肝付兼逵
肝付 兼逵(きもつき かねみち)は、江戸時代中期の薩摩藩士。喜入肝付氏6代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享3年(1686年) |
死没 | 元文4年4月1日(1739年5月8日) |
改名 | 兼加(初名)→兼逵 |
別名 | 通称:左門、典膳 |
主君 | 島津綱貴→吉貴→継豊 |
藩 | 薩摩喜入領主 |
氏族 | 喜入肝付氏 |
父母 | 父:肝付兼柄、母:島津光久十三女 |
兄弟 | 兼逵、島津久通 |
妻 | 正室:北郷久嘉娘 |
子 | 兼伯 |
喜入肝付氏は肝付氏12代・肝付兼忠の三男・兼光を祖とする庶流。
貞享3年(1686年)、肝付兼柄の子として生まれる。元禄9年(1696年)、藩主・島津綱貴の面前で元服する。享保3年(1718年)、父の死去により家督相続する。同年、勘定奉行を拝命する。
享保7年(1722年)、謝恩使として江戸に下り、江戸城で将軍・徳川吉宗に拝謁する。享保19年(1734年)、寺社奉行。元文4年(1739年)4月1日没。享年54。
参考文献
編集- 「喜入村郷土史」