末川清
末川 清(すえかわ きよし、1933年1月25日[1] - 2011年11月1日)は、日本の歴史学者。立命館大学名誉教授。専門は西洋史(ドイツ近代史)。京都府京都市出身[2]。
末川清 (すえかわ きよし) | |
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生誕 |
1933年1月25日 日本 京都府京都市 |
死没 |
2011年11月1日(78歳没) 日本 京都府京都市 |
研究分野 | 西洋史 |
研究機関 | 立命館大学 |
出身校 | 京都大学(学士・修士) |
プロジェクト:人物伝 |
来歴・人物
編集学歴
編集家族・親族
編集法学者で立命館大学名誉総長の末川博の長男[2]。妻は日本画家・橋本関雪及び内務官僚・池松時和の孫娘[2][3][4]。長男は元京都情報大学院大学客員教授の末川研。義父の橋本節哉には5人の弟妹がいるが[3]、節哉のみが関雪の正妻・よねが産んだ子であり節哉の5人の弟妹(清からみたら義叔父・義叔母にあたる)は節哉が妾に産ませた子である[5]。谷崎潤一郎の小説・『瘋癲老人日記』の颯子のモデルとされる渡邊千萬子は節哉の異母妹・妙子の娘であり、清の妻の従姉にあたる[6]。白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長を務める橋本眞次は節哉の長男・歸一の子であり[7][8]、清の義理の甥にあたる。
系譜
編集主要著作
編集単著
編集- 『近代ドイツの形成―「特有の道」の起点』(晃洋書房、1996年)ISBN 4771008299
共著
編集- (望田幸男・芝井敬司)『新しい史学概論』(松頼社、1991年、新装版:昭和堂、2002年)ISBN 4812202221
共編著
編集- (西川長夫・松宮秀治)『ロマン主義の比較研究』(有斐閣、1989年)ISBN 464109988X
- (山口定・坂野光俊・宮本憲一・立命館大学人文科学研究所)『戦後50年をどうみるか〈上〉二一世紀への展望のために』(人文書院、1998年)ISBN 4409520318
- (山口定・坂野光俊・宮本憲一・立命館大学人文科学研究所)『戦後50年をどうみるか〈下〉二一世紀への展望のために』(人文書院、1998年)ISBN 4409520326
翻訳
編集- (中村幹雄・鈴木利章・谷口健治)ゲオルク・G・イッガース『ヨーロッパ歴史学の新潮流』(晃洋書房、1986年)ISBN 4771003068
- (高橋秀寿・若原憲和)C. シュテルン・H. A. ヴィンクラー『ドイツ史の転換点―1848-1990』(晃洋書房、1992年)ISBN 4771005559
- (高橋秀寿・姫岡とし子)オットー・ダン『ドイツ国民とナショナリズム』(名古屋大学出版会、1999年)ISBN 4815803730
参考文献
編集- 『昭和人名辞典 第3巻 近畿・中国・四国・九州編』 日本図書センター 1987年 ISBN 4-8205-0695-1
- 交詢社 監修、交詢社出版局 編集 『日本紳士録 第80版 2』 ぎょうせい 2007年 ISBN 978-4-324-07879-2
- 小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』 幻冬舎〈幻冬舎新書〉 2007年 ISBN 978-4-3449-8055-6
脚注
編集- ^ a b 『末川博 : その人と人生観』百華苑、1979年、p.125。
- ^ a b c d 『日本紳士録 第80版 2』、す 245頁。
- ^ a b 『昭和人名辞典 第3巻 近畿・中国・四国・九州編』、京都 76頁。
- ^ 池松時和という人物 - 白沙村荘公式ブログ内のページ
- ^ 関雪の◯◯が - 白沙村荘公式ブログ内のページ
- ^ 小谷野 『日本の有名一族』、102-104頁。
- ^ 夏季展示「江戸硝子かんざしと関雪の草稿」 - 白沙村荘公式ブログ内のページ
- ^ 佛大通信Vol.556 特集 京都まちあるき 大地に描かれた壮大な理想郷、白沙村荘を訪ねて哲学の道へ。2 - 佛教大学通信教育課程公式サイト内のページ