権田修一

日本のサッカー選手 (1989-)

権田 修一(ごんだ しゅういち、1989年3月3日 - )は、神奈川県川崎市生まれ[4][5]東京都世田谷区出身[6]プロサッカー選手Jリーグ清水エスパルス所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表

権田 修一
SVホルン時代(2016年)
名前
愛称 ゴンちゃん[1][2][3]
カタカナ ゴンダ シュウイチ
ラテン文字 GONDA Shuichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-03-03) 1989年3月3日(35歳)
出身地 東京都世田谷区神奈川県川崎市生まれ)
身長 187cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 清水エスパルス
ポジション GK
背番号 57
利き足 右足[1]
ユース
1995-2000 日本の旗 さぎぬまSC
2001-2003 日本の旗 FC東京U-15
2004-2006 日本の旗 FC東京U-18
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2016 日本の旗 FC東京 203 (0)
2016 オーストリアの旗 SVホルン(loan) 17 (0)
2017-2018 日本の旗 サガン鳥栖 67 (0)
2019-2021 ポルトガルの旗 ポルティモネンセSC 15 (0)
2021 日本の旗 清水エスパルス(loan) 38 (0)
2022-2024 日本の旗 清水エスパルス 110 (0)
代表歴2
2003-2005  日本 U-17
2007-2009  日本 U-20 11 (0)
2011-2012  日本 U-23 21 (0)
2010-2022 日本の旗 日本 38 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年11月10日現在。
2. 2022年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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プロ入り前

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バスケットボール選手の両親を持つスポーツ一家で育つ[4]。3、4歳のときに「サッカーをやらせると成長にいい」と聞いた母親に勧められたのがサッカーを始めたきっかけであった[7]。小学校時は川崎市内のサッカークラブに所属していたため、GKとして川崎市選抜・神奈川県選抜に選ばれていた[4]。当時のお気に入りはアメリカ代表トニー・メオラ[8][9]。ユースチーム加入時には、横浜F・マリノス川崎フロンターレのユースチームにも合格し、さらに神奈川県選抜時の監督から湘南ベルマーレへの勧誘を受けていたが[8]、小学校時に近所のサッカースクールにFC東京がコーチングスタッフを派遣しており、権田が浅野寛文GKコーチの指導に好印象を受けた事と[注 1]、そのスクール生には観戦チケットがプレゼントされ、駒沢陸上競技場にてJ2時代のFC東京の試合を生観戦したことなどが決め手となり[4]FC東京U-15への入団を選択した。2003年のクラブユース選手権で優勝し日本一を経験。

FC東京

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2005年10月から2種登録選手としてトップチームの練習に帯同し始め[6][10][注 2]2007年からは国士舘高校に在学しながらFC東京トップチームに正式に昇格となった[11]。FC東京初の「平成生まれの選手」でもある[12]。同年シーズン終盤にはサブとして公式戦ベンチ入りも果たした。

ながらく塩田仁史の控えとして過ごしていたが、2009年1月下旬に塩田が虫垂炎及び麻痺性腸閉塞による長期離脱を強いられ、更に阿部伸行もコンディション不良が目立ったことから、権田が開幕スタメンに抜擢され公式戦デビューすることとなった。その開幕戦ではアルビレックス新潟に4失点、第2節も浦和レッドダイヤモンズに3失点で開幕2連敗と苦いデビューとなったが、第3節でJ1初昇格のモンテディオ山形に完封勝利し、第4節もジュビロ磐田に連続完封勝利を飾ると、それ以降はシュートに対する鋭い反応でチームに貢献。出場時間が規定に達しプロA契約選手となった。実質のデビューシーズンであったが、7月には全4試合を完封するなど(3勝1分)年間15完封[13] というJ1リーグの個人記録(タイ記録・当時)[14] を達成し[注 3]、チームの5位躍進に貢献。川崎フロンターレとのナビスコカップ決勝でもフル出場。チーム5年ぶりの優勝に貢献するとともにプロ初タイトルを獲得。無失点に抑え、当時の鬼武健二チェアマンからはMVP級の活躍だったと評価された[16]

2010年も開幕から引き続き正GKとし、3月はわずか1失点と好スタートを切ったが、4月以降は南アフリカワールドカップによる中断まで僅か1勝と低迷[17]。中断明け後も10試合未勝利を記録するなど低空飛行を続け、自身も夏場は一時的に塩田にスタメンを譲ることもあった。ホームゲームでは僅か2勝(うち1つは国立霞ヶ丘競技場での試合)に終わり、最終節では既に降格が決まっていた京都に敗れJ2降格が決まった。

J2に降格して迎えた2011年は若手の代表として[18] 副将を務めた[19]。シーズン当初はレギュラーで出場していたが、ロンドンオリンピック予選の招集を機に[20] 塩田にレギュラーを奪われ、A代表選手がクラブでは控えという状況にもなった[21]。シーズン終盤に差し掛かり再び正GKの座を奪取。塩田とのポジション争いは1年を通して続いた[22] 。J2では力の差を見せつけ、2位に大差をつけて1年でJ1に復帰した。

J1に復帰した2012年は、新たに就任したランコ・ポポヴィッチ監督から「日本でNo.1のGK」と全幅の信頼を寄せられ[23][24]、レギュラーを確保。しかし、「塩田との間に差は無い」とも評され[25]2013年の天皇杯では塩田の好守でチームがベスト4に進出する中、出場機会は無かった。また、2012年12月にドイツシュトゥットガルトイタリアエラス・ヴェローナの練習に参加した[26][27]

2014年は高いセーブ率で[15][28] 失点の大幅減に成功[29]。2015年より塩田の退団に伴い背番号を「1」へ変更。1stステージでは全試合フル出場を続けたが、同年7月にオーバートレーニング症候群を発症し、離脱。3ヶ月ほどで復調の兆しを見せたが[30]、戦列には復帰できなかった。

SVホルン

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復活を期すクラブの了承の下[31]本田圭佑の熱望を受けて[32]2016年1月にオーストリアSVホルン期限付き移籍[33][34]。初先発となった3月4日、第17節SKラピード・ウィーンⅡ戦で完封勝利したが、続く同月11日第18節SVオーバーヴァルト戦で右脛骨を骨折[35]。2015-16シーズン中の回復は間に合わず、同シーズンの出場はこの2試合に留まったが、権田はホルンの日本人新監督濱吉正則の指導に戸惑うオーストリア選手との橋渡し役[注 4]を務め[37] 信頼を集めた[36]

2016-17シーズン第6節ウィーナー・ノイシュタット戦で5ヶ月ぶりに復帰した[38]。リーグ中断期間にあたる2016年12月でSVホルンとのレンタル契約が終了したためFC東京にレンタルバックした[39][40]

FC東京とは2017年末までの契約を残していたが[41]、2017年1月、ヨーロッパでのプレーを希望して契約解除を申し出た[42]。クラブは権田の意向を尊重する方針だったため[41]合意解除となった[43]

サガン鳥栖

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ヨーロッパでの移籍先が見つからず[44]、2017年2月に帰国[45]。夏の移籍期間[注 5]まで無所属となることを覚悟していたが[42]サガン鳥栖から熱意あるオファーが届き[45]、同クラブへ移籍加入[47]。古巣との初対戦となったJ1第5節のFC東京戦では、古巣サポーターへ不義理な移籍を謝罪し[48]、感謝を述べた[49]

2018年、チームは残留争いに巻き込まれるもののリーグ戦34試合にフル出場。最後まで懸命にゴールマウスを守りチームのJ1残留に貢献した。シーズン終了後に行われたチームメイトによる投票により、2018年のチームMVPに選出された[50]

ポルティモネンセSC

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2019年1月29日ポルトガル1部ポルティモネンセSCへ移籍する事を発表した[51]。5月17日、最終節のSCブラガ戦で移籍後初出場を果たした[52]。 2019-2020シーズンは、中盤からレギュラーに定着し15試合に出場した。 しかし翌シーズンは主に若手のサムエル・ポルトガルにレギュラーの座を譲った。

清水エスパルス

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2020年12月25日清水エスパルス期限付き移籍[53]。背番号は37に決まった。加入後からレギュラーを争奪し、リーグ開幕戦鹿島アントラーズ戦では先発に抜擢。鳥栖時代の2018年のJリーグ最終節以来、約2年ぶりのJリーグ出場を果たすと、鹿島の猛攻をビッグセーブで防ぎチーム6年ぶりの開幕戦勝利ならびに9年ぶりのカシマスタジアムでの勝利に貢献した。

2021年12月23日、清水エスパルスへの完全移籍が発表され、背番号も21に変更することが発表された[54]

2022年5月7日の川崎フロンターレ戦でJ1通算300試合出場を達成した[55]

2023年シーズンから自身の息子の誕生日5月7日にちなんだ背番号57に変更することを発表した[56]

2024年11月8日、同シーズン限りで退団することが発表された[57][58]

日本代表

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ユースではU-17日本代表に選ばれAFC U-17選手権2004で日本のゴールマウスを守った。

2007 FIFA U-20ワールドカップには香川真司と共に飛び級で選出されたが[59]、メンバー発表後に後十字靭帯を損傷し[2]、出場を辞退[60][注 6]

2008年U-19日本代表の主将として[62]2009 FIFA U-20ワールドカップアジア地区予選を兼ねたAFC U-19選手権サウジアラビア)に臨んだ。準々決勝の韓国戦では好セーブを連発したものの[63] 0-3と完敗。結果として日本が7大会連続で出場し続けていたU-20ワールドカップへの出場権を取り逃すという苦い経験をした。試合後には悔し涙を流しながらもTVインタビューに対応し、主将として責任感の強い部分を見せた。この年FC東京は権田との契約を複数年延長し[64]、将来のチームの大黒柱候補としての期待の大きさを伺わせた。

2009年12月21日にはアジアカップ最終予選イエメン代表戦に向けたA代表に初招集され、2010年1月6日の試合では先発出場を果たし国際Aマッチデビューを飾った[65]

2010年9月30日には、アルベルト・ザッケローニ新監督の日本代表にも選出された[66][注 7]。ここでの出場機会は得られなかったが、その後、ザッケローニはインタビューにおいて「たとえば権田。FC東京でプレーする1990年生まれのGKで[注 8]、日本代表では第3GKだが、素晴らしい将来性がある。」と、大きな期待を示し[68][69]翌年開催のAFCアジアカップにも第3GKとして招集された。

アジアカップ以後は世代別代表を優先し[注 9]、副将として[71] チームのまとめ役を担った[5]2012年7月2日ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表に選出された[72]。本大会ではグループリーグでのベストGKとの声が挙がる活躍で[73]、4試合連続無失点を記録し[74] ベスト4入りに貢献。しかし、準決勝と3位決定戦では自身の判断ミスも重なって[75] 連敗し44年ぶりのメダル獲得を逃した。

2014年に開催されたブラジルワールドカップにも第3GKとして招集されたが、本大会での出場機会はなくチームもグループリーグで敗退した。

2015年3月27日、Jリーグでの出色の出来を認められ[76]ヴァイッド・ハリルホジッチ新体制においてA代表復帰。同月の親善試合チュニジア代表戦で完封勝利を飾った[77]。7月30日には東アジアカップ2015の代表メンバーに選出されたが、コンディション不良(後述)により辞退[78]

2018年、森保一新体制の初陣であるキリンチャレンジ杯において、3年ぶりに招集された。10月12日に行われたパナマ戦に出場し、無失点に抑えた。

2019年、AFCアジアカップ2019では、ターンオーバーで挑んだグループリーグ1試合を除く6試合にレギュラーとして出場。大会当初は鳥栖所属でレギュラー唯一のJリーガーだったが、決勝戦の前にポルトガルのポルティモネンセへの移籍を発表し、これにより決勝戦のカタール戦では、日本代表史上初のスタメン全員海外組となった[79]

2021年3月25日の韓国代表戦にスタメン出場し、3-0で勝利。これにより国際Aマッチ出場8試合連続無失点となり、楢﨑正剛が持っていた日本記録を更新した[80]

2022年11月1日、2022カタールW杯に臨む日本代表に選出された[81]。初戦のドイツ戦でスタメン出場を果たし、川口能活楢崎正剛川島永嗣に次いでゴールキーパーとしてワールドカップに出場した史上4人目の日本人となった。試合では前後半通じて26本のシュートを浴びながら、日本のゴールを死守し逆転勝利に貢献してMVPに選ばれた[82]。チームは決勝トーナメント1回戦で敗れたが、ベスト16進出に貢献した。

第二次森保ジャパンとなった2023年、契約更新した自身所属の清水がJ2降格を喫したことが影響し、森保監督は「日本の最高峰はJ1。優先順位をつけなければ」と話し、より高いレベルで戦っていくことを見据え、日程面なども考慮した上で招集を見送る方針を示唆。2022カタールW杯以降、代表招集は見送られることとなった[83]

家族

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エピソード

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所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007 FC東京 34 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 19 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 20 34 0 10 0 1 0 45 0
2010 30 0 7 0 2 0 39 0
2011 J2 20 0 - 5 0 25 0
2012 J1 31 0 0 0 0 0 31 0
2013 33 0 2 0 0 0 35 0
2014 33 0 0 0 3 0 36 0
2015 1 22 0 5 0 0 0 27 0
オーストリア リーグ戦 リーグ杯オーストリア杯 期間通算
2015-16 ホルン 33 レギオナル 2 0 - - 2 0
2016-17 エアステ 15 0 - 1 0 16 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2017 鳥栖 33 J1 33 0 4 0 2 0 39 0
2018 20 34 0 3 0 4 0 41 0
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
2018-19 ポルティモネンセ 16 プリメイラ 1 0 - - 1 0
2019-20 14 0 1 0 3 0 18 0
2020-21 57 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2021 清水 37 J1 38 0 0 0 0 0 38 0
2022 21 33 0 1 0 1 0 35 0
2023 57 J2 42 0 0 0 0 0 42 0
2024
通算 日本 J1 321 0 32 0 13 0 366 0
日本 J2 62 0 0 0 5 0 67 0
オーストリア エアステ 15 0 - 1 0 16 0
オーストリア レギオナル 2 0 - 0 0 2 0
ポルトガル プリメイラ 15 0 1 0 3 0 19 0
総通算 415 0 33 0 22 0 470 0
  • 2005年、2006年はユース所属[注 2]
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 FC東京 20 5 0
通算 AFC 5 0
その他の国際公式戦

タイトル

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クラブ

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FC東京U-15
FC東京
SVホルン
清水エスパルス
日本代表

個人

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選抜・代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 38試合 0得点(2010年 - 2022年)[65]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2010 1 0
2011 0 0
2012 0 0
2013 1 0
2014 0 0
2015 1 0
2017 0 0
2018 2 0
2019 11 0
2020 2 0
2021 10 0
2022 10 0
通算 38 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2010年1月5日  サナア アリー・ムフセン・スタジアム   イエメン ○3-2 岡田武史 AFCアジアカップ2011予選
2. 2013年7月25日  華城 華城競技場   オーストラリア ○3-2 ザッケローニ EAFF東アジアカップ2013
3. 2015年3月27日  大分 大分スポーツ公園総合競技場   チュニジア ○2-0 ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2015
4. 2018年10月12日  新潟 デンカビックスワンスタジアム   パナマ ○3-0 森保一 キリンチャレンジカップ2018
5. 2018年11月20日  豊田 豊田スタジアム   キルギス ○4-0
6. 2019年1月9日  ドバイ アール・ナヒヤーン・スタジアム   トルクメニスタン ○3-2 AFCアジアカップ2019
7. 2019年1月13日  アブダビ シェイク・ザイード・スタジアム   オマーン ○1-0
8. 2019年1月21日  シャルジャ シャールジャ・スタジアム   サウジアラビア
9. 2019年1月24日  ドバイ アール・マクトゥーム・スタジアム   ベトナム
10. 2019年1月28日  アル・アイン ハッザーア・ビンザイード・スタジアム   イラン ○3-0
11. 2019年2月1日  アブダビ ザイード・スポーツシティ・スタジアム   カタール ●1-3
12. 2019年9月5日  茨城 茨城県立カシマサッカースタジアム   パラグアイ ○2-0 キリンチャレンジカップ2019
13. 2019年9月10日  ヤンゴン トゥウンナ・スタジアム   ミャンマー 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023予選
14. 2019年10月10日  さいたま 埼玉スタジアム2002   モンゴル ○6-0
15. 2019年10月15日  ドゥシャンベ ドゥシャンベ・セントラル・スタジアム   タジキスタン ○3-0
16. 2019年11月14日  ビシュケク ドレン・オムルザコフ・スタジアム   キルギス ○2-0
17. 2020年10月9日  ユトレヒト スタディオン・ハルヘンワールト   カメルーン △0-0 国際親善試合
18. 2020年11月13日  グラーツ メルクール・アレーナ   パナマ ○1-0
19. 2021年3月25日  横浜 日産スタジアム   韓国 ○3-0
20. 2021年3月30日  千葉 フクダ電子アリーナ   モンゴル ○14-0 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023予選
21. 2021年6月7日  大阪 パナソニックスタジアム吹田   タジキスタン ○4-1
22. 2021年6月11日  神戸 ノエビアスタジアム神戸   セルビア ○1-0 キリンチャレンジカップ2021
23. 2021年9月2日  大阪 パナソニックスタジアム吹田   オマーン ●0-1 2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
24. 2021年9月8日  ドーハ ハリーファ国際スタジアム   中国 ○1-0
25. 2021年10月8日  ジッダ キング・アブドゥッラー・スポーツシティ   サウジアラビア ●0-1
26. 2021年10月12日  さいたま 埼玉スタジアム2002   オーストラリア ○2-1
27. 2021年11月11日  ハノイ ミーディン国立競技場   ベトナム ○1-0
28. 2021年11月16日  マスカット スルタン・カーブース・スポーツコンプレックス   オマーン
29. 2022年1月27日  さいたま 埼玉スタジアム2002   中国 ○2-0
30. 2022年2月1日  さいたま 埼玉スタジアム2002   サウジアラビア
31. 2022年3月24日  シドニー スタジアム・オーストラリア   オーストラリア
32. 2022年6月6日  東京 国立競技場   ブラジル ●0-1 キリンチャレンジカップ2022
33. 2022年9月23日  デュッセルドルフ デュッセルドルフ・アレーナ   アメリカ合衆国 ○2-0 国際親善試合
34. 2022年11月17日  ドバイ アール・マクトゥーム・スタジアム   カナダ ●1-2
35. 2022年11月23日  ライヤーン ハリーファ国際スタジアム   ドイツ ○2-1 2022 FIFAワールドカップ
36. 2022年11月27日 アフメド・ビン=アリー・スタジアム   コスタリカ ●0-1
37. 2022年12月2日 ハリーファ国際スタジアム   スペイン ○2-1
38. 2022年12月6日  アル=ワクラ アル・ジャヌーブ・スタジアム   クロアチア △1-1.1PK3

関連情報

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書籍

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  • サッカー GKの教科書実業之日本社、2015年。ISBN 978-4-408-45557-0http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-45557-0 

出演

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テレビ・ラジオ番組

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脚注

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注釈

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  1. ^ 基礎を重視した練習で、他クラブでは高評価を受けていた権田が、FC東京の練習会では唯一「褒められなかった」という[8]
  2. ^ a b 2004年も2種登録されている(ただし背番号は無し[109]
  3. ^ 1993年V川崎菊池新吉が樹立した記録に16年ぶりに並んだが、新潟との最終戦(新潟スタジアム)で失点し新記録は叶わず。なお、2008年に大分が17試合無失点を記録しているが、その内訳は西川周作が11試合先発、下川誠吾が6試合先発。後に西川が浦和で16試合完封を達成[15]。その後、2020年名古屋ミッチェル・ランゲラックが17試合完封の新記録を達成している。
  4. ^ 当時ホルンには、権田、ハーフナー・ニッキ榊翔太新井瑞希川中健太矢島倫太郎の6人の日本人選手がいたが、権田とハーフナーはドイツ語(オーストリアの公用語)を話せた[36]
  5. ^ ヨーロッパ主要リーグは1月の1ヶ月間と6月から8月までの3ヶ月前後を移籍可能な期間として制限している[46]
  6. ^ a b 桐畑和繁が代替招集された[61]
  7. ^ 権田によると、マウリツィオ・グイードGKコーチは「シュートを止めるまでの過程のポジショニングに可能性があるから(権田を選出した)」と述べている。権田自身も、ボール保持者と対峙する場面では、「相手がミスするように自分からポジションを詰めていく」と果敢に前へ出ることを身上としている[67]
  8. ^ 原文はportiere classe 1990。権田は1989年生まれなのでこれは誤り。
  9. ^ 原博実技術委員長はこの方針について「権田はA代表、U-22代表のいずれかには招集される存在。A代表で試合に出られないのなら五輪代表を優先に考えたい」とコメントしている[70]
  10. ^ 公式戦が行われない合宿時や、公式戦から遠ざかっていた川島永嗣のコンディションを確認するために代表復帰させた時[107] には計4名を招集している。
  11. ^ 他のクラブではフィールドプレーヤーがテクニックを見せていたが、GKで参加したのは権田だけだった。

出典

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  1. ^ a b c 選手データベース - ウェイバックマシン(2010年9月13日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年2月21日) / 週刊サッカーマガジン増刊2008 J1&J2リーグ選手名鑑
  2. ^ a b c d e f 『FC東京ファンブック2008』毎日新聞社、2008年、51頁。 
  3. ^ 東京FW武藤ダメ押し弾「ゴンちゃんさまさまです」 日刊スポーツ (2015年3月22日)
  4. ^ a b c d GK権田修一 <上> 小3で青赤軍団と運命の出会い - ウェイバックマシン(2009年5月26日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2007年2月6日)
  5. ^ a b まとめ役 静かに燃える GK権田修一 (FC東京) (cache) 朝日新聞デジタル (2011年7月27日)
  6. ^ a b c d e f 権田修一選手 (FC東京U-18) トップチーム帯同のお知らせ - ウェイバックマシン(2005年10月16日アーカイブ分) FC東京 (2005年9月30日)
  7. ^ 河上清、澤田優子『サッカースターの少年時代 プロになった16人の成長物語』株式会社学研マーケティング、2013年、102ページ、ISBN 978-4-05-800104-2
  8. ^ a b c ジュニアサッカーを応援しよう! VOL.19 「僕らがサッカーボーイズだった頃 -Jリーガーのジュニア時代- 権田修一(FC東京)」』カンゼン、2010年。ASIN B004C23HXY 
  9. ^ 週刊サッカーダイジェスト No.1114「インタビュー 権田修一 (FC東京) リベンジの時は近い」』日本スポーツ企画出版社、2011年。ASIN B0050OPAJC 
  10. ^ 登録選手一覧表 2005Jリーグ ディビジョン1 FC東京 - ウェイバックマシン(2013年11月3日アーカイブ分) Jリーグ (2005年12月9日)
  11. ^ 権田修一選手 (FC東京U-18) 来季新加入内定のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月14日アーカイブ分) FC東京 (2006年9月14日)
  12. ^ 『FC東京ファンブック2006』毎日新聞社、2006年、61頁。 
  13. ^ 選手出場記録 (1/2),(2/2) Jリーグ (2009年12月5日)
  14. ^ 権田 Jタイ記録の年間15完封 浅利、藤山に勝利の花道 J1 第33節 11月28日(土)vs.神戸 東京中日スポーツ (2009年11月29日)
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関連項目

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外部リンク

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