肝付兼光
肝付 兼光(きもつき かねみつ)は、室町時代の武将。島津氏の家臣。
時代 | 室町時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文明15年10月2日(1483年11月2日)[1] |
官位 | 越前守 |
主君 | 島津氏 |
氏族 | 肝付氏 |
父母 | 父:肝付兼忠 |
兄弟 | 国兼、兼連、兼光、兼清 |
子 | 兼固、兼恒 |
父・肝付兼忠と長兄・国兼の関係は不仲で、次兄・兼連はそれに乗じて国兼を領外に追放した。兼光は兼連と国兼との和睦を提案したが取り入れられず、結果、兼光は出奔し、島津氏の配下となる。大崎町の天子ヶ丘集落辺りを中心として大崎城を築城する。
文明15年(1483年)、死去。家督は嫡男・兼固が継いだ。
なお、天正5年(1577年)に馬場・丸尾・城内集落一帯に新しい大崎城が建築されるが、兼光が建築した大崎城は、現在『旧大崎城』となる。
脚注
編集- ^ 『鹿児島県史 別巻』