芦屋公園
兵庫県芦屋市にある都市公園
芦屋公園(あしやこうえん)は、兵庫県芦屋市にある都市公園(地区公園)である。別名松浜公園と呼ばれており、芦屋川左岸沿いに国道43号から河口付近まで南北にのびた公園には市木であるクロマツが約420本植えられている。面積29,433平方メートル[1]。
芦屋公園 Ashiya Park | |
---|---|
芦屋公園 | |
分類 | 都市公園(地区公園) |
所在地 | |
座標 | 北緯34度43分23.170秒 東経135度18分17.259秒 / 北緯34.72310278度 東経135.30479417度座標: 北緯34度43分23.170秒 東経135度18分17.259秒 / 北緯34.72310278度 東経135.30479417度 |
面積 | 29,433平方メートル |
開園 | 1907年(明治40年)7月 |
沿革
編集- 大正時代 鵺塚が建てられる
- 1956年(昭和31年) 芦屋公園庭球場が開設され、同年に第11回国民体育大会において硬式庭球競技大会が開催される[2]
- 1973年(昭和48年)7月7日 日中友好碑が建てられる
公園内の施設
編集- ブランコ
- 滑り台
- ジャングルジム
- うんてい
- 複合遊具
- 健康遊具
- トイレ(障害者用、オムツ替えスペース)
- ベンチ
- テニスコート
- 会議室(有料)
- 駐車場
石碑
編集ぬえ塚
編集→詳細は「ぬえ塚」を参照
二条城で深夜に暴れていた怪獣鵺を源頼政が弓で射殺し、死体を船に乗せて、桂川に流し大阪湾を経由して、死体は芦屋の浜辺に辿り着いた。近隣の浦人は鵺の死体を恐れて墓を作り、ぬえ塚となった。このぬえ塚は、1917年(大正6年)に建立された。[3][4]
猿丸君彰功碑
編集→詳細は「猿丸君彰功碑」を参照
1930年(昭和5年)に建立された。芦屋川改修、農地整理、JR芦屋駅の創設など、芦屋地区発展の基礎作りに貢献したとされる猿丸安明の功績が書かれている。[5]石碑には犬養毅のサインがされている。[6]
句碑
編集芦屋市出身の稲畑汀子が阪神・淡路大震災について読んだ句が掘られている。「震災に 耐へし芦屋の 松涼し」芦屋市内にある阪神・淡路大震災について歌われた碑が46個あり、その一つである。
日中友好平和の塔
編集1973年(昭和48年)7月7日に日中友好平和の塔建設委員会により建てられた。前年に日中国交回復している。
交通アクセス
編集阪神電車芦屋駅から徒歩5分