臼井二尚
臼井 二尚(うすい じしょう、1900年8月27日[1] - 1991年3月8日[2])は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1900年8月27日 日本長野県南安曇郡三田村 (現安曇野市) |
死没 | 1991年3月8日 (90歳没) |
出身校 | 京都帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 社会学 |
研究機関 | 京都大学、関西大学、帝塚山大学、佛教大学 |
学位 | 文学博士 |
経歴
編集長野県南安曇郡三田村田尻(現:安曇野市堀金三田)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科乙類を経て、1926年京都帝国大学文学部社会学科を卒業した。
1929年、京都帝国大学専任講師に着任。ドイツ、米国、フランスに研究留学した後、1932年に助教授昇進。1944年に教授昇進。1945年、学位論文『社会と民族』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。1949年より京都大学文学部教授。1963年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関西大学社会学部教授、帝塚山大学教授、佛教大学教授をつとめた[3][4]。学界では、1954年から1957年まで日本社会学会会長をつとめた。