新納忠臣
新納 忠臣(にいろ ただおみ)は、室町時代中期の武将。島津氏の家臣。新納氏3代当主。
時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文安6年2月29日(1449年3月23日) |
別名 | 久臣 |
官位 | 近江守、越後守 |
主君 | 島津忠国 |
氏族 | 新納氏 |
父母 | 父:新納実久 |
兄弟 | 大崎久吉、久顕、忠臣 |
妻 | 北郷忠通娘 |
子 | 忠治、忠匡、心萃夫人(島津忠国室)、肝付兼元室 |
略歴
編集2代当主・新納実久の子として誕生。
永享13年(1441年)、島津氏が室町幕府6代将軍・足利義教より日向国に潜伏していた義教の弟・大覚寺義昭を討つよう命じられると、主君・島津忠国の命で樺山教久、山田忠尚、北郷持久、本田重恒らと共に討伐に向かい、義昭を自害に追い込んだ。また忠国が弟・用久と対立した時には、忠国を諌めて用久と和解させている。