正津英志
正津 英志(しょうつ えいじ、1972年11月13日 - )は、福井県大野市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、中日ドラゴンズのスカウトを務めている[2]。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福井県大野市 |
生年月日 | 1972年11月13日(52歳) |
身長 体重 |
173 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト3位 |
初出場 | 1998年4月3日 |
最終出場 | 2009年4月26日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴
編集プロ入り前
編集小学生の頃から野球をはじめ、進学した大野高で本格的に投手に取り組み、3年夏に第72回全国高等学校野球選手権大会に出場[1]。
龍谷大では投球フォームの改造に取り組み、速球派からコントロール重視の投手へと転向した。4年の大学選手権は初戦で完投勝利。関西六大学リーグ通算18勝10敗。
NTT北陸では都市対抗野球で初戦先発し、勝利。1997年ドラフトで中日ドラゴンズから3位指名を受け入団[1]。
中日時代
編集1998年から主に中継ぎとして4年連続して40試合以上に登板。投手分業の確立した中日で信頼できる中継ぎの一人となり、同期の川上憲伸の影に隠れていても、その活躍は新人王級とも言われ[3]、入団から四年間毎年のように試験的に先発登板もし完投勝利も経験した事もあるが左打者に打ち込まれることが多く本格的な先発転向はならなかった。
2001年は53試合の登板で安定した投球を見せる。
2002年にわき腹、右ひじの筋肉挫傷と相次いで怪我をし、岩瀬仁紀の台頭もあり以降は登板機会が減少した[4]。
2004年は一軍での登板機会が減少し、二軍でも敗戦処理程度しか起用されなくなったが、鈴木孝政二軍投手コーチに勇気付けられ、技巧派への転向に取り組んだ。オフに、大友進、玉野宏昌との交換トレードで、宮越徹と共に西武ライオンズへ移籍。
西武時代
編集当時、二軍監督だった渡辺久信が一軍へ正津を推薦し、復活を手助けした。その後は、サイドスローからスライダー・シンカーを投げ分ける投球に磨きをかける[5]。
2006年は右打者専門のワンポイントリリーフとして起用され、5年振りの勝利を挙げた。
2007年は敗戦処理が主だったが防御率1点台の成績を残す。
2008年は、怪我で出遅れたものの、交流戦期間中に登録され、交流戦明けから岡本真也や小野寺力に代わりグラマンに繋ぐまでのセットアッパーとして勝ち試合の終盤を任された。
2009年4月26日の対ロッテ戦で1回を5失点と打ち込まれ二軍に降格。以降一軍昇格はなく、10月2日に戦力外通告を受け[6]、現役を引退。
引退後
編集2010年に、古巣中日のスカウトに就任することが発表された[7]。京田陽太[8]、笠原祥太郎[9]、清水達也[10]、梅津晃大[11]、鵜飼航丞[12]、ブライト健太[13]らを担当する。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1998 | 中日 | 45 | 2 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | -- | .857 | 301 | 77.0 | 62 | 7 | 20 | 1 | 4 | 55 | 1 | 0 | 21 | 21 | 2.45 | 1.06 |
1999 | 47 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | -- | .833 | 219 | 48.1 | 49 | 5 | 25 | 1 | 4 | 34 | 1 | 0 | 22 | 18 | 3.35 | 1.53 | |
2000 | 42 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | -- | .714 | 216 | 50.1 | 49 | 7 | 16 | 2 | 1 | 42 | 0 | 0 | 27 | 25 | 4.47 | 1.29 | |
2001 | 53 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | -- | .750 | 295 | 68.0 | 69 | 4 | 23 | 2 | 4 | 49 | 3 | 0 | 23 | 23 | 3.04 | 1.35 | |
2002 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 66 | 15.0 | 16 | 1 | 5 | 1 | 0 | 13 | 0 | 0 | 6 | 3 | 1.80 | 1.40 | |
2003 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 28 | 5.1 | 10 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 5 | 8.44 | 2.25 | |
2005 | 西武 | 36 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | .000 | 156 | 37.0 | 36 | 3 | 10 | 2 | 1 | 35 | 0 | 0 | 24 | 21 | 5.11 | 1.24 |
2006 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 1.000 | 116 | 24.2 | 29 | 3 | 16 | 0 | 3 | 18 | 1 | 0 | 16 | 16 | 5.84 | 1.82 | |
2007 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 113 | 28.1 | 23 | 3 | 6 | 0 | 0 | 26 | 1 | 0 | 6 | 5 | 1.59 | 1.02 | |
2008 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 9 | 1.000 | 127 | 30.2 | 26 | 3 | 13 | 1 | 2 | 16 | 0 | 0 | 11 | 8 | 2.35 | 1.27 | |
2009 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 13 | 1.2 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 7 | 37.80 | 4.80 | |
通算:11年 | 328 | 5 | 1 | 0 | 0 | 25 | 10 | 0 | 24 | .714 | 1650 | 386.1 | 373 | 37 | 140 | 10 | 19 | 292 | 7 | 0 | 168 | 152 | 3.54 | 1.33 |
記録
編集- 初登板:1998年4月3日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回1失点
- 初奪三振:同上、8回裏に澤崎俊和から空振り三振
- 初勝利:1998年4月10日、対ヤクルトスワローズ1回戦(ナゴヤドーム)、8回表に3番手で救援登板・完了、6回1失点
- 初先発:1998年8月5日、対ヤクルトスワローズ16回戦(ナゴヤドーム)、5回2/3を無失点
- 初先発勝利・初完投勝利:1998年8月20日、対ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、9回2失点
- 初ホールド:2005年6月21日、対オリックス・バファローズ6回戦(インボイスSEIBUドーム)、7回表2死に4番手で救援登板、1/3回無失点
- 初登板で対戦した第一打者に被本塁打:上記「初登板」の項を参照、8回裏無死に緒方孝市に左中間へソロ ※史上43人目(セ・リーグ18人目)
背番号
編集- 21 (1998年 - 2004年)
- 25 (2005年 - 2009年)
脚注
編集出典
編集- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、279ページ
- ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P21
- ^ 1999年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑
- ^ 『2003プロ野球選手カラー名鑑』日刊スポーツ出版社、2003年4月、50頁頁。
- ^ 『2008年プロ野球選手写真名鑑』日刊スポーツ出版社、2008年4月、127頁頁。
- ^ “【西武】江藤引退「よくやったと思う」”. 日刊スポーツ. (2009年10月2日) 2018年2月17日閲覧。
- ^ “西武引退の正津が中日スカウトに就任”. 日刊スポーツ. (2009年12月11日) 2018年2月17日閲覧。
- ^ “12球団編成&スカウト布陣一覧&2021補強ポイント【セ・リーグ編】”. 週刊ベースボールONLINE. (2021年1月24日) 2022年12月17日閲覧。
- ^ “大金にびっくり仮契約 中日ドラ4笠原「親孝行をしたい」”. スポニチアネックス. (2016年11月22日) 2022年12月17日閲覧。
- ^ “中日が花咲徳栄・清水に指名あいさつ「野茂英雄のようなタイプ」 岩井監督も期待、プロでも日本一を”. 埼玉新聞. (2017年11月1日). オリジナルの2017年11月4日時点におけるアーカイブ。 2022年12月17日閲覧。
- ^ “【龍の背に乗って】「将来、柱に」-“外れ1位でも梅津”を決めた正津スカウトの言葉”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. (2019年8月13日) 2022年12月17日閲覧。
- ^ “中日2位指名の駒大・鵜飼が会心の4戦連発 スカウトチーフ絶賛「信じてよかった」”. スポニチアネックス. (2021年10月25日) 2022年12月17日閲覧。
- ^ “中日ドラ1・ブライト健太「打点王が目標」 ドラフト会議入場パス首にかけ「すごく重みある」”. スポニチアネックス. (2021年10月21日) 2022年12月17日閲覧。
参考文献
編集- 「人物クローズアップ」 『週刊ベースボール』1998年6月15日号、ベースボール・マガジン社、1998年、雑誌20443-15/6、111-113頁。
- 「ありったけの魂を 正津英志」 『週刊ベースボール』2009年5月4日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20445-5/4、35-39頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 正津英志 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube