笠原 忠造(かさはら ちゅうぞう、1878年明治11年)10月7日[1] - 1926年大正15年)11月12日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)、弁護士

笠原忠造

経歴

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長野県長野市に、薬種商を営む笠原十兵衛の長男として生まれる[3]1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、長野市に弁護士事務所を開いた[3]。弁護士業のかたわら、長野市会議員、同議長、長野県会議員、同議長を務めた[4]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第15回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。

その他に、田川炭鉱株式会社常務取締役、京浜電力常務取締役、帝国石膏株式会社取締役を務めた[3]

脚注

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  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
  2. ^ 『官報』第4270号、大正15年11月16日。
  3. ^ a b c 『人事興信録』
  4. ^ 『衆議院議員略歴』

参考文献

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  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。