第三十三号哨戒特務艇
第三十三号哨戒特務艇[注釈 3](だいさんじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の15番艇。
第三十三号哨戒特務艇 | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | 船矢造船鉄工所[注釈 1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 特務艇 |
級名 | 第一号型哨戒特務艇 |
建造費 | 1,307,000円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
起工 | 1944年7月12日 |
最期 | 1945年8月17日船体工程90%で工事中止[注釈 2] |
その後 | 1947年11月22日漁船改造許可 |
要目(計画時) | |
基準排水量 | 238トン |
水線長 | 28.50m |
水線幅 | 6.14m |
吃水 | 2.35m |
機関 | 400型中速ディーゼル1基、1軸 |
出力 | 400bhp |
速力 | 9.0ノット |
燃料 | 重油26トン |
航続距離 | 8ノットで4,000カイリ |
乗員 | 34名 |
兵装 |
25mm機銃 連装1基、単装2基 爆雷12個 |
搭載艇 | 短艇1隻 |
レーダー | 13号電探1基 |
ソナー | 三式水中探信儀1基 |
艇歴
編集マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の33番艇、仮称艦名第2153号艦として計画。1944年7月12日、株式会社船矢造船鉄工所[注釈 1]で起工。1945年5月5日、第三十三号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の15番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。
終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され船体工程90%で工事中止[注釈 2]。
1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。2月1日現在、船体は函館市の船矢造船鉄工所にあり、大湊地方復員局の依頼により同社が船体を管理中。4月14日、船体の一時使用許可が出され、16日に北海道庁へ引渡し。8月25日、船体は函館市で北海道庁から第二復員局へ返却され、直ちに尾崎某[注釈 4]へ引き渡され、8月31日八戸港へ回航された。その後は輸送船に改造予定で同地湊川で繋留。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から、本船の漁船への改造許可が出された。その後の消息は詳らかではない。
脚注
編集- 注釈
- ^ a b 建造所名は昭和20年5月5日付 達第97号の表記に従う。株式会社船矢造船所は、1942年に社号を株式会社船矢造船鉄工所に改称しており、1945年5月5日時点で船矢造船所の社号は存在しない。
- ^ a b 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66によるが、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
- ^ 本来の艇名表記は第三十三號哨戒特務艇。
- ^ 個人名のため姓のみ記す。
- 脚注
参考文献
編集- 海軍省、復員庁
- 昭和20年5月5日付 達第97号、内令第381号、内令第389号。
- 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
- 昭和22年4月10日付 大湊管船部 大湊管第3号。
- 昭和22年8月1日付 横須賀地方復員局大湊管船部 大湊管113号、大湊管第114号。
- 昭和22年9月1日付 横須賀地方復員局大湊管船部 大湊管136号。
- 昭和22年10月1日付 横須賀地方復員局大湊管船部 大湊管161号。
- 昭和22年11月1日付 横須賀地方復員局大湊管船部 大湊管189号。
- 在東京アメリカ極東海軍司令部
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
- (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
- 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
- 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
- 『函館市史 通説編第3巻』、函館市、1997年。
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。