冨田濱 正治(とみたはま まさじ、1914年4月27日[1] - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士高砂部屋から大山部屋に所属[2]三重県四日市市出身[1]。本名は広瀬 政治(ひろせ まさじ)[1]。最高位は西十両9枚目[1]。得意技は左四つ、寄り。

経歴

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1931年5月場所に初土俵。1939年5月場所に十両に昇進[2]。この場所は6勝9敗と負け越した。関脇高登が引退し大山部屋を興すとともに移籍し、その最初の場所である翌1940年1月場所でも3勝12敗と大きく負け越し、幕下に陥落した。1941年5月場所に27歳で廃業した[2]

主な成績

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  • 通算成績:62勝75敗1休 勝率.453
  • 十両成績:9勝21敗 勝率.300
  • 現役在位:15場所
  • 十両在位:2場所

場所別成績

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冨田濱 正治
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1931年
(昭和6年)
x x (前相撲) x
1932年
(昭和7年)
x x x x
1933年
(昭和8年)
x x x x
1934年
(昭和9年)
x x 東三段目11枚目
3–3 
x
1935年
(昭和10年)
東三段目6枚目
3–3 
x 西三段目2枚目
3–3 
x
1936年
(昭和11年)
東幕下21枚目
6–5 
x 東幕下13枚目
5–6 
x
1937年
(昭和12年)
東幕下17枚目
1–9–1 
x 西三段目10枚目
4–3 
x
1938年
(昭和13年)
東幕下29枚目
8–5 
x 東幕下14枚目
5–2 
x
1939年
(昭和14年)
東幕下3枚目
5–2 
x 西十両9枚目
6–9 
x
1940年
(昭和15年)
西十両12枚目
3–12 
x 西幕下5枚目
3–4 
x
1941年
(昭和16年)
東幕下15枚目
3–5 
x 西幕下18枚目
引退
4–4–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 冨田濱 正治(とみたはま まさじ)1934年5月場所 - 1939年5月場所
  • 富田濱 正治(とみたはま まさじ)1940年1月場所 - 1941年5月場所

脚注

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  1. ^ a b c d 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、176頁。
  2. ^ a b c 『昭和の大相撲 資料編』 312頁。

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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