第百六十四号哨戒特務艇
第百六十四号哨戒特務艇[注釈 1](だいひゃくろくじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の65番艇[注釈 2]。太平洋戦争中、座礁し放棄された。
第百六十四号哨戒特務艇 | |
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基本情報 | |
建造所 |
船体:林兼重工業 兵装艤装:佐世保海軍工廠 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 特務艇 |
級名 | 第一号型哨戒特務艇 |
建造費 | 1,350,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
竣工 | 1945年3月2日 |
最期 | 1945年5月30日座礁放棄 |
除籍 | 1947年5月3日 |
要目(哨戒特務艇・計画時) | |
基準排水量 | 238トン |
水線長 | 28.50m |
水線幅 | 6.14m |
吃水 | 2.35m |
機関 | 400型中速ディーゼル1基、1軸 |
出力 | 400bhp |
速力 | 9.0ノット |
燃料 | 重油26トン |
航続距離 | 8ノットで4,000カイリ |
乗員 | 34名 |
兵装 |
25mm機銃 連装1基、単装2基 12センチ噴進砲2門 爆雷12個、魚雷落射機2基 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 13号電探1基 |
ソナー | 三式水中探信儀三型1基 |
艇歴
編集マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の164番艇、仮称艦名第2284号艦として計画。1944年11月5日、第百六十四号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の61番艇に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年2月16日、船体概成により林兼重工業株式会社から佐世保海軍工廠へ引き渡し。3月2日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第四監視艇隊に編入。
4月1日、第四監視艇隊は鹿児島への進出を開始し、4月10日以降は鹿児島で整備と訓練に従事。
5月18日、第五特攻戦隊作戦指揮下に編入。軍隊区分第二特攻部隊に配置。5月中は種子島への輸送に従事。5月30日、種子島への3回目の輸送を終え鹿児島へ帰投する際、西之表で座礁した。艇体はその後放棄された。
※以下の艇歴は書類上のもので、艇の救難に成功したわけではない。
6月15日、第七艦隊作戦指揮下に編入。軍隊区分対馬海峡方面部隊北九州防備部隊に配置。7月1日、第四監視艇隊から削除され舞鶴鎮守府敦賀港湾警備隊に編入。
1947年5月3日、第百六十四号哨戒特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。
脚注
編集- 注釈
- ^ 本来の艇名表記は第百六十四號哨戒特務艇。
- ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は61番艇、これら4隻を含めると通算で65番艇となる。
- 脚注
参考文献
編集- 海軍省、復員庁
- 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
- 昭和20年3月2日付 内令第196号ノ3、内令第196号ノ4。
- 昭和20年7月1日付 内令第587号、内令第588号。
- 昭和20年7月16日付 秘海軍公報 第5070号。
- 昭和22年5月3日付 復員庁第二復員局 復二第327号。
- 第二十二戦隊戦時日誌。
- 第五特攻戦隊戦時日誌。
- 第七艦隊戦時日誌。
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。