肝付兼武
日本の江戸時代の武士 (1601-1635)
肝付 兼武(きもつき かねたけ)は、江戸時代前期の薩摩藩士。喜入肝付氏2代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長6年(1601年) |
死没 | 寛永12年8月19日(1635年9月30日) |
別名 | 通称:長三郎、弾正少弼 |
主君 | 島津忠恒 |
藩 | 薩摩喜入領主 |
氏族 | 喜入肝付氏 |
父母 | 父:肝付兼篤、母:岩切善信娘 |
妻 | 正室:渋谷重将娘 |
子 | 兼屋 |
喜入肝付氏は肝付氏12代・肝付兼忠の三男・兼光を祖とする庶流。
慶長6年(1601年)、肝付兼篤の子として生まれる。慶長14年(1609年)、父の死去により家督相続。藩主・家久の面前で元服して兼武と名乗る。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣の際に新納久信と共に出陣するも、肥後国で和睦の知らせを受けて帰国する。元和2年(1616年)、領内に若宮大名神を勧請する。
参考文献
編集- 「喜入村郷土史」