湖広等処行中書省(ここうとうしょ-こうちゅうしょしょう)は、元が設置した行中書省。湖広行省と略称される。
湖広行省は元朝の南宋攻略の過程で設置された。1274年(至元11年)、元朝は宋攻略の西路軍を統括すべく襄陽に荊湖行省を設置、これが後の湖広行省の前身となる。1277年(至元14年)、鄂州に省会を移した荊湖行省は鄂州行省と改編された[1]。また同年には湖広行省の再設置が行われ[2]と改称されている。
- 江南湖北道(8路、1府、1州)
- 嶺北湖南道(9路、3州)
- 嶺南広西道(6路、1司、1府、8州)
- 海北海南道(5路、1司、3軍)
- 『元史』(中華書局)
- 『中国歴史地図集』(中国地図出版社 1997年)
- 周振鶴『中国行政区画通史 元代巻』(復旦大学出版社 2009年)
- ^ 『元史』巻65「平章政事廉文正王神道碑」
- ^ 『元史』巻6 世祖紀6 三年辛卯、湖広行書省言、広西四十二郡並已内附、議復行中書省於潭州