石原裕次郎の作品(いしはらゆうじろうのさくひん)では、石原裕次郎の歌った曲を列挙する。ただし、曲順が年代と一致するとは限らない。

石原 裕次郎
吹き込みの様子(1957年
基本情報
出生名 石原 裕次郎
別名 Yujiro、タフガイ、裕ちゃん、裕さん、裕次郎
生誕 1934年12月28日
出身地 日本の旗 兵庫県神戸市須磨区
死没 1987年7月17日
学歴 慶應義塾大学法学部中退
ジャンル ジャズ演歌歌謡曲ポップス
職業 俳優
担当楽器 ドラムギターピアノ
活動期間 1956年 - 1987年
レーベル テイチクレコード石原音楽出版石原ミュージック
事務所 日活石原商事石原プロモーション
共同作業者 中島賢治高柳六郎後藤武久他。
公式サイト [1]
メンバー

石原軍団リーダー。

旧メンバー

寺尾聰

著名使用楽器
ウクレレハーモニカ
水の江瀧子
石原裕次郎のディスコグラフィ
リリースリスト
スタジオ・アルバム 調査中
インターネット・アルバム 調査中
ライブ・アルバム 調査中
コンピレーション・アルバム 調査中
ベスト・アルバム 調査中
EP 調査中
シングル 調査中
B面 調査中
映像作品 調査中
ミュージック・ビデオ 調査中
サウンドトラック 調査中
トリビュート&カバーアルバム 調査中
総曲数 調査中
デュエット曲 調査中
カバー曲 調査中
賞歴 調査中
実績 調査中
コンサート数 調査中
脚注
石原裕次郎の受賞とノミネート
受賞とノミネート
受賞 ノミネート
日本テレビ音楽祭
1 0
銀座音楽祭
1 0
全日本歌謡音楽祭
1 0
日本レコード大賞
4 0
日本ゴールドディスク大賞
1 0
日本歌謡大賞
1 0
日本有線大賞
1 0
テイチクヒット賞
1 0
合計
受賞 11
ノミネートのみ 0

思い入れ

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子供の頃から俳優業よりも歌が大好きであった彼は、李香蘭の「紅い睡蓮」を映画館で初めて聞いて覚えたという。しかし彼の大好きな曲は憧れであるディック・ミネの「夜霧のブルース」と霧島昇の「胸の振子」である。(1978年ビッグショーより)

エピソード

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あがり症の為、車に乗ったとき自分の曲を音楽関係者が歌っているデモテープを聞き、彼なりの独特の歌唱方法を身に付ける。当日のうちに曲と詞を覚え、レコーディングスタジオに着き、レコーディングの時は必ずビールを飲んだ。その際ヘッドホンを生涯一度も付けなかった。またレコーディングは一回で成功したとも言われ、その後はすぐに忘れてしまうという。再度同じ曲に試みる場合は楽譜(詞入り)があれば思い出せるという[要出典]。吹込みでは数多くのバンドのセッションをレコーディングでこなしてきた。ただしテレビ番組のときは自身のマイクで歌った[要出典]

主な代表曲・総売上

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本項の出典は、『KAMZINE カムジン』(産業経済新聞社)2005年8月号、41頁。テイチクエンタテインメント調べ、2005年5月現在。

シングル売上トップ20(枚数順)
  1. 銀座の恋の物語 - 335万枚(1961年
  2. 二人の世界 - 285万枚(1965年
  3. 赤いハンカチ - 275万枚(1962年
  4. 夜霧よ今夜も有難う/粋な別れ - 255万枚(1967年
  5. 俺は待ってるぜ - 193万枚(1957年
  6. 狂った果実 - 190万枚(1956年
  7. 錆びたナイフ - 175万枚(1957年[1]
  8. 俺はお前に弱いんだ - 175万枚(1964年
  9. 夜霧の慕情 - 170万枚(1966年
  10. ブランデーグラス - 152万枚(1977年
  11. 夕陽の丘 - 140万枚(1963年
  12. 北の旅人 - 125万枚(1987年
  13. わが人生に悔いなし - 85万枚(1987年
  14. 恋の町札幌 - 65万枚(1972年
  15. 嵐を呼ぶ男 - 62万枚(1958年
  16. 別れの夜明け - 62万枚(1974年
  17. サヨナラ横浜 - 53万枚(1971年
  18. おれの小樽 - 43万枚(1983年
  19. 港町 涙町 別れ町 - 42万枚(1969年
  20. みんな誰かを愛してる - 40万枚(1979年) ドラマ「西部警察」主題歌
シングル総売上
  • シングルレコード - 237タイトル、4120万枚、179億円
  • CDシングル - 62タイトル、260万枚、19.5億円
  • シングルカセット - 125タイトル、277万枚、19.2億円
  • シングル計 - 424タイトル、4657万枚、217.7億円
アルバム・映像ソフト総売上
  • LPレコード - 223タイトル、913万枚、131億円
  • CD - 1176タイトル、489万枚、125億円
  • カセット - 264タイトル、700万枚、180億円
  • カートリッジ - 121タイトル、182万枚、59億円
  • ビデオ - 5タイトル、18万枚、6億円
  • DVD/DVD-Audio - 2タイトル、3000枚、0.2億円
  • ETERNAL (13th Memorial) - 1タイトル、1.2万枚、15億円
  • THE SUPERIOR (17th Memorial) - 1タイトル、3000枚、4億円
  • アルバム計 - 1793タイトル、2303.8万枚、520.2億円
  • 総合計 - 2217タイトル、6960.9万枚、737.9億円

発売曲

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コンサート

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賞歴

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実績

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  • 2005年5月現在、2217タイトルの音楽作品が発表されており、約6960万枚、810曲、738億円を売り上げている(通算で)(歌った曲だけで見ると599曲である。)[2]
  • 1987年8月24日オリコンシングルチャート1位を当時最年長で獲得(52歳7か月)。後に小田和正こころ」に抜かれる。
  • 1987年8月31日アルバムがオリコン「LP&TAPESチャート」で100位以内に13作品がランクイン(当時のアルバム最高記録・現在は2位タイ記録)。なお、オリコンLPチャートでは100位以内5作品ランクインが自己最高記録である。
  • 1957年、日本人アーティスト(流行歌)として初めてLPレコード裕次郎と貴女の夜』を出している説がある[3]。LP盤『裕次郎と貴女の夜』の発売当初の定価は1000円(高卒の最低賃金が8000円の時代)だったが、40万枚超を売り上げ大ヒットした[4]
  • デュエット曲の録音数28曲は当時(日本人)歴代1位。後に稲垣潤一の34曲に抜かれている。彼の別称を(サンケイスポーツでは)「デュエットの帝王」と呼んだ。

脚注

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  1. ^ 180万枚とする記事もある。裕次郎の勇姿再び!郵便局でベスト盤+切手発売SANSPO.COM、2005年6月23日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  2. ^ https://web.archive.org/web/20090529231421/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2009052802000140.html <裕ちゃんを想う>3 “姉”ペギー葉山 「デリケートガイ」な弟]、中日スポーツ、2009年5月28日。
  3. ^ 高柳六郎『石原裕次郎 歌伝説―音づくりの現場から』社会思想社現代教養文庫)、2000年、100-101頁。135頁。ISBN 4-390-11637-1
  4. ^ 『石原裕次郎 歌伝説―音づくりの現場から』101頁。

関連項目

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外部リンク

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