタルの原料となる石灰の入手にも燃料を必要とし、二酸化炭素排出、森林破壊の面でも環境破壊が危惧されている[16]
インダス文明で最大の都市遺跡モヘンジョダロが衰退した理由として焼成煉瓦を多用して砂漠化したという指摘もある[17][18]
中国代の皇帝が、万里の長城用レンガを焼くために森林破壊を行ったという話もある[19]
しかし科学の発展で、燃料も原材料も多様化しており、型枠として木材を用いるコンクリート造よりも木材が節約できる場合がある。コンクリートの打ち込み型枠としてブロックを利用し、そのまま取り外さずに躯体として一体化する型枠ブロック工法や圧縮してブロックにする方法も確立され、環境への配慮が行われている。
地震
組積造の宿命として耐震性に欠ける。1906年サンフランシスコ地震1933年カリフォルニア州ロングビーチでの地震被害から、地震が多い地域では使用が避けられる傾向がある[20]。しかし、トルコでは地震が多いのにもかかわらず(→トルコの地震一覧)未だにレンガ造りの建物が多く、それが原因で1999年や2023年に起きた地震でもパンケーキクラッシュが発生するなどして被害が拡大したと見られている[21][22][注 3]

煉瓦建築

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ヨーロッパでは煉瓦は古代から多くの建物に用いられてきたが、教会、宮殿、公共建築など本格的な建物の場合、構造が煉瓦造でも表面を漆喰や石で仕上げることが多い。赤煉瓦のままの建物は古風なものか、工場、倉庫など簡素なものである。しかし、イギリスなどで中世趣味のため、あえて赤煉瓦のままとすることがある。 アフリカ大陸の降水量の少ない地域では、古くから日干し煉瓦が用いられており、モロッコアイット=ベン=ハドゥの集落マリ共和国ジェンネなど、美しい町並みが世界遺産として評価され登録される例もある。

日本

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レオンス・ヴェルニーの指導の下で製造された国産第二号煉瓦とされる「ヨコスカ製鉄所煉瓦」の刻印部分。1866年頃から製造され、観音埼灯台、野島埼灯台、品川灯台、城ヶ島灯台等の建造に使用された。

日本で最初期に造られた煉瓦建築は幕末の反射炉である。ヘンドリック・ハルデスレオンス・ヴェルニートーマス・ウォートルスリチャード・ヘンリー・ブラントンお雇い外国人の指導で官営事業を中心に煉瓦の製造、建設が始まった。1870年、日本初の煉瓦(当初は煉化あるいは煉化石とも呼ばれた)工場が堺県(現在の大阪府堺市)に設立された。銀座煉瓦街の建設の際は大量の煉瓦を必要としたため、東京の小菅に煉瓦工場が築かれた。日本では明治初期まではフランドル積み(フランス積み)構造が多く用いられた(長崎造船所、富岡製糸所、銀座煉瓦街等)が、その後はほとんどイギリス積みになった。フランドル積みの方がより優美に見えるが、イギリス積みの方が合理的で堅固であると考えられたためである[23]。例えば、東京駅の外壁を見ると、どの列にも小口が並んでおり小口積みのようであるが、これは表面仕上げに小口煉瓦を用いているためで、主構造はイギリス積みである。

明治中期頃には煉瓦職人も増え、一般的な技術の一つになった。煉瓦造建築は濃尾地震で被害を受けたため、鉄骨で補強する構造なども工夫された(赤坂離宮、東京駅など)。また、大正時代には鉄骨造建築の壁を煉瓦で造ったり(郵船ビルなど)、鉄筋コンクリート造建築の一部を煉瓦造とする混構造も見られた。しかし、煉瓦を構造に用いた建物は関東大震災で大きな被害を受けた。浅草の凌雲閣(十二階)が倒壊したことは象徴的であった。震災以降、煉瓦造は小規模な建物以外には用いられなくなり、鉄筋コンクリート造が主流になった。

その後はモダン趣味の外装材として好んで用いられるが、赤煉瓦を模したタイル等の外装専用材が多くなっている。

煉瓦造の代表的建造物

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ねじりまんぽ。アーチによって跨ぐ対象物の軸線とアーチ上部の軸線が斜めに交わる際に用いられる技法で、アーチの煉瓦を捻って積む。正式には「斜架拱」もしくは「斜拱渠」と呼ぶ。1888年(明治21年)建造の琵琶湖疏水の物が有名だが、これはさらに古い1887年(明治20年)建造の東海道本線「甲大門西橋梁」(穂積〜大垣間)[24]。琵琶湖疏水の物以外は全て鉄道構造物である。

赤煉瓦ネットワーク(煉瓦建築の保存を目的とした全国組織)による「20世紀 日本赤煉瓦建築番付」(2000年(平成12年)、藤森照信ら監修)に、上記の建築物のうち、東の横綱に東京駅横浜赤レンガ倉庫富岡製糸場、西の横綱に大阪市中央公会堂江田島旧海軍兵学校今村天主堂が選ばれた(ちなみにこの番付では国指定の重要文化財年寄扱い)。

ホフマン窯

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煉瓦を焼くために築かれたホフマン窯が日本国内に4か所ほど残っている。貴重な産業遺構である(栃木県、埼玉県等)。

煉瓦造風建造物

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  • 深谷駅 - 東京駅の煉瓦を焼いた工場が深谷にあったことから、煉瓦造風の駅舎を建てた。構造は煉瓦造ではなく、煉瓦タイルで装飾したものである。

ギャラリー

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ギャラリー(国産黎明期の代表的煉瓦の刻印)

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煉瓦関連の施設

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日本の生産地

明治から大正時代にかけて、大阪、東京、埼玉が普通煉瓦の生産量の多くを占めていた[26]

博物館など

文化・比喩

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エジプト第26王朝の初代ファラオプサムテク1世の名が掘られた煉瓦印章英語版

脚注

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注釈

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  1. ^ フランドルはベルギー全土からフランス東北部の地名。日本では明治期に「フランス積み」と誤訳された。
  2. ^ 似たような製法として珪藻土から切り出される七輪がある。
  3. ^ 但し、前述の1999年の地震により、耐震基準が大きく見直され、現在は日本と変わらない水準となっている。しかし既存不適格の建築物が多く、問題となっている。

出典

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  1. ^ デジタル大辞泉,世界大百科事典内言及. “磚とは”. コトバンク. 2022年5月18日閲覧。
  2. ^ 「煉瓦という建築材料は、日本の建築の歴史の中では、ごく最近建築に用いられはじめた材料」(清水慶一『建設はじめて物語』大成建設、16頁)
  3. ^ a b 建設コンサルタンツ協会誌 Consultant VOL.269 October 2015 著:水野信太郎 p013
  4. ^ brick” (英語). www.etymonline.com. 2022年5月19日閲覧。
  5. ^ Brickwork: Historic Development - Gerard Lynch”. www.buildingconservation.com. 2022年5月19日閲覧。
  6. ^ Brick making” (英語). Heritage Crafts (2017年4月30日). 2022年5月19日閲覧。
  7. ^ ヴィッキー・レオン『古代仕事大全』原書房、2009年、292頁。
  8. ^ 消えた煉瓦の行方 - なぶんけんブログ”. www.nabunken.go.jp. 奈良文化財研究所. 2022年5月18日閲覧。
  9. ^ 日本煉瓦史の研究 〈オンデマンド版〉 著:水野信太郎、発行:法政大学出版
  10. ^ れんがの歴史(全国赤煉瓦協会)
  11. ^ a b わが国における鉄道用煉瓦構造物, p. 123–164.
  12. ^ 建築基準法施行令”. elaws.e-gov.go.jp. 2022年6月1日閲覧。
  13. ^ 須賀音吉, 滑石直幸「珪石煉瓦のMatrixの研究 (第1報)」『窯業協會誌』第62巻第695号、日本セラミックス協会、1954年、335-339頁、doi:10.2109/jcersj1950.62.695_335 
  14. ^ a b c d e f g h 青山, 美和「インドにおけるレンガセクターからの大気汚染削減策に関する分析」『生産研究』第73巻第3号、東京大学生産技術研究所、2021年5月1日、151-156頁、doi:10.11188/seisankenkyu.73.1512022年5月20日閲覧 
  15. ^ 20. Mud Bricks and a Flood. A Little History of Archaeology. Yale University Press. (2019-12-31). pp. 128–134. doi:10.12987/9780300235289-020. https://doi.org/10.12987/9780300235289-020 2022年5月20日閲覧。 
  16. ^ Syed Ashraful Alam and Mike Starr (2009). “Deforestation and greenhouse gas emissions associated with fuelwood consumption of the brick making industry in Sudan”. Science of The Total Environment 407 (2): 847-852. doi:10.1016/j.scitotenv.2008.09.040. ISSN 0048-9697. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0048969708010048. 
  17. ^ 驚くべき計画都市、モヘンジョ・ダロ”. www.eorc.jaxa.jp. 2022年5月20日閲覧。
  18. ^ モヘンジョダロ/パキスタン”. [世界遺産] All About. 2022年5月20日閲覧。
  19. ^ 【動画】黄砂はどこから 万里の長城越えて行ってみた”. 西日本新聞me. 2022年5月20日閲覧。
  20. ^ Twitter (2015年10月9日). “How L.A. conquered an earthquake danger zone: Brick buildings” (英語). Los Angeles Times. 2022年5月18日閲覧。
  21. ^ レンガ造りの建物多く被害拡大か…24年前にトルコ調査した研究者「揺れへの耐性低い」”. 読売新聞オンライン (2023年2月8日). 2023年2月9日閲覧。
  22. ^ 【解説】トルコ大地震 「パンケーキクラッシュ」で被害拡大か 耐震基準“日本並み”も補強追いつかず…(日テレNEWS)”. Yahoo!ニュース. 2023年2月10日閲覧。
  23. ^ 村松貞次郎『日本近代建築技術史』彰国社、58頁。
  24. ^ わが国における鉄道用煉瓦構造物, p. 325–355.
  25. ^ 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫―保存再生活用に関わる第一期報告書―(平成24年、早稲田大学建築学科)
  26. ^ 慶一, 宮谷 (2011). “煉瓦生産額上位府県と労働時間の分析並びに統計資料の調査対象に関する補足”. 日本建築学会計画系論文集 76 (663): 1003–1010. doi:10.3130/aija.76.1003. https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/76/663/76_663_1003/_article/-char/ja/. 
  27. ^ a b 郁奈, 和田 (2009). “江別市におけるれんがの主産地形成と生産維持体制”. 地理学論集 84 (1): 88–98. doi:10.7886/hgs.84.88. https://www.jstage.jst.go.jp/article/hgs/84/1/84_88/_article/-char/ja/. 
  28. ^ Brick Tax 1784 -1850” (英語). 2022年5月20日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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