肝付兼満
肝付 兼満(きもつき かねみつ)は、江戸時代中期から後期にかけての薩摩藩士。喜入肝付氏8代当主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦5年(1755年) |
死没 | 文化元年10月24日(1804年11月25日) |
改名 | 兼満→活遊(号) |
別名 | 通称:左門、弾正、帯刀 |
主君 | 島津重豪→斉宣 |
藩 | 薩摩喜入領主 |
氏族 | 喜入肝付氏 |
父母 | 父:肝付兼伯、母:島津継豊娘 |
妻 | 正室:小松清香養女 |
子 | 兼般、兼智、兼資 |
喜入肝付氏は肝付氏12代・肝付兼忠の三男・兼光を祖とする庶流。
宝暦5年(1755年)、肝付兼伯の子として生まれる。宝暦11年(1761年)、父の死去により家督相続する。明和2年(1765年)、藩主・島津重豪の加冠で元服する。
安永3年(1774年)、火消奉行を拝命する。天明3年(1783年)、領内喜入浜の石垣普請を行う。寛政2年(1790年)、百引郷地頭職となる。寛政6年(1794年)、隠居して家督を子・兼般に譲る。
文化元年(1804年)10月24日没。享年50。
参考文献
編集- 「喜入村郷土史」