織田長恭
大和国芝村藩第10代藩主
織田 長恭(おだ ながやす)は、江戸時代後期の大名。大和国芝村藩10代藩主。官位は従五位下・丹後守。長政流織田家10代。
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 寛政13年1月5日(1801年2月17日) |
死没 | 明治12年(1879年)3月7日 |
改名 | 愛之助(幼名)→長恭 |
墓所 | 重秀寺 |
官位 | 従五位下・丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 大和芝村藩主 |
氏族 | 織田氏(長益系長政流) |
父母 | 父:織田長宇、母:阿部正賀養女 |
兄弟 | 長恭、萩原言偏、荻原徳拠、渡会喬久、織田信順正室など計7男6女 |
妻 |
正室:松平宗允娘・貞子 継室:松平宗允娘 |
子 |
勝子 養子:長易 |
生涯
編集文政8年(1825年)11月1日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。文政9年(1826年)3月27日、長宇の隠居により家督を相続した。文政10年(1827年)12月16日、従五位下丹後守に叙任する。天保6年(1835年)5月、駿府加番を命じられる。嘉永5年(1852年)3月13日に隠居し、婿養子の長易に家督を譲る。
系譜
編集子女は8女。