笠井庄兵衞
笠井 庄兵衞 (かさい しょうべえ、1828年(文政11年3月)- 没年不明)は、日本の政治家、資産家、実業家、慈善家、地主。東京府会議員[1][2]、東京市会議員を務めた[1][2]。縁戚に旧皇族の伏見宮敦子女王(伏見宮博恭王第2王女)らがいる。自らの資財をも支出し、麻布区内の公立学校(今の幼稚園や小学校)の設立を積極的に呼びかけた[3]。現在に至る麻布区内の下水道の基礎を作り上げた1人である。
笠井庄兵衞 かさい しょうべえ | |
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生年月日 | 1828年 |
出生地 |
日本 東京府 (現・東京都) |
没年月日 | 不明 |
東京市会議員 | |
東京府会議員 |
来歴
編集東京府出身。1875年(明治8年)、第一大学区第二中学区第十五番小学(現港区立麻布小学校)の設立を呼びかけた[3]。1879年(明治12年)9月、麻布区初代区長の前田利充ら5人と下賜金を主にして水道を開設することを企画し、華族10名の願書を添えて東京府知事の許可を請願した。計画は麻布、赤坂、芝の3区に給水するものだったが、発案した麻布区が工事を施行し、2万円の予算(内訳は1500円の下賜金と区内有志よりの寄付金が16700円、不足分は区の共有金から支出)であった。1880年4月に府知事の許可を得た麻布水道工事を府に委託し、翌年11月着工、翌1881年に完成した。1884年には、芝麻布共立幼稚園の協力賛成者となり、前期の第十五番小学校と併せて麻布区内の教育にも力を入れた[3]。
1887年(明治20年)の所得税調査委員選挙時代には地価681円を保有しており、庄兵衞は現在の金額に換算すると土地代で年間1362万円を払っていたことになる[1]。 また、中規模地主でありながら質屋を経営しており、骨董品などの展示も行っていた。1889年(明治22年)に東京市区改正委員会に第一期東京市議会議員として務める。 なお、当時の所得税調査委員には、「名誉職」という社会的地位の高さを示す称号が付与された 。東京電燈の株主第7位として70株全体の3.5%を保有した。栗原編(1964)[4]によれば当時の物価は米1石7円。(2000株×100円)で20億円のため、現在の価値で1400万円。また、東京商工会議所の会員として渋沢栄一らと交友関係があった。
選挙
編集- 1878年12月
- 1828年8月24日
- 麻布区学務委員 選人
- 1882年2月27日
- 第三期東京府会議員選挙:麻布区1級当選[2]
- 1887年第一期所得税調査委員選挙
- 1889年5月
家族・親族等
編集家族
編集親族
編集三女よしの夫は大木良輔で[6]、その弟が狩野宗三[9](東京府士族)である。
狩野宗三の妻、勝は浅田徳則の四女で[10]、その姉のみつ(浅田徳則の次女)の夫が渡干城である[11]。渡干城は、父が渡正元[11](貴族院議員、錦鶏間祗候)、母が松根セツ[10](松根図書の子女)で、弟に渡左近[11](陸軍中将)、渡久雄[11](陸軍中将)、渡正監[11](上海共同租界警視総監)がいる。
縁戚関係
編集渡干城の母セツの義理の兄である伊達宗淳[11](華族、男爵)その父伊達宗城[11](宇和島藩8藩,藩主)と宗淳の兄弟 真田幸教(松代藩9代,藩主)・ 広幡忠礼(公卿・侯爵)・島津忠麿(伯爵)と幸民の養子 清棲幸保(清棲家2代当主,伯爵)その妻旧皇族伏見宮敦子女王(伏見宮博恭王第2王女) らがいる。
脚注
編集- ^ a b c d 櫻井良樹. “制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について” (PDF). 麗澤大学. 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b c d e “所得税導入期初期の執行体制”. 国税庁. 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b c “港区教育史 上/下”. 港区教育委員会. 2020年7月9日閲覧。
- ^ 朝岡大輔『企業成長と制度進化: 戦前電力産業の形成』NTT出版、2012年6月。ISBN 978-4-7571-2298-7 。
- ^ a b c 『信濃人物略史』信濃青年会、1919年。[要ページ番号]西澤権兵衛(長野県知事)の縁戚、三蔵氏らが記載。三蔵氏の五男、貞治氏の玄孫が平尾仁人氏であります。なお、私共はこの事典をデータベースとして出典していません。お手数ですが、一度ご確認してからご連絡ください。個人情報保護とご本人様のご確認が取れたのはお名前の記載のみです。未成年の個人情報保護の為、ご本人様の詳細につきましては、私共は記載致しません。
- ^ a b “大木良輔”. 『人事興信録』第8版(名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース). 人事興信所 (1928年7月). 2020年12月9日閲覧。
- ^ 古川貞雄『郷土歴史人物事典長野』第一法規出版、1978年2月。[要ページ番号]西澤家が記載されており、その中でも平尾仁人氏の曽祖父である、貞治氏が記載されております。
- ^ “『松代 真田の歴史と文化』第7号” (PDF). 真田宝物館 (1994年3月30日). 2020年12月9日閲覧。[要ページ番号]真田桜山の家臣、西澤三蔵氏が記載。
- ^ “狩野宗三”. 『人事興信録』第8版(名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース). 人事興信所 (1928年7月). 2020年12月9日閲覧。
- ^ a b “淺田德則”. 『人事興信録』第8版(名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース). 人事興信所 (1928年7月). 2020年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g “渡干城”. 『人事興信録』第8版(名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース). 人事興信所 (1928年7月). 2021年1月3日閲覧。
参考文献
編集- 東京都『東京市史稿』市街篇61、1969年。
- 東京都『東京市史稿』市街篇62、1970年。
- 「明治12年 区会回議」(東京都公文書館蔵、610・D8・2)。
- 明治12年1月「区会町 村会規則」にもとづく初回区会議員選挙(1879年2月)。
- 公益財団法人渋沢栄一記念財団 第28巻 pp.358-360(DK280035k)
- 「○議員の改選」『東京経済雑誌』第5巻第101号、289頁 1882年3月3日 (DK280035k-0001)
- 東京府(編)『東京府史』府会篇第1巻、1929年7月、95頁 (DK280035k-0002)
- 東京府(編)『東京府史』府会篇第1巻、1929年7月、11 - 18頁
- 『日本近現代人名辞典』吉川弘文館、2001年。
- 「明治15年 回議録」(東京都公文書館蔵、612・C7・5)
- 「明治17年 回議録」(東京都公文書館蔵、613・D7・5)
- 「管内地価調」(東京都公文書館蔵、604・C3・1)
- 「東京市二十年間の発展 (一〜五)二六新報1912年11月19日 - 11月23日(リンク先は神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- 朝岡大輔『企業成長と制度進化 戦前電力産業の形成』NTT出版、2012年