遠山荘
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概要
編集遠山とは古くは美濃・信濃・三河・遠江にまたがる山岳地域の総称で、とくに美濃国恵那郡のことを指した。遠山荘は吾妻鏡の文治元年の条に記載がある。
範囲
編集- 美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市・中津川市の木曽川以南と瑞浪市の陶地区)
- 美濃国土岐郡大湫村(現在の岐阜県瑞浪市大湫町)は、遠山荘とも稲村荘とも言われた。(濃陽志略)
- 中心地は地頭遠山氏の居城岩村城。
- 中津川市蛭川の和田川以西、恵那市の中野方町・笠置町・飯地は、元は加茂郡で蘇原荘に属していた。
- 建保3年(1215年)の「紙本墨書大般若波羅密多経」の全百巻の殆どにには「美濃州遠山庄馬籠村法明寺常住」と記されてあるので、馬籠峠が遠山荘と小木曾荘との境界であったことが分かる。
郷
編集- 淡氣郷(手向郷) 明知(恵那市明智町)、上村(恵那市上矢作町)、下村(恵那市上矢作町下)、荒木村(恵那市山岡町下手向荒木)、窪原(恵那市山岡町久保原)、佐々良木(恵那市三郷町佐々良木)、安主(恵那市明智町横通安主)
- 竹折郷(恵那市武並町竹折)
- 安岐郷(中津川市阿木)
- 繪下郷(中津川市中津川恵下)
- 坂本郷(中津川市坂本)
起源
編集平安時代中期
領主
編集- 当初は摂関家領(後に近衛家領)。近衛家所領目録に遠山荘の記載がある。
- 元暦2年(1185年)5月1日に源義仲の娘の菊姫が美濃国遠山荘の一村を賜るとある。(吾妻鏡)
- 文治元年(1185年)に源頼朝の重臣の加藤景廉が功績により拝領。(美濃国諸旧記)
- 建久6年(1196年)に源頼朝の重臣の加藤景廉が功績により拝領。(遠山譜)
「美濃国恵那郡遠山庄事 右為勲功之賞遠山加藤次景廉所充行也者 早令領知可被専所務之状如件 建久六乙卯年三月三日頼朝判」
- その後、長男が遠山景朝と称し遠山氏の初代となり、子孫が遠山荘内に分かれて繁栄した。
参考文献
編集- 『中津川市史 上巻』 第四編 中世 第二章 鎌倉時代 ニ 遠山荘と加藤景廉 p518~p522 1968年
- 『恵那市史 通史編 第1巻』 恵那の古代(三) 第一章 恵奈郡遠山荘 p717~p737 恵那市史編纂委員会 1983年
- 『図説・木曽の歴史 (長野県の歴史シリーズ ; 19)』 (3) 遠山庄 p38 生駒勘七著 郷土出版社 1982年