東陽寺

宮城県登米市にある曹洞宗の寺院
東陽寺のイチョウから転送)

東陽寺(とうようじ)は、宮城県登米市にある曹洞宗の寺院。山号は亀松山。本尊釈迦牟尼佛

東陽寺

イチョウと「原田甲斐の首塚」地図
所在地 宮城県登米市東和町米谷越路83
位置 北緯38度42分31.1秒 東経141度17分51.8秒 / 北緯38.708639度 東経141.297722度 / 38.708639; 141.297722座標: 北緯38度42分31.1秒 東経141度17分51.8秒 / 北緯38.708639度 東経141.297722度 / 38.708639; 141.297722
山号 亀松山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼佛
創建年 1468年応仁2年)
開山 九皐宥鶴禅師
開基 原田氏
文化財 イチョウ(県指定天然記念物)
公式サイト 亀松山東陽寺
法人番号 2370405000085 ウィキデータを編集
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歴史

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伊達氏の家臣であった原田氏は小松(現在の山形県東置賜郡川西町)に城を築いて居住し、1468年応仁2年)菩提所として当寺を創建した。後土御門天皇の準願所である瑞龍院伊達持宗の創建)を本寺、九皐宥鶴禅師を請して開山した。末寺は常光寺、円竜寺、恵林寺、長照院(いずれも現在の柴田町)。1591年天正19年)伊達政宗豊臣秀吉の命によって岩出山に移封となり大瓜(現在の大衡村)の館主となった。原田氏は大瓜に移住せず岩出山に住んだようである。更に1602年慶長7年)政宗が青葉城に移る事となり、原田氏は1617年元和三年)船岡(現在の柴田町)の領主となって当寺はこの年小松より船岡に移った。原田宗輔(甲斐)の時代に伊達騒動が起き、1671年寛文11年)原田氏は断絶した。船岡は米谷(現在の当寺所在地)の領主であった柴田氏の領する所となり、当寺は同地に移転した。

境内

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梵鐘

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1666年寛文6年)甲斐が船岡領主の時に寄進されたが、太平洋戦争1943年昭和18年)に供出し、秋田県小坂鉱山に送られた。 1965年(昭和40年)に復元寄進された。重量140。鐘楼門は約300年前に建築されたものである。

イチョウと原田甲斐の墓

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本堂裏で生育し、幹周7.2で、枝張りは東西に18m、南北24mである。樹齢は500年と言われ、樹勢は良好。伊達騒動に関連した言い伝えがあり、根元に通称「原田甲斐首塚」がある。甲斐は船岡にあった当寺に埋葬されたが、現在地に移った際にこの木の側に改葬され、目印にされたと伝わる[1]2005年平成17年)5月10日、宮城県から天然記念物に指定された[2]

脚注

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  1. ^ 東陽寺のイチョウ”. 宮城県. 2018年11月26日閲覧。
  2. ^ 登米市内指定文化財一覧”. 登米市. 2018年11月26日閲覧。

関連項目

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