肝付兼忠
肝付 兼忠(きもつき かねただ)は、室町時代の武将。肝付氏12代当主。
時代 | 室町時代 |
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生誕 | 応永13年(1406年) |
死没 | 文明16年3月11日(1484年4月6日)[1] |
別名 | 通称:三郎 |
官位 | 河内守 |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 肝付氏 |
父母 | 父:肝付兼元、母:新納忠臣の娘 |
兄弟 | 兼忠、頴娃兼政、兼恒、兼広 |
子 | 国兼、兼連、兼光、兼清 |
略歴
編集島津忠国と島津好久の内紛の際には好久派であったが、忠国の舅でもあった祖父・新納忠臣の説得によって忠国に従った[2]。
兼忠とその長男・国兼が不仲であった機に乗じて、次男・兼連が国兼を領外に追放すると、三男・兼光は国兼の復帰を願い出たが、聞き入れられず出奔、島津氏の配下となる。
脚注
編集- ^ 『鹿児島県史 別巻』
- ^ 新名一仁「嘉吉・文安の島津氏内訌-南九州政治史上の意義-」『史学研究』235号(2001年)/改題所収:「嘉吉・文安の島津氏内訌」新名 編『室町期島津氏領国の政治構造』(戎光祥出版、2015年) ISBN 978-4-86403-137-0