藤ノ川雷五郎
伊勢ノ海部屋に所属した元力士
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藤ノ川 雷五郎(ふじのかわ らいごろう、1888年4月10日 - 1966年2月22日[1])は、現在の新潟県上越市出身で伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は飯田 繁治。14代春日山。174cm、94kg。最高位は西関脇。
経歴
編集1908年1月初土俵、1913年5月十両昇進。1917年5月入幕し、1919年5月関脇昇進。しかし10戦全敗に終わる。1925年1月に引退し春日山を襲名。1954年9月に廃業した。
成績
編集- 幕内16場所59勝87敗11休6分預
- 関取23場所82勝108敗11休7分預
- 通算35場所
場所別成績
編集春場所 | 夏場所 | |||||
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1908年 (明治41年) |
(前相撲) | 西序ノ口28枚目 – |
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1909年 (明治42年) |
西序二段38枚目 – |
東序二段15枚目 – |
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1910年 (明治43年) |
東三段目55枚目 – |
東三段目10枚目 – |
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1911年 (明治44年) |
西幕下50枚目 – |
西幕下57枚目 – |
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1912年 (明治45年) |
東幕下19枚目 – |
東幕下27枚目 – |
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1913年 (大正2年) |
東幕下10枚目 4–1 |
西十両6枚目 1–4 |
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1914年 (大正3年) |
西幕下2枚目 3–0 2預 |
東十両6枚目 4–2 |
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1915年 (大正4年) |
東十両2枚目 3–5 1分 |
東十両12枚目 3–2 |
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1916年 (大正5年) |
西十両9枚目 3–2 |
西十両3枚目 5–3 |
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1917年 (大正6年) |
西十両筆頭 4–3 |
東前頭15枚目 3–7 |
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1918年 (大正7年) |
西前頭17枚目 5–5 |
西前頭9枚目 7–3 |
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1919年 (大正8年) |
西前頭2枚目 5–5 ★ |
西関脇 0–10 |
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1920年 (大正9年) |
西前頭8枚目 4–1–5 |
東前頭3枚目 5–4 1分 |
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1921年 (大正10年) |
東前頭3枚目 3–6 1預 |
西前頭11枚目 4–6 |
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1922年 (大正11年) |
西前頭11枚目 3–7 |
東前頭15枚目 3–7 |
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1923年 (大正12年) |
西前頭16枚目 6–3 1預 |
東前頭9枚目 3–4–1 1分2預 |
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1924年 (大正13年) |
東前頭11枚目 4–6 |
西前頭11枚目 4–7 |
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1925年 (大正14年) |
西前頭14枚目 引退 0–6–5 |
x | ||||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。
改名
編集菖蒲川→越後山(1909年1月場所-)→藤ノ川(1910年1月場所-) [2]
出典
編集- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 43頁
- ^ 水野尚文、京須利敏『大相撲力士名鑑』 平成13年版、共同通信社、2000年12月。ISBN 978-4764104709。