浅田徳則
日本の官僚、外交官、政治家
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浅田 徳則(あさだ とくのり、1848年11月21日(嘉永元年10月26日) - 1933年3月30日)は、日本の官僚、外交官、政治家。貴族院議員。幼名は泰治。[要出典]
浅田徳則 あさだ とくのり | |
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生年月日 | 1848年11月21日 |
出生地 | 日本 京都 |
没年月日 | 1933年3月30日(84歳没) |
前職 | 弁理公使 |
所属政党 | 同和会 |
称号 |
昭和六年乃至九年事変従軍記章 大礼記念章 勲一等瑞宝章 正三位 従三位 勲二等旭日重光章 正四位 美治慈恵第二等勲章 大日本帝国憲法発布記念章 勲四等旭日小綬章 従五位 |
在任期間 | 1903年9月23日 - 1933年3月30日 |
官選 第4代 広島県知事 | |
在任期間 | 1897年4月7日 - 1898年5月14日 |
官選 第7代 新潟県知事 | |
在任期間 | 1896年2月6日 - 1897年4月7日 |
官選 第3代 長野県知事 | |
在任期間 | 1891年4月9日 - 1896年2月6日 |
官選 第2・5代 神奈川県知事 | |
在任期間 |
1889年12月26日 - 1891年4月9日 1898年5月14日 - 1900年6月16日 |
来歴
編集京都出身。浅田金吾の長男として生まれる。慶応4年5月(1868年6-7月)、久美浜県書記として出仕し、同県権大属、生野県准大属を歴任。明治4年9月(1871年10-11月)、大蔵省に移り戸籍権中属に任じられ、戸籍寮九等出仕、国債寮八等出仕などとなる。
1874年9月、外務省に移り外務一等書記生として米国公使館勤務となる。以後、外務省公信局長心得、取調局長、公信局長、通商局長、兼会計局長、弁理公使などを歴任した。
1889年12月、知事に任命され、さらに、長野県知事、新潟県知事、広島県知事などを歴任した。
1900年6月、外務省総務長官(次官)兼官房長に就任。1901年6月には逓信総務長官となり1903年9月まで在任。同年同月23日、貴族院勅選議員となり[1]、同和会に属し死去するまで在任。1903年11月9日、錦鶏間祗候に任じられた[2]。後に実業界に転身し東京電力などの社長を務めた。[要出典]墓所は多磨霊園。
栄典
編集- 位階
- 1884年(明治17年)6月30日 - 従五位[3]
- 1895年(明治28年)2月20日 - 正四位[4]
- 1900年(明治33年)3月20日 - 従三位[5]
- 1903年(明治36年)10月30日 - 正三位[6]
- 勲章等
- 1888年(明治21年)5月29日 - 勲四等旭日小綬章[7]
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[8]
- 1897年(明治30年)12月28日 - 勲二等瑞宝章[9]
- 1899年(明治32年)12月27日 - 旭日重光章[10]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲一等瑞宝章[11]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[12]
- 1933年(昭和8年)3月30日 - 昭和六年乃至九年事変従軍記章[13]
- 外国勲章等佩用允許
家族・親族
編集家族
編集親族
編集脚注
編集- ^ 『官報』第6071号、明治36年9月25日。
- ^ 『官報』第6108号、明治36年11月10日。
- ^ 『官報』第301号「叙任及辞令」1884年7月1日。
- ^ 『官報』第3491号「叙任及辞令」1895年2月21日。
- ^ 『官報』第5013号「叙任及辞令」1900年3月22日。
- ^ 『官報』第6101号「叙任及辞令」1903年10月31日。
- ^ 『官報』第1473号「叙任及辞令」1888年5月30日。
- ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
- ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
- ^ 『官報』第4949号「叙任及辞令」1899年12月28日。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第3068号「敍任及辞令・二」1937年3月27日。
- ^ 『官報』第2471号「叙任及辞令」1891年9月22日。
- ^ “渡干城”. 『人事興信録』第8版(名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース). 人事興信所 (1928年7月). 2021年1月3日閲覧。
- ^ “狩野宗三”. 『人事興信録』第8版(名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース). 人事興信所 (1928年7月). 2020年12月9日閲覧。
- ^ a b “大木良輔”. 『人事興信録』第8版(名古屋大学大学院法学研究科人事興信録データベース). 人事興信所 (1928年7月). 2020年12月9日閲覧。
参考文献
編集- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056。
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