西田直二郎
西田 直二郎(にしだ なおじろう、1886年12月23日 - 1964年12月26日)は、 日本の国史学者。文学博士(京都帝国大学・1924年)。京都大学名誉教授。「文化史学」「文化史観」の提唱で知られる。
人物情報 | |
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生誕 |
1886年12月23日 日本 大阪府 |
死没 | 1964年12月26日 (78歳没) |
出身校 | 京都大学 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(国史学) |
研究機関 | 京都大学 |
学位 | 文学博士 |
略歴・業績
編集1886年、大阪府西成郡清堀村(現:大阪市天王寺区)生まれ[1]。本名・直二。京都帝国大学文学部史学科国史学専攻1期生で、内田銀蔵・三浦周行・原勝郎・内藤湖南らに学び、1910年に卒業[2]。同年、同学大学院に入学し日本文化史を専攻。1915年京大講師、1919年助教授、1924年教授。1924年に「王朝ノ庶民階級」により京都帝国大学から文学博士の学位を授与される[3]。
政治・思想においては保守的であり、滝川事件後の新聞部長に就任、新聞部内で高まりを見せていた自由主義擁護の風潮を押さえる側に回った。戦時中は国民精神文化研究所所員として戦意高揚に努め、『国史に於ける永遠の思想』 などを著わした。これらの経歴が戦後の公職追放処分の理由になった。
戦後は公職追放令(教職員追放令)で1946年に退官。1951年に追放解除となった。公職追放解除後、1952年に京都大学名誉教授となり、京都女子大学教授・滋賀大学教授を歴任[1]。
著書
編集脚注
編集- ^ a b 西田 直二郎とは - コトバンク
- ^ 『京都帝国大学一覧 従明治44年至明治45年』京都帝国大学、1912年3月、p.285 2018年7月16日閲覧。
- ^ CiNii 博士論文 - 王朝ノ庶民階級