1914年の相撲
本場所など
編集その他相撲披露
編集誕生
編集- 1月8日 - 大泉隆司(最高位:十両15枚目、所属:出羽海部屋→武隈部屋、+ 没年不明)
- 1月18日 - 源氏山祐蔵(最高位:前頭15枚目、所属:浅香山部屋→井筒部屋、+ 没年不明)[6]
- 2月10日 - 富ノ山等(最高位:前頭4枚目、所属:花籠部屋、+ 1945年【昭和20年】)[7]
- 3月25日 - 小戸ヶ岩龍雄(最高位:前頭15枚目、所属:若藤部屋、+ 1986年【昭和61年】)[8]
- 3月25日 - 朝明重男(最高位:十両3枚目、所属:高砂部屋、+ 1946年【昭和21年】)
- 4月27日 - 冨田濱正治(最高位:十両9枚目、所属:高砂部屋→大山部屋、+ 没年不明)
- 5月4日 - 前田山英五郎(第39代横綱、所属:高砂部屋、+ 1971年【昭和46年】)[9]
- 5月6日 - 若浪義光(最高位:前頭19枚目、所属:立浪部屋、+ 1982年【昭和57年】)[10]
- 5月15日 - 松若正次(最高位:十両7枚目、所属:中村部屋、+ 没年不明)
- 5月28日 - 三舩浪盛吉(最高位:十両5枚目、所属:浅香山部屋→井筒部屋、+ 1943年【昭和18年】)
- 5月30日 - 安藝ノ海節男(第37代横綱、所属:出羽海部屋、+ 1979年【昭和54年】)[11]
- 6月5日 - 神威山力雄(最高位:十両4枚目、所属:花籠部屋、+ 1974年【昭和49年】)
- 6月27日 - 鹿嶌洋起市(最高位:前頭筆頭、所属:春日野部屋、+ 1947年【昭和22年】)[6]
- 8月11日 - 鯱ノ里一郎(最高位:前頭3枚目、所属:若松部屋、+ 1981年【昭和56年】)[9]
- 9月5日 - 小嶌川庄吉(最高位:前頭5枚目、所属:立浪部屋、+ 1946年【昭和21年】)[12]
- 9月27日 - 名寄岩静男(最高位:大関、所属:立浪部屋、+ 1971年【昭和46年】)[13]
- 11月18日 - 羽黒山政司(第36代横綱、所属:立浪部屋、+ 1969年【昭和44年】)[12]
死去
編集- 3月11日 - 八幡山定吉(最高位:大関、所属:玉垣部屋→大嶽部屋→根岸部屋→友綱部屋、* 1858年【安政5年】)
- 3月15日 - 11代式守伊之助(立行司(現役没)、* 1860年【万延元年】)
- 4月11日 - 駒ヶ嶽國力(最高位:大関(現役没)、所属:井筒部屋→関ノ戸部屋→井筒部屋、* 1880年【明治13年】)[14]
- 9月20日 - 加勝山鹿治(最高位:前頭14枚目(現役没)、所属:友綱部屋、* 1889年【明治22年】)[15]
- 10月9日 - 十三ノ浦金四郎(最高位:前頭4枚目、所属:二十山部屋、* 1885年【明治18年】)[16]
- 10月22日 - 初代小錦八十吉(第17代横綱、所属:高砂部屋、年寄:二十山、* 1866年【慶応2年】)[17]
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 酒井, pp. 267–270.
- ^ 酒井, pp. 270–271.
- ^ 酒井, pp. 271–274.
- ^ 酒井, pp. 274–275.
- ^ a b 酒井, p. 275.
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 92頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 85頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 101頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 88頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 98頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 91頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 90頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 89頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 9頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 32頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 24頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 310頁
参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。