白山比咩神社 (恵那市)
岐阜県恵那市山岡町下手向にある神社
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、岐阜県恵那市の山岡町下手向に鎮座する神社。
白山比咩神社 | |
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所在地 | 岐阜県恵那市山岡町下手向1065 |
位置 | 北緯35度20分28秒 東経137度21分27秒 / 北緯35.34111度 東経137.35750度座標: 北緯35度20分28秒 東経137度21分27秒 / 北緯35.34111度 東経137.35750度 |
主祭神 | 菊理姫神(ククリヒメ)、伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ) |
創建 | 神亀元年(724年) |
例祭 | 10月第2月曜日(体育の日) |
歴史
編集往古の昔、伊勢神宮内宮の祠官である荒木田氏の者が当地に移り住み原野を開拓して荒木郷の郷主となった。
神亀元年(724年)8月30日、荒木田信足が、加賀国の白山三座の御分霊を雲路山に奉迎して神社を創建し 伊勢神宮外宮の祠官である度会氏の渡會久光の次男の渡會久主を招いて社主とし荒木郷の総鎮守として白山宮と称した。[1]
この社の東方には、神戸・神田・油田の地名があって、このことは中世には盛大に栄えた社であったと考えられる。
天正2年(1574年)、武田勝頼が東濃へ侵攻した際に別当寺の應龍寺と比丘寺、末社の神田明神も共に焼討されたと伝わる。
中世において、郡上郡の白山中宮長瀧寺に関わる天台宗系の修験者が、應龍寺と比丘寺に住みながら、白山宮に奉仕していたものと考えられる。
安永8年(1779年)の困窮時に、境内にあった杉の巨木を七本と松と樅を伐採し、三河加茂郡小渡村小簗の者が百八両余で買い取った。その大杉の年輪は千三百から千四百あったという。
祭神
編集祭事
編集10月第2月曜日(体育の日)
交通
編集参考文献
編集- 『山岡町史 通史編』 第四編 中世 第三章 室町幕府 第五節 中世の生活 白山神社(下手向) p261~p262 山岡町史編纂委員会 昭和59年
- 『山岡町史 史料編 下巻』 第九 寺社関係 三八四 白山宮に関する覚書 p556~p563 山岡町史編纂委員会 1978年
- 『土岐市史 1 (原始時代-関ケ原合戦)』 第十二編 近世封建社会 第一章 安土桃山時代 ■鶴岡村白山神社を焼く p398 土岐市史編纂委員会 1970年
関連項目
編集脚注
編集- ^ 白山宮由緒